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落花生大地を母に産まれしや

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-22 9:20

  落花生は地面の中に実を付ける、と言う話を聞いて、不思議に思い、半年前に種を植えてみた。初めてのことであったが、丸いクローバのような葉ができて、これが落花生だと思い、そのままにしていると成長し、そろそろ実をつけたかな?と思って、掘ってみた。

 すると皮を付けた実が、ぞろぞろ出てきて、誰かが言っていたようにジャガイモを収穫するみたいであった。調理の仕方をネットで調べて、塩ゆでにしてみた。二十分ほど煮て、冷まして食べ、酎ハイを飲みながら食べ美味しかった。

 教会に半分を持って行って、残りはまた塩ゆでにしてみたが、美味しくなかった。フライパンで炒めた方がおいしいみたいと、牧師にメールしたのであった。

 だが、落花生とは不思議な植物ではないか?と考え直した。たぶん、実が食われることを防ぐために、花が地面にもぐって、大きくなるのであろうが、その知恵は誰が授けたのか?と考えると、やはり、神としか考えられない、収穫されずにこぼれ落ちた種は地面の中で翌年に、芽を出すのである。

 よく考えてる!賢いな!と思った。人間並みの賢さではないか!

 色んな木の実や野菜の実があるが、そんな考え方や生き方をするのは落花生だけではないだろうか?

 落花生は大地を母として、成長し生きているのである。

世界一の自殺国が世界から羨望される

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-21 8:00

  日本は世界一の自殺国である。若者や児童に自殺が多く、際立っている。それでいて、観光立国になり、外人にとって世界一訪れたい国なのである。これはデータ上の話だと理解する者は少ない。

 道を歩いていても野良犬を見かけることはまったくない。かれらは保健所に捕獲されて里親に引き取られるかトサツされるだけである。野良犬としては生きていけないのである。猫も同じで里親に引き取られても去勢・避妊され、子供を残すことはまれにしかできない。そして、彼らの権利が奪われていると主張する者もいない。

 外人の観光客がテレビに出るが、かれらは美味しそうに寿司や焼き肉を食べて、大喜びである。その有様を見て、わたしたちも楽しくなる。街並みもトイレも綺麗、電車も時間通りに来るとかれらはほめあげるが、ベンチに寝ころんだり、路上で歌を歌い、ギターを弾いたりすることができないことには気づかないのである。もちろん、この国の自殺率のことなど持ち出す外人はいないし、その部分はカットされている。

 こうしてデータによって本当の姿は隠されてしまうのである。そしてある時、信じられないような事件がおこって、あんなおとなしい人がなぜあんなひどいことをしたのか?とメディアの好材料になる。

 いろんな種類の物差しを使って記録を公表し、人々はそれを信じ込まされているだけなのである。一つの物差しがないので、どんな姿でも自由に変えることができ、とんでもない時代がやってくる。怖いことである。

政治とは利益供与である

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-20 8:12

  出来の悪い自分が大学で政治学科を選んだのは、その世界が外交を含め、人間関係臭かったからである。全共闘の運動にもまれ、仕事についてからは労働組合を立ち上げて、闘った。けっきょくはNHKに負けたが得るものは多かった。

 77歳になった今、言えることは結局、政治とは利益供与の世界なのである。それが当事者や一部の者に利益を与えるのか多くの者達に与えるのかの違いにしか過ぎない。独裁国家であれば権力者や取り巻き連が対象であるが、民主主義となれば多数の票をとらねば政権がとれない。

 さらに政治家の公約と言うのはその公約でいくら票が取れるかであり、政治的信念と異なる場合が多い。人気取りになってしまうのが今の民主ア主義である。だから、世界や政治は変わり様がないのである。有権者も利益供与にふりまわされてしまう。あなたの息子を良い会社、良い大学に入れてやる、良い仕事を与えてやるということになればほとんどの人間は票を入れてしまう。

 その団体がすごい力をもって世の中を動かしている。目には見えない力で支配しているのであり、そのことに気づかない者が多い。

 けっきょく、民主主義とは堂々巡りの構造であり、そのことに気づいて立ち上がらない限り、堂々巡りをして崩壊してしまうしかない。自然そのものに利益をかえす、ことを叫ばなければならないのである。

規格外の時代がやって来る

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-19 17:20

  今乗っている車が古びてしまい、買い替えなければならなくなった。車歴が15年、走行が12万キロである。タイミングベルトが切れるかもしれないので修理した方が良い、と言われながら、金がないので放置したままで、いつ止まるかわからない。ベルトが切れればエンジンが止まり、ブレーキもきかなくなる。走行中にとまってしまえばどうなるか?恐怖をおぼえながらハンドルを握っている。

 そこで考え直した。修理するより、中古で買い替えた方が良いのではないか・・・。あと何年生きるかわからないので、リースでやってみようと、販売店に行って話をした。けっきょくローンを組んで分割で月々払うのはどうですか?と言われ、計算してみると金利がかかり車代はほぼ二倍のなっていた。そこで、傷だらけの車は売ってないか?と尋ねると、売ってないと言う。ぼこぼこに凹んだ車でものれればいいと思っていた。

 骨董品やその他の品でも傷ものは売っているのに車にはない。

 ここで話は跳ぶが今野菜がすごく値上がりして、ひどいのは半年前の二倍にもなっている。生活が苦しくなった家庭が増えている。以前から、思っていたのは規格外の野菜を生産者はなぜ出さないのか?とおうことである。それは消費者が買わないからだと、今はわかった。

 自然が破壊され、災害が頻発し始めた現代、考え方を変えなければならなくなったことに人々は気づき始めるのではないか・、と思う。虫食いのキャベツ、曲がったキュウリ、ナスなどほとんど廃棄されているのである。たんに見栄えが悪いからであるが、それらに手をけなければ生きて行けなくなるのである。大量生産、大量消費、快楽、利便性の時代は終わったのである。

 人間も規格外の人、レアが見直され、世の中が変わらなければならない。政治を社会を変えます、自民党をぶっ壊します、と言いながらどこも変わりはしないではないか!今こそ、レアが立ちあfがるべきではないか!

 

  今日は今年最後の草狩りを、終えて、ほっとしている。三十年前まで住んでた家だが、借地であったために地主に返し、そこの草刈りを毎年頼まれている。春、夏、秋と年に三回刈って、4万円をもらい正月を超す貴重な収入源である。二百坪であるが、全面に草が生え、一回につき三度刈っている。

 二週間前に入口の手ごわい草を刈り、疲れていたし、本宅の草刈り、野菜作りもしなければならない。長い草が草刈り機にしがみつき、三度、四度と刃を叩きつけねばならい。十分もやると汗まみれになり、十月末の今になっても酷暑は衰えない。昨日はススキの生えた場所に入り、四分の三ほどが軽く刈れて安心していた。今日は仕上げの場所であったが、枯れた子竹があちこちに放置され、刈りにくかった。

 昨日、ブタクサの中に白百合が一本伸びているのを発見し、あさっての日曜日に教会に持って行こうと考えていた。セイダカアダチの黄色い花がブタクサと呼ばれていることを最近知った。何とも面白く、ブタクサと呼ばれて気の毒になっていた。人の背丈にも伸びる頑丈な草だが、人間にとっては邪魔になるだけである。その中に白百合がスタイルよく伸び、まわりのブタクサたちを見下すように咲いているのであった。やはり野草とはちがう高貴さがあって、人間世界を思わせる。枯れ木の幹に腰を降ろし、水を飲みながら、ゆっくり鑑賞したのである。

 球根で増える花がなぜ、こんなところに生えているのか不思議であった。以前住んでいた頃の記憶にはなかった。球根系であるが、受粉をして種にもなるのである。鳥が食べたりあるいは風によって運ばれるのであろう。

 よく考えてみると花はもともと野草であったが、人間に可愛がられて(花)に昇格したに過ぎないのである。故郷の空気や仲間の草たちを思い出しながら悦に入っていたにちがいない。白百合のまわりのセイダカを刈り取っていくと、白百合はもたれていた仲間を失い、倒れそうになっていた。まわりは残してやり、明日、切って教会に持って行こうと考えた。

神は人によってつくられた?

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-10 8:22

  心臓のバイパス手術を十年前に受けて以来、キリスト教に興味を抱いて、五年間ほど教会に通い、研究と信仰をしてきたが、近頃、神は人によってつくられたのではないか?と考えることがある。信者たちは聖書は神の言葉を写し取ったものだと信じて疑わないが、教会の勉強会で大学院の神学部を卒業した先輩が興味深いことを話してくれ、考えさせられた。聖書の原本は中近東の洞窟の中から発見され、壺の中に入れられた巻き物であったと言う。それはパピルスや羊皮紙に書き留められていたが、崩れてぼろぼろになった部分があり、それで削除された部分があると言い、写真に残ったそれらの個所を見せてくれたのである。

 何度も編集をされ、出来上がっていった。

ようするに人の手が加わって聖書は出来上がったのである。伝承や噂話が含まれて、あれだけ偉大な聖書が出来上がり、すごい物語が書かれ、いまだに世界のベストセラーである。

 キリストの磔刑、復活、人類救済の部分であっても、その話とは別な理由があったと考える。イエスが自分は神の子だと言った時、それはユダヤ教を乗っ取ることだと、ユダヤの教徒は考え、殺したのではないか?それが贖罪のために磔刑になったということになっている。

 それに、神は食べてはいけない木の実の話をしたり、苦しみ泣く者たちの涙を救ってくれるたり、人にかわって復讐をしてくれるとか、ノアの洪水においては一度人類を絶滅させたり、いろんなことをしてくれるがそれはどこか人間臭いのである。奇蹟や予言など人類の希望や願望が加わっているように思える。

 こんなことを書く自分はまだ聖書のことを知らないのかもしれないが、まだまだ未知の領域がありそうである。

 

 

沈黙の春、が来る?

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-8 6:44

  柿の実が赤く色づかないし、青い実もふだんの三十分の一くらいの出来具合である。もうすでに色づく時期であるし、店頭には色づいたのが並んでいる。トマトもピーマンもキュウリも腐ったり虫に食われたりしてほとんど収穫ができなかった。梅の実もほとんど成らず、今の時期にカボス、はっさくは一個も成らず、レモンも小さいまま色づかない。年々少なくなっていたがこんなことは初めてである。

 恐ろしくなった。もしかすると、来年の春は、果実が花をさかせず、あの本の表題どおり、自然は沈黙してしまうのではないか?

 エアコンを使え、使え、とわめきながら、数十億の人間がエアコンを使ってしまったらどうなるか?マスコミは考えないのであろうか?ニュースか広告かわからないような記事を出すマスコミは、広告取りの金の事しか考えないのか?せめて節約してエアコンを使いましょうと言うべきである。

 自分の命はあと数年だから、逃げ切れるとは考えたくない! 

命はみな兄弟

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-4 7:10

  このブログの一つ前に、植物は近親交配をさけるために、一つの茎から出たおしべとめしべは受粉しないと書いているが、それから連想することがあった。近親交配をすれば生命力が弱り、劣性遺伝を繰り返すようになることを植物は知っているからであろう。花はなぜ美しいのか?ということもブログに書いているが、美しくなければ蜂も蝶も寄って来ないからである。そこで、結論を言えば動物も植物も人と同じく、考えたりk、感じたりすることができるということである。

 広い屋敷の草刈りをほぼ毎日やっているが、そこでもいろんな発見をする。近頃は外来種のツユクサがはびこり手を焼いている。草刈り機で一振りでは切れず、茎は長くのび、その上、あちこちで根を張っている。草刈り機の刃に絡みついて離れない。

 そして、おどろくことに国産のツユクサもそうであるが、切っても枯れないのである。水分をたっぷり体に蓄え、数か月でも持ちこたえる。さらに切られた茎から根を出して、地面にふたたび張っていく。刈った草を一か所のまとめておかないと数か月たてば元の木阿弥になってしまう。他の植物や動物ではとうていできないことをやっている。カヤやヤブガラシであれば一回刈れば数か月はもつのであるが、そのツユクサが前面を占領してしまえば大変なことになる。草まみれの家になってしまうであろう。

 猫の動画をスマフォでよく見るが、アヒルの子供が親猫のあとについて行く光景が出て、わたしは熱心に見ている。普通であれば猫はアヒルを食い殺すのであるが、その子供をかわいがるなんて信じられなかった。

 聖書に妖精や聖霊、霊の世界が出てくるがあれは本当のことだと思う。命はみな、兄弟姉妹なのである。

 

産まれる前から結ばれていた

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2024-10-3 9:46

  カラオケを歌うことは、老後の人生の中の大きな楽しみの一つです。十一月に、岡垣サンリーアイで歌うことになり、少し緊張しています。三度目の出場で、文化祭の一つのイベントで、出場は無料です。

 何を歌おうか?と迷っていますが、(命くれない)にしようかと思っています。歌いやすいし、歌詞の内容も気に入っています。(産まれる前から結ばれていた。そんな気がする紅の花・・)という言葉は日頃考えていた男女関係にすごく通じるのです。

 77年の人生の中で、自分の出来事も含め、いろんな男女の関係を見てきましたが、結びつきは生まれる前からきまっていた、というよりもともと一つであったものが分離してしまい、まわりまわって(よりをもどす)ことではないか?と考えていたのです。聖書の創世記の書き出しの部分においても、男のあばら骨から取り出されて女が産まれた、と書いてあるように、もとは一身同体であったのです。異性を求める必要もなかったのです。植物の世界にも見られるように、雄と雌が一つの株で生きていたのです。ところが一つの株のオスとメスは交配が出来なくなり、遠く離れた雌雄を求め、結ばれる仕組みに変わってしまったのです。そうすれば自然い運動能力が発達するからです。これは神の働きかもしれません。

 人間世界においてもいくら努力しても結ばれないけど、ふとしたきっかけで結ばれ、離れなくなってしまうケースがあります。ところがうまくいかず、他人がいるる前でも彼らは大声で喧嘩をし、あるいは三十年間も家庭内離婚の状態にありながら別れない場合があります。これらは、生まれる前から結ばれていた、にちがいありません。

 元のさやの中に納まったのだから、ある意味では幸福なのかもしれません。

  七百坪の敷地の草刈りは一年中刈っても終わらず、始めの場所に戻ってしまった。そこの草の方が刈りやすく、少しでも成果を見せてくれるからである。残りは外来種のツユクサで一振りで刈れない厄介者である。また刈るわけであるがいつのなるのかわかりはしない。年中にはかたずけたい思いである。

 椅子に座って、そんな事を考えていると、涼しい秋風が頬に寄せ、慰めてくれるように思えた。父母は亡くなり、一人ぽっちの屋敷で労をねぎらってくれる者はいない。地獄の釜茹でように暑かった夏がよぎり、秋風の優しさに思わず涙した。

 札幌首切り事件、イスラエル戦争、台風災害、米野菜の不作、兵庫県知事の事件、など人間世界は相変わらず、混乱したが我が家は栗だけが順調に実をつけ、家計を助けてくれた。落ちてしまってそろそろ終わりを迎えそうであるが、体を開いて身を落とす栗をみると、心が温まる。栗は与えることによって、実を広がせ、生きているのである。

 自分と同年配の者達は入院したり、杖をついて歩くようになったりしているが、まだ自分は二本の脚で歩ける。膝が痛むが一万歩も歩くカート作業もこなしている。

 椅子に座った自分の背後では、使い古した鎌が草の中に転がっている。

 (野垂れし鎌や刃先覗かす)

 である。 

 

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