ブログ - 20200425のエントリ

焼け跡闇市の頃。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-4-25 22:25

  わたしは昭和二十二年の生まれだから、太平洋戦争の直接的な体験はないが、その余韻をひきづる雰囲気は憶えている。父に連れられて小倉の繁華街に行き、そこで、傷痍軍人がアコーディオンをひきながら物乞い(後にわかったことであるが)をしている光景に出会い、それはもの悲しさをおびて幼い脳裏に焼き付いている。彼は手足を戦争で失い、白いパンツとシャツの姿で街行く人に目を向け、楽器をひたすら奏でていた。義足で立った姿は戦争の悲惨さを訴えるには十分すぎた。通行人たちは飢えていて、出店の食べ物に目を光らせながらうろうろ歩き、欲望の熱気があった。

 焼け跡闇市の時代と呼ばれるが、これは戦後復興への谷間で、高度成長期へとすすむ狭間であった。今のコロナ禍は戦争に匹敵するものであり、もう一段の谷間が待っているにちがいない。多くの犠牲者がでるであろうが、ネットをみてもハルマゲドンを引き合いに出している。キリスト教にとって人間の死は罰であり、神は永遠の命を与えてくれていたのに、禁断の木の実を食べたが故にその恩恵を失ったと聖書に書いてある。ハルマゲドンによって、神の国に行く者と地獄に落ちる者の選別が行われるのだ。それを信じるか信じないかは別にして、新しい時代への人類の淘汰を告げている。

 石川淳の作品に(焼け跡のイエス)というのがあり、自分はすごい印象を受けた。焼け跡闇市の世界で、ただ、生きるために食い物を盗んで食べる少年の凄まじい、まるで泥棒猫のようなエネルギーを現し、それをイエスと名づけた心意気に感動したのであった。

 コロナ禍が与える世界はまさにこんな世界であろうが、そこにはそこでこれまでとは異なる活気があるにちがいない。決して悲観ばかりすることはない。