ブログ - 20200405のエントリ
前のブログと重なるところが多いけど、もう一度、確認もかねて書いてみます。人類は長い間、二元論に支配されてきた。光と陰、神とサタン、男と女、幸福と不幸、精神と物質など日常生活においての考え方さえ、常識という権威になって、そのもとに置かれていたが、今回のコロナ禍において、わたしは目から鱗が落ちた気持ちになった。それはコロナが生物と非生物の中間に属し、物質だととらえる学者もいるという、新聞報道であった。つまり、独立しては生きていけず、寄生しなくては繁殖できない、生命でもない非生命でもないというとらえかたである。
これは二元論ではもう説明がつかないのである。量子力学の、1でもあり、0でもある、それらが重なり合っているという考え方でしかとらえきれない。シュレディンガーの猫、というたとえ話は量子力学の中では有名なものであり、毒ガスの噴射する箱の中に猫を入れている、猫は生きているか?死んでいるか?を問われて、生きてもいるし死んでもいる、という禅問答のような答えを出しているのである。胎児は最初の頃は中性の状態であるが、数か月後に男か女かの生殖器が現れて、どちらかになるのであるが、男女の割合がほぼ同じになるという不思議な原理がある。
コロナだけではないが、ウイルスそのものは生命でもあり、物質でもあるのではないか?人間が肉体という物質で出来ていながら、精神ももっているのと同じくして。
今回のコロナ禍において、哲学者や評論家はもっと考え方を変えていかねばならない。