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エアコンが起こす熱中症

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-7-2 11:24

  わたしの部屋にはエアコンがなく、扇風機で冷やしています。そのことをしゃべると、、ほとんどの人はなぜエアコンを入れないのか?熱中症で死んでしまうじゃないか!と怒らんばかりに言ってきますが、わたしは静かに反抗します。地球のオゾン層が破壊されていることが原因である。が、エアコンをつけるから、室温は下がっても、外気温が上がり、熱中症をおこしている。地球上の数百億の人間がエアコンをつけたらどうなるのか?外気温はますます上がって、地球は焼き尽くされてしまう!自分たちが崩壊へ導いているのじゃないか?

 このブログは数年前にも書いているけど、マスコミはエアコンをつけろ!とばかり言っており、有識者の判断を取材しようとはしない。はたして、、どっちが正しいのか?有識者たちに聞いてみたいものである。自分がエアコンをつけないのは、金がないことが原因であるが、金があってもつけないであろう。

 エアコンがなかった時代、夏に倒れる児童は数人ほどいたがニュースなることはほとんどなかったが、今は救急車で搬送されることが日常的になっている。

 どこかでこの意見を取り上げてくれる人を待っているのだが、現れそうにはない。国民は同調圧力に負けているのかと心配になる。

 

  この句を書いたのは一年前であったと思うが、今、梅雨空から夏が近づいて来て思い出した。印象深い光景であったがあの時の蟻がどこに行ったのか?は知らない。今、空を見上げると雨が降りそうな気配である。こんな時、蟻の統率者は天気を予報して実行するべきかどうか?考えるのであろう。この仕事には何匹の蟻がいるのか?とか、どのルートを通って巣穴に戻るのか?など、人のリーダーが計画を練るように思案するはずである。片手の半分ほどの蜘蛛の群れが石や草を踏み、水たまりを超え畑の中の巣穴まで運ばなければならないのである。巣穴では女王蟻と無数の子供たちが待っているのである。蟻の脳の中でどのように考えがめぐるのか?、役割分担をさせて運ぶなんて大変な作業であるが、人の何万分の一かの大きさの彼らがやる行動は驚くべきというしかない。緻密な伝達はどのようにするのであろうか?テレパシーをつくという者もいるがまだはっきりと解明されてはいない。

 近ごろ、スマフォでユーチューブをよく見るがその記事には日本礼賛が多い。記憶に残っているのは日本は技術力や国民性を含めて世界の未来がであるのではないか?、と書いている。若いころ左翼であったわたしは半ば疑いながら昨今の社会情勢を見るにつけ、もしかするとそうではないか、と考えてしまう。どこの道路も通り道もゴミ一つ落ちておらず、枯葉もない。人は清潔な服装で静かな対応をする。騒ぎもなく、電車の中も静かである。昭和の騒動の時代を生きた自分にとって、同じ日本なのか?と疑ってしまう。

 (同調圧力)と言われる力があり、それはある意味でファシズムではないか?とも考える。もし、日本が戦争に巻き込まれ、戦争を起こしたりすれば太平洋戦争以上のい力を発揮するに違いない。

 この蟻の群れのように乱れず、着々と戦いをを進め、(とてつもない)結果を出すのではないか?

物忘れ生きてることも忘れしや

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-6-16 17:17

  一昨日、あることが思い出せないことに気づいた。毎月、銀行に入金されている金がどこからのものであったか?ということなのであるが、思い出すのに三十分くらいかかり、シルバー人材からの給料であることが分かったが、これが仕事上のことであれば大変なことになるだろう。それに、仕事に出る前に持参する物の点検を何度もするが何かを忘れていることがたびたびある。

 また、、朝の目覚めの気分がすごく悪い。ともかく、体が起きるののを嫌がっているのである。今日は仕事もカラオケも麻雀も礼拝もないので起き上がらなくてもいいのであった。が、三十分もぐずぐずに堪えられず、起き上がってしまい。パンを焼いてコーヒーを飲み、スマフォを開いてニュースを見、草取りをはじめ、いつものペースがもどった。毎日、投稿している俳句の句を考え、このタイトルのものになった。

 初めは、神が時間を作った、というタイトルにしようか?と考えていたのである。聖書の創世記に、光あれ、と神が言われ光ができ、世の中ができた、とあるが、これがいかにすごい言葉であるか、考えた。それまでは闇であったので物が見えなかった。見えないということは無いのと同じである。光ができて見えるようになり、月や太陽の動きがわかり、その変化が時間を産んだのである!神は海や陸を作り、そして、生命の初めに人間を作り、いろんな生命を作って管理を人間に任せた。それからのことは聖書に書いてる通りである。教会で聖書の勉強会を開いているがこれからは読む部分を決めて進めようということになり満足している。聖書の分量は大きすぎて、通読するのは大変なのであるし、学ぶところはたくさんある。自分はクリスチャンにはなれないが、研修生としてすすむつもりである。小説を書く上においてもすごく勉強させられるのである。

 物忘れ生きてることを忘れしや、には当分ならないようである。

 

 

大きくなるまで待ってね

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-6-2 9:45

  朝方、病院に行くついでに、あの空き地に寄った。勝手に入られてビワの袋をかけられたことは二つ前のブログに書いている。袋はかけられたままであったが、破られているものがあった。黄色くなった実を取って食べてみた。少し、酸っぱかった。

 甘くなるまでもう少し待ってね!

 ビワがつぶやいていた。

 どうして?、

 だってまだ実がじゅうぶん大きくなっていないじゃない。

 そういえばそうだな。

 大きくなった時に食べて実を土に落として欲しいのよ。

 なるほどな・・・。

 病院の待合室で、こんなやりとりを想像していた。

 でも、誰がそんな仕組みを作ったのだろうか?熟してから食べるような仕組みを?

 人間にはとうてい作れないし、ほかに作れるものはいない。

 そこで考えるのは聖書の創世記に書いてる言葉である。神が生きよ!増えよ!と言って自然を作ったと書いてある。

 クリスチャンにはなれないが、この部分だけは信じている。

 

この国の行方

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-6-2 6:23

  土曜日は健康マージャンの日で楽しく過ごした。公民館に二十人ほどの会員が集まり、和気あいあいとゲームに興じた。わたしは親の倍満をつもり、上機嫌になったが、自分の動きが鈍く仲間たちに迷惑をかけていることに気づいた。手の前には17個の牌を二段に積み上げ、捨てはいは6個ずつ前に並べることになっているのだが、その数が間違ったりして、仲間がなおしてくれる。それは点数には加算されないのであり、十年前までは数まで数えてきちんと並べることなどなかった。名札を胸に下げて、カードを取って、席を決めることなどルールが徹底していて、トラブルもなく三時間を有意義に過ごしたのであった。その日の午前中はカラオケ同好会で、違う公民館でまた楽しく過ごした。そこもルールが徹底していて回覧板が回ってくると読んだサインうするのである。会費も安く、こんなことで楽しくすごせるなんてありがたいことである。

  だが、ちがう視点にはまった。ユーチューブで法人客の会食動画を見るがそれも面白く、外人が異国に来て寿司を食べ、おいしいおいしいといって喜ぶ場面も見ていて楽しい。清潔な国、電車も時間通りに来る、親切に対応してくれると誉め言葉だらけである。だが、この前、規則が多すぎるとある外人が言ったことが印象に残った。快適なのはルールをまもっているからである。

  その外人は日本は世界一の自殺国、農薬の使用も世界一、ということを知っていたのであろうか?興味がある。自殺者が多いのはルールずくめであるから自分がいやのなってしまうからだろう、それに、害はないと説明書に書いてあるから農薬を日常的に使うのであろうがそれが怖いことだと思わないのである。以前そんなことを言う者がいたので、じゃあその除草剤を飲んでみろ!といったことがあった。

 もしかするとこの国は世界を支配するのではないか?と考えてしまう。戦争が起こればまちがいなくどんな国も降参させてしまうかもしれないが、その前に快適ルールで洗脳してしまっているであろう。

誰がビワの袋をかけたか?

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-5-24 21:19

  十年前までは今の家から二百メートルほど離れた家に住んでいたが、母が今の家を建てたのでそこに住み、前の家は借地であったので地主に返し、家は解体した。ところが地主は遠方に住んでいるのでその空き地の管理をすることになった。年に三度ほど草刈りをし、空き地の保全をしていた。

 一か月前にその空き地に寄ってみた。そろそろあのビワが大きくなっているか?見に行ったのである。

そこでびっくりした。なんとその小さな木のビワに二十か所ほど袋がかけてあったのである。誰がやったのか?考えたが、そのビワのことを知っている近所の者ではないか?あるいは通りがかりの者か?どうしようか?と考えた。今の家にもビワの木はたくさんあるので盗られても構わなかったが、そんなことをする人間がいることに怒りと不安をおぼえたのであった。次の日に行って、袋を良く調べてみると、新聞紙の袋、ビニール袋、紙袋と三種類あったのである。そして紙袋は薬局で薬をもらうときのものであった。ここに名前が書いてあるはずだ、と考えて袋を調べてみると犯人が出てきたのである。女の名前であったが名前は黒のマジックで塗りつぶされ隠されていた。警察にとどけようかどうしようか?と考えながらその女のことを想像してみた。糖尿病の薬だと書いてあったので、老いた女で頭が少し足りない者だと考え、そのまま放置することにした。

 一か月後にはビワが熟すであろうが、人間たちが食べる前にカラスが食べるであろう。米代や物価が上がって国民が生活苦になっていることがここにも反映されてると思った、

物忘れ生きてることを忘れしや

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-5-22 7:21

  昨日は週に一度の、配食のアルバイトであった。そのために草むしりもせずに休んでいた。小雨が降り、一日中、雨の予報であった。一時間半ほどの仕事のために、エプロン、報告書、水、をバックに入れて、ポンコツ車で出かけた。 

 運転は運転手にまかせ、配達するだけでよかったが、釣銭を落としたり、配達先がいなかったり、亡くなっていたりして思わぬトラブルが控えていた。十一軒だからすぐに終わると考えていたが、気分は軽くなかった。その家は用心しなければいけないことは知っていた。お弁当ですよ!お弁当、持ってきました。と声をかけながら、玄関の上り口から入った。いつものように返事はないし、出てくる気配もない。声をあげながら、玄関から三番目の部屋のふすまを開けたが、そこに老婆の姿はなかった。いつもそこで寝ているはずであった。もしかすると、どこかの部屋で倒れているのではないか?と考えて、トイレ、浴室、空き部屋などの戸を開けていくが見当たらない。前回はその部屋で寝ていたことを思い出して、開けた。すると、布団の中から、やせた老婆が顔を出した。持ってきました!と言って、差し出すが、起き上がれない。やっと手を伸ばしたので引っ張り上げ、座らせた。老婆はなんとか胡坐をかき、弁当を手に取った・・・。

 仕事を終えて帰宅していたら、スマフォが鳴った。事務員の女からであった。消毒液を返していないという。引き返して、返した。返し終えて帰宅すると、スマフォが消えていた。車の助手席に忘れていた。そして、自分が出る前にペットボトルの水を忘れていたことに気づいた。

 そのうちに、生きていることを忘れるかもしれない。

なに想う地を見て咲きし枝垂れ梅

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-5-21 7:55

  昨日、スマフォを開くと、いきなりメッセージが入っていた。このタイトルの句が、ユーチューブで高評価を受けています、という。思い返すとその句は三か月前に教会のラインに送ったものでユウチューブに投稿したものではなかった。高評価を受けていることに嬉しさを覚えていたが、ラインの中まで読まれているとしたら?と考えて怖くなった。このホームページのビデオ映像集の動画も知らぬうちにユーチューブに取り込まれていたのであるし、近ごろはわけのわからぬところから詐欺まがいのメールが頻繁に入ってきて怖くなっている。

 まだ世間を知らない子供や認知症の老人などがそんなメールを読むと引っかかってしまうに違いない、

とりあえず、高評価を受けていることに感謝すればいいのであるが、あなたの句を本にして出しませんか?などとくれば要注意であろう。自費出版系の出版社からそんな誘いが時々来るが、出版費用を持ってくれ、というのである。

子燕や苗代舞うふて豊作祈る

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-5-15 19:36

  朝方、教会に投稿する俳句を考えたが良い句が浮かばず、家の隣の田んぼに行った。水が張ってあって、田植えを待っていた。予想していた風景であった。が、よく見ると、子燕が数羽、飛んでいるではないか!洗練された体形で素早く自在に飛び、仲間たちとあぜ道に降りて、泥の中の虫をあさり始めた。今年、生まれたばかりの子供でももう餌をとっているのであった。

 感動した。燕は遠い国からやって来て、この時期にしか見れないのである。すぐに飛び去ってどこかに消えてしまう不思議な鳥である。民家の軒下に巣を作って、子供を育てるが、カラスと違ってどこか高貴なイメージがある。オスとメスが巣を作って、子を産み、育てる。子は成長して、餌を取り、子を産む。この循環は不思議というしかない自然の秩序である。自分たち人間もその中の一種のしか過ぎない。

 子燕や苗代舞ふて豊作祈る

 こんな句ができて、すぐにメールで投稿した。

 自然に恵まれた環境の中で生きているこいとに感謝し、草刈りに一日を費やした。

悲しみを見せない花の美しさ

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-5-13 21:37

  亡くなった者を美化しているといわれるだろうが、そうであろう・・・。母は二十年前に亡くなっている。近ごろ、思い出して、想いに耽ることが多くなった。若いころは彼女が鬱陶しく、嫌いであった。恩着せがましく、自分が望みもしないことに世話を焼いて、うるさかった。父はロマンチストで酒と女を愛し、家庭を顧みなかったし、子供たちに愛情らしいものを見せたことがなかった。途方もない額の借金を作り女のために使い、母はその返済のために金を借り、働いたのであった。百姓をし、呉服屋で働き、子供の世話をした。日に三時間しか眠らなかった。息子二人を東京の私立大学にやったが、二人とも良い人生は送らなかった。

 あれこれ思い出して、気づいたことは、彼女が一度も涙を見せたことがなかったということである。退職して野菜作りを始めて気づいたことはたくさんあり、その中の一つは花の美しさを知ったことである。母の植えた花がたくさん咲き始めている。バラ、菖蒲、水仙、シャクヤクなど、限りなく咲いている。まわりの草をむしってやると、花は美しくなっていくのがわかる。

 それが母のイメージに重なってくる。思い出してみると、彼女は想像もできない苦しい人生の中で、一度も涙を見せず、美人で、女優のように美しかった。

 

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