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そのままけっこう

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日記
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nakamura 2026-6-14 8:22

  昨日、ユウーチューブからメールが来て、コメントに投稿したこの句が高評価をうけていると伝えて来た。その半年前には、なにゆえに地を見て咲くや枝垂れ梅、という俳句に同様のメールが来ていた。これまで、小説なども文学賞に応募したことがあったが、一次予選に二度、通っただけであった。

 この言葉はすべて書くと、そのままけっこうすべて引き受けてやれば良い、という言葉であるが、五十年前に短編小説として同人誌に掲載していた。何の評価も受けなかったが、わたしはこの言葉が好きであった。何かの小冊子で読んだことはあったが、当時の自分の悩みや苦しみを少しは慰めてくれたのである。定職が見つからない、金がなくなっていく、ドモリも治らない、女もできない、など背負いきれないくらいの苦しみを今同様来あ変えていたが、今になってその言葉が現れるなんて奇縁といえば奇縁である。

 七十九歳になってこの言葉を反芻してみると、なあにい、あと数年の命ではないか?貧乏、歩けなくなる不安、一人ぽっち、何もできなかった後悔、などすべて引き受けなくても、死ねば消えるのである。

イラン戦諸行無常の極みなり

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日記
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nakamura 2026-6-12 8:34

  アメリカが停戦交渉を打ち切り、イランに軍事攻撃をして、良い結果を勝ち取ろうということになった。イラン戦が始まって良い交渉がまとまることを願い、トランプも七十回近くも良い結果が出ると言いながらこのありさまである。石油の供給不足で世界経済が崩壊するかもしれないという中で、これが先進国そして人間たちの低能ぶりである。

 戦争は憎しみが支えであり、憎しみから生まれる。中近東はいろんな宗教や民族が入り混じり、昔からv火薬庫と言われていたが、何千年たってもこの状況は全く変わらない。言い換えれば憎しみに支えられて生きてきたと言っても過言ではない。仏教の盛んなアジア系には見られない現象である。

 自分は教会に十年近く通い、聖書を読み、賛美歌を歌い、説教を聞いてきた。ある時、牧師にこう言ってみた。(先生、わたしはこれまで教えに励んできましたが、自分自身が全く変わらないらないことに気づいたのですが・・・・?)

 すると、五十歳の牧師は、

わたしも変わらないのです、

と答えた。

 自分は少しがっかりしながら、やはりそうだったか?と思い返した。

 八十歳になりかけた今でも、ささいな感情で人を嫌がり、憎むことがあるし、それがいつまでも尾を引くことがある。これが生活に関係し、食う物にかかわれば、喧嘩、戦争に発展するのである。ということは人間はいつも火薬庫を胸の中に隠しているということなのである。

 

崖に立ち谷底眺む余命かな

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日記
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nakamura 2026-6-9 7:34

  昭和の高度成長期をのぞいて、いつの時代も不安で迷いが多かったが、ウクライナ戦争が始まった現代はなんとも形容できないほど怖く、おびえている。毎朝、ニュースでイラン戦争の状況とニューヨークの株式市場の動きを見るが、わずかな貯えが消えていくのを知るだけである。余命が減っていくだから、もう少しでこの世は終わりであるが、子育ての最中の若者、これから社会に出る若者たちはこの状況にどうやって向き合っているのか?心配になる。

 今の世のどこが間違っているのか詮索すればきりがないが、まず大きな部分として、人間の(徳)が消えて行ってるということである。先日、ユウチュウブに、AIが犯罪を考え、商品にして売る、既に売っているという記事を見かけたが、大いに考えさせられた。そのビジネスは繁盛しているであろう。が、それは利益ばかり追求して、そのビジネスが社会的にどうなるのか?ということをAiは考えきらない。AIの芸術や、歌手は出現できず、一方向の視点しか持っていない。真逆の発想なんて持つことは不可能である。

 (勝つことばかり知りて負けることを知らざれば害その身にいたる)

  これは徳川家康の言葉である。

 トランプやプーチンがこの言葉の意味を少しでも考えきれば、世の中は少しは変わるであろう。

 

 

花落とし実を出すナスの命かな

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日記
執筆 : 
nakamura 2026-6-2 7:17

  歳老いて愚痴ばかり増え、ここに日記を書く気も衰えてきた。先週も週に一度の弁当配りをしてきた。玄関に立って呼ぶがなかなか返事がなく、待っているとやっと物音がして、老婆は起き上がってきた。布団に寝ていて起き上がるのに手間取ったのがわかった。いつものように笑顔を見せて、弁当を受け取り、350円の金を払った。自分はその有様に数年先の自分を見ながら、そのうち、家の中に上がって、布団のそばまで行って手渡すようになるかもしれないと考えた。その頃には自分は歩けなくなっているかもしれない。

 (自然)、も衰えてきた。今年は竹の子が三本しか取れず、ハチクやマタケは全く姿を出さなかった。今は梅のシーズンなのだが実はほとんど付けていおらず、ビワは病気にかかり、一個が150円の値段になっている。自分で食べるだけの野菜作りをしているが、育ちが悪い。ナスには毎日、水をやっている。ある時、咲いていた花が二つとも、落ちたので、これもダメか?と驚いていたが、花を落として実をつけることがわかった。せめてもの救いであろう。

レアとは何か?

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日記
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nakamura 2026-5-12 7:11

  このホームページを立ち上げて、ほぼ二十年になり、わたしも七十九歳になった。人から変り者と言われ、それにコンプレックスを持っていたが、ある時、少数であることは価値のあることではないか?と、気づきレアという言葉と結びついた。今ではレアという言葉も、レアもの、と呼ばれかなり普及してきたがまだ差別され、遠ざけられる傾向があり、今でも私は、変り者、変人と呼ばれることがある。同時に、そのことを恥じている人々もいるのである。

 ビジネスでも学問でも、スポーツでもあらゆる分野において、芽を出し、勢いを持って行くのはレアであるがまだ認識されておらず、既成のルールや元年に支配され、真実が遠ざけられている。この前、ある町会議員から、議会で座る場所は決められていて、年齢の順や在籍が基準んである、ということを耳にした。その仕組みが権力になり、町政の変革や改善はできないことになっているのである。わたしは教会の日曜礼拝に通っているがそこでも座る場所が指定されている。神とは異なる考えを口に出すことはタブーなのであるので、ある時、説教の話をしてくれと言われたことがあったが、自分が口に出すことを考えると聖壇に立つ気にななれなかった。そこで自分がしゃべる時は、神を捨てる時である。神が命を作った、という創世記の箇所は信じているが、そのほかは文章が長ったらしくて読む気にならないのである。

 

彼は無生物に生命を与えていた

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日記
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nakamura 2026-4-10 7:32

  ヤフーの検索の覧をクリックするとこの文章がトップに出てくるので不思議に思っていたが、わたしがこのホームページに書いたかワードの小説の中に打ち込んだのかもしれない。二週間たっても消えていない。

 同時に、(時の谷魔)という小説は書きかけたままなかなか前進せず、ある男の暴力行為を前にして、どんな風に書くべきか思い迷っているのである。対称性の破れ、という小見出しをつけて内容もほぼ掌握しているのに進まず、彼は無生物に生命を与えていたという言葉に導かれながらわたしはテーマの大きさに負けているのである。話は変わるが、自分は物理学の法則は普遍的なものであり、聖書の言葉以上の真理を持っていると考えていたが、では、物理学・科学で命が造れるか?と問われれば首を振ってしまう。そこは全知全能者が現れなければ謎はとけない。だが、今のイラン戦争・その他もろもろの戦争を見せつけられると、宗教が絡んでいて、すんなりと信仰が結びつきはしない。逆に宗教が戦争に加担し、煽っているのである。

 話を戻すと、人体、同時にすべての生命の体は左右対称形である。左右に均等に重力がかかっていないと、まっすぐ歩くことも走ることもできはしない。体だけでなく心もそうである。安定していなければ適格に物事に冷静に対応できはしない。

 小説の話に戻ると、彼にも当然、心の均衡状態はあるのであるが、彼の主治医が言ったごとくストレスに弱くてバランスが崩れやすいのである。それは障害というしかない。そのために彼は四十年近くも入院し、そこで生涯を終えようとしている。

 小説は彼の人生、そして私の人生により組んでいるのである。

冷蔵庫葉を出す人参春知るや

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日記
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nakamura 2026-3-29 10:14

 俳句です。

不幸は幸福を呼ぶ

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日記
執筆 : 
nakamura 2026-3-28 7:42

  私の今の生活は相変わらずの貧乏、老化の中にあり、出口はない、のである。これでも死なずに生きている、朝、布団の中から辛うじて起き上がり、食パンとコーヒーの食事をとる。週に三日のアルバイトをこなし、買い出しをし、食事の用意をし、俳句を毎日書き、投稿する。良い生活じゃないか?という人もいるであろうし、弁当配りのアルバイトをしていて、寝た切りの老人に会うこともあり。自分の幸福度が見えてくる。

 自分がなぜ不幸なのだろうか?と考えることがある。すると見えたのは、曇り空が毎日続くような停滞感なのであった。このままの状態が死ぬまで続くという、固定観念であることに気づいた。自分が起き上がれなくて寝たきりになるであろうが、それも停滞感から逃れるのことなのである。

 こんな話を聞いた。寝たきりになった父親は二階の天井から叩く音が聞こえると言い、息子が不思議に思っていると、小さな鬼が金剛杖をついて、俺を迎えに来たと言い、数日後に亡くなったという、

 一人住まいの私の家でも時々、不審な音が聞こえることがある。

 もしかすると、金剛杖を突きながら迎えに来たのかもしれない。

  イラン戦争が始まって一週間は経つが、ニュースを見るたびに絶望的な気分になる。ウクライナ戦争が小康状態に入り、そろそろ終戦を迎えるか?という最中である。トランプは数週間で終わると言いながら、戦況は泥沼化の様相を見せている。

 毎週、教会に通い始めて、五年にもなるわたしにとっては複雑な気分である。イラン、イスラエル、アメリカとそれぞれ宗教色のある国がその国民が人殺しに巻き込まれ、殺しあうなんて、理解できない。汝の敵を愛せよ、などと聖書で学びながらその言葉はどこにいったのか?と考え込んでしまう。

 自分のことを振り返ってみよう。研究のために礼拝していると言いながら、手を合わせながら、自分自身は信仰の前と比較してほとんど変わっていない。過去に憎んだ者への憎しみは消えていないし、女への好奇心は衰えはしない。

 台湾有事が起これば、高齢のため戦争には参加できないが、敵国への憎しみや闘争心はあっという間に起こるに違いない。自分以外の者もそうであろう。そこで、汝の敵を愛せよ、などという言葉は浮かびはしないだろう。

 うちの庭には農小屋が四つも立っていて、風が吹くたびに叫びだす。以前は屋根にブロックを置いて動かないようにしていたが、その元気もなくなった。

 風が吹くたびに錆びトタンは、悲し気に、泣いている。

物価高がGNPを押し上げる怪

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日記
執筆 : 
nakamura 2026-3-3 7:21

  スーパーでカート整理の仕事をしているが、開店時に店長がマイクで従業員たちに話をする。昨日の売り上げは三百・・万円で前年同期と比較いして十万・・円の売り上げ増です、というような内容で興味深く聞いているが、なにかおかしいな?と考えていた。

 前年度より物価はすごく上がっているのにその数字はどこにはいっていっるのか?そのことは持ち出さないのである。物価が上がれば売り上げも上がるのは当然であり、景気が良くなったわけではなく消費者はしかたなく買っているに過ぎない。だから売り上げが増えたというのは嘘であり、深く考えない人たちは信じてしまいながら、自分の生活がますます苦しくなっていると関連付けないであろう。

 賃金の場合は実質賃金と名目賃金が区分けされているのではっきりしているが、物価高に賃金は追い付かず、いつも遅れている。まるで朝三暮四のからくりであり、これがあらゆるデータに使われていることは、すべての統計数がでたらめである、といっても過言ではない。これで世の中が狂わされているのではないか?政治家にとっては都合のいい数値を出して正当化することができるのである。

 カフカが小説の中でかいているように、虚偽と欺瞞の世界なのである。とくにフエイクが入って来てからは何が何だかわからない世の中になってしまっている。

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