ブログ - 20200421のエントリ
相変わらずコロナの繁殖力は旺盛で、人類の被害がいとまなく報道されている。コロナにとって人間は大事なエサにしかすぎないものなので、決して絶やすことはしない。コロナはそれを考え、推測し計算しながら、繁殖に取り組んでいる。コロナの終息の日が来て、人類が原状回復に励み、(復興)の文字がメディアに出る頃、コロナはひとまず曳いて、次の戦略を考えるに違いない。
人類も当然、次の対策を練るのであるが、そこで被害の肉体的社会的症状にばかりに目が向いたとすれば、コロナの次の攻撃は今回よりすさまじいものになるに違いない。人間の被害も大きくなる。
コロナの発生は、人間の森林破壊・自然破壊が原因で、旺盛な繁殖はその反作用なのだからである。
だから、わたしたちは、コロナも同じ命あるものである、ということを考えねばならない。生命の共通の祖先は一つであることは科学でも証明されているから、コロナも同じ祖先ではないか?そして、そこでは同時にコロナも生物であるという定義に変えられなければならない。ウイルスが生物と無生物の中間に属するという定義ではなく、生物としての(生きる権利()があり、それを認めてやらねばならないのである。
人類みな兄弟であり、そして、生物みな兄弟なのである。コロナもわたしたちの兄弟なのです。可愛がってやればなついてくるはずです。
そして、わたしたちはご飯を食べる時、(自然()に感謝と償いをかねて両手を合わせ、黙とうしましょう。雑草に除草剤をかけて毒殺してはいけません。出来るだけ農薬や化学製品は使わず、野菜や花を育て、自然に寄り添いましょう。畑がなければ、プランターに種を播いて野菜を育て、水をやりながら自然と共に生きていることを実感しましょう。