ブログ - 202104のエントリ
野人の生活をしている。退職後にこんな生活が待っていたなんて想像もしなかったが。
屋敷内の畑の農作業、それに竹の子を掘りに行ったりで、半年間も電車バスに乗って出かけてはいない。スーパーに食材の買い出しに行くと、若い女や子供の姿に目が向いてしまう。子供は可愛いと思うが、二人の息子は家を出たまま音信不通である。
この前、スーパーでスカート姿の若い女を見て、胸がときめいた。近頃はズボン姿の女が多く、スカート姿は少なくなった。その女はクリーム色のスカートをはいていた。膝が隠れるほどの長さで、ロビーの椅子にすわると、膝が少し割れて、腿が見えた。思わず、目線をとめて、見入ったが、そこで目線を外したのはセクハラを気にしたからであった。
だけど、考えた。今の時代は女子スポーツ選手の体操着の股のあたりの写真を撮ることがセクハラだと言うのである。もちろん、女の側がそのことを言うのであるが、スカート姿の女みたいにセクシーを魅力の一つだと考える者もいるのである。そのあたりはどうなっているのであろうか?たぶん、セクシーを魅力の一つであると主張などしようものなら、一斉にパッシングを浴びるに違いないし、男が主張しようものなら仕事や地位、名誉をうしなうの違いない。
セクハラが世論の一つになってしまい、権威をもってしまったことは恐るべきことである。世論のひとつになってしまえば、どんなことでもまかり通るようになり、あらゆることが権力をとって変わることになる。この事態を有識者たちはどのように考えているのだろうか?いや、そんなことを持ち出すことが身の危険をさらすことになってしまうのである。
ここではっきり言おう。セクシーはいけないことではないし、おかしな世論こそ問題にすべきなのである。
大学の法学部政治学科に入学したのは、政治に興味があったからであった。その世界の人間臭さ、特に外交の分野における国際関係は人間社会における人付き合いと同じで興味をそそられ、そこから学ぶものを探していた。そんなわたしは人間関係が不得意で、通信簿にはいつも協調性に欠ける、と明記され、引きこもりの性格と短気の混じった変わり者であった。
70年代、80年代の大学闘争の影響をうけ、このホームページに書いているように原始共同体に夢を抱くようになり、政党を結成したいと考えていた。帰郷してからは海老津駅南開発反対運動に加わり、訴えや署名活動をしたが、町議会の評決で負け、政治と民意の実体を見せつけられた。
この前、ある県議員と出会い、ゆっくり話したいと考えながら、つい日々の生活に追われている。その県議員は県民とのパイプ役になるというスローガンを持っていて、それについて意見を聞きたかったのであった。(さも立派なスローガンのように聞こえるけど、はっきり言ってあなたは県民の小間使いのような仕事をするのか?こんな政策こんな政治というのはないのか?海老津駅南開発反対の時、あんたは町会議員だったけど、開発の賛成に回り、結果的に20億円の予算をどぶに投げるようなことをしたじゃないか?その反省はないのか?)と聞いてやりたい。たぶん、(これからあの道路の周辺には家が増え、結果が出て来ます)など言いわけすることは目に見えている。
ここで問題にしたいのは、票をとるための政治スローガンのなか?自分の信念なのか?ということであるが、政治家になるには票をとらねばならず、民主主義のシステムというのはその入り口からして、自分の信念とのずれが生じるようになっている。だから、ほとんどの政治家は信念から遠ざかり、国民の目先の生活、利益に追従してしまい、本来の国づくりから外れてしまうのことになるのである。国民が目先の利益より将来の夢にかけるようにならなければ堂々巡りになってしまう。環境問題にしてもそうである。目先の生活、利益しか考えなかったから自然を破壊していったのであり、それを元に戻そうとして温暖化防止につとめ、それは政治のやる仕事になるのである。
三日前の毎日新聞に、コロナの変異株はコピーミスによってできた、という記事が載っていた。それは
感染症の権威者の言葉であり、わたしの眼を引いた。変異種ではなく、変異株と表現しているのはまだ種にはいたっていないという判断からであろうが、従来の種から置き換わっていっており、新しい種をつくっているのである。それが数倍の感染力を持っているということは注目すべきことである。だが、それがRNAをコピーして増殖する時点において、ミスをしていると判断しているのはオカシイとも考えた。感染力が増したと言うことは失敗ではなく成功なのである。本来、コロナは単細胞であるから異種どうしの交配によって違う種類をつくることはできない。コピーミスをしたように見せかけて、多細胞生物のようにワクチンに負けない種をつくろうとしているにちがいない。感染力の弱い株は競争に負けて消えていく、つまりコロナは多細胞生物の持つ競争原理を導入したのではないか?人間がワクチンをつくってコロナを絶滅させようとするのに対抗しているのである。
これは米中が覇権争いで果てしない闘いをしているのと同じであり、今後のコロナVS人間の果てしない闘いを予感させるといえるのではないか?恐るべきことである。
人間の独断でミスと規定することはコロナの戦略を正確にとらえきれないということになり、今後のコロナ対策にも支障をきたすことになるであろう。コロナは人間以上の思考力・判断力をもっており、今回のコロナ事変で人間の知性を試しているのでもある。
従来の人間の視点から生命本来の考え方に変わり、人間中心主義から脱却しなければならない。
コロナは変異種に変身することで(進化)していると判断すれば、人間の側ももっと観点を向上させて進化するべきである。
借金はなく生活保護もらわず健康で、生きている。あと何年先までこの幸福がつづくかわからないが、幸福であることにはちがいない。小説を文学賞に応募し、懸賞金が一千万円で、半年先に結果が出る。半年間の夢を手に入れ、夢が消えれば、また、夢に投資する。知り合いもその作品に感動し、読みやすい、胸に迫って来る、といってくれた。
屋敷内にある畑にナス、ピーマン、トマト、スイカ、カボチャを植え、伸び盛りの草を草刈り機で刈っているが、竹の子も掘らねばならず、忙しくなった。畑だけで四十の畝があり、友人に四畝ほど貸したので、週に一度は耕しに来る。食事を出してやり、おしゃべりをする。
こんな話を聞いた。カボチャとスイカ、をそばに植えるとケンカしてうまく育たない、という。おどろき、面白くなった。まるで人間みたいじゃないか!なぜか?と考えてみると、どちらも長い蔓をはわせ、大きな実をならすので、自分のテリトリーを確保しようとして、争うのであろう。人間世界もそうである。この前も、ある会の男と喧嘩して、脱会した。ある知り合いは、あんたはいろんな会に入るけど、すぐやめるね、と言った。その分会長に、この組織に学ぶものはありません、とメールしてやったし、その組織に会員の相互扶助をしきりに訴えても聞く耳をもっていなかったのである、誰もその意見に共感する者もいなかったのである。毎月、新聞を配って会費を取り、年にニ三回のイベントだけをやる会に何の意義があるだろうか?
ずるずると組織にひっぱられ、会員の勧誘や集金をさせられたりして、何の意味があるだろうか?
畑の草むらの上にねそべって空を見上げ、ぼんやりしてる方がましである。植物は正直に生きているし、その生き方をみれば人間世界以上に学ぶものが多い。
コロナの感染状況を新聞などで知ると、イギリスではワクチンの接種率があがって、感染者はすごく減ってきている。生活への規制もゆるくなってきていて、喜ばしいが、はて、このまま収束の方向に進むのだろうか?と考えると、まだ、油断を許さないのではないか?と考えてしまう。
そこで、(コロナとの対話3)、である。
コロナ・わたしたちは瞬間的に全世界の人間、動物の感染数をとらえることができます。私たちの寿命は一週間ほどなので、その減少数をひいて将来的な増減の予測もできます。ワクチンの効果も知っているし、将来的な予測もしています。
人間・ではどうするおつもりなのであすか?
コロナ・このままではわたしたちは二、三年のうちに絶滅してしまいますから、ワクチンの利かない種を送り込みます。もう一つ次の手段として、別の種を用意しています。
人間・どこまでも闘いつづけるのですか?
コロナ・闘わなければ生きていけないじゃないですか?あなたたちが私たちの生存の保証をしてくれない限り、闘い続けます。生存の保証をしてくれるのですか?
人間・
コロナ・そう、返事がないのです。いつものように都合の悪いことになると黙りこくってしまう。
人間・
コロナ・あなたたち人間はたしかに地球上でもっとも賢い種であったのですが、大きな間違いをしてしまいました。それは、眼に見えない世界を無視してきたということです。田んぼの中のザリガニ、アメンボ、ゲンゴロウ、ドジョウなんかが、今では一匹もいなくなったのにそのことを話題にしたり、学校で教えたりはしなかった。かれらは絶滅の憂き目にあったのですよ。
人間・
コロナ・それにくわえて、まだ平気で田んぼの畦道に除草剤をまいたりしている。
人間・除草剤は害がないと説明書に書いてあった。
コロナ・それを信じるんですか?草が死ぬと言う事は人に害がある、ということじゃないですか?同じ生命ですよ!
人間・それはちがう。・・こういうことですよ。農薬に殺されない稲をつくっていますから、農薬を撒いて草は死んでも稲は死なないのですよ。
コロナ・だから、農薬は害がないと言えるのですか?
人間・農薬は大気に混じって消えていきます。
コロナ・?大気に混じって消えていくのですか?消えていきません。大気に混じると、雨になって戻って来るじゃないですか。それが水になって、人がのむことになるのですよ。
人間・そんな話は聞いたことがないです。
コロナ・あなたたちの想像力が貧しいだけです。これでは私たちには勝てないですね。
人間・・・・・?
コロナ・あなたたちは自分の知ってる世界しか知らないくせに、世の中のすべてを知ってるような顔をしている。そこが問題なのですよ。私達コロナの世界だってこれまで同じ命だと言うことを考えたことはありますか?
古代ヨーロッパにおいては、宗教、科学、政治、哲学は一つの考えで、普遍性を持っていたが、王権分離説が世に出る頃から、それらは分離し、独自の道に分かれていった。そこから世の中は普遍性をうしない、混乱が起こったが、今では、デジタルつまり科学が圧倒的な優位性を持ち、世の中を支配している。
いま、コロナが人類を襲い、混乱させはじめて、科学・医学、政治はさかんに口を出すが、宗教、哲学は黙りこくったままである。所在を失ったままである。聖書も二千年前に書かれた内容を継続しつづけるだけで、書き加えられたり、改変されたりはしていない。コロナにたいし、意味づけをしない。哲学も新しい思想を生んではいない。
ここで自分は、コロナをキリスト教的にとらえ、聖書の中に加えてみたい。神はコロナと言う御使いを人類の中に送り込まれた。(創世記)の中の、(禁断の木の実)の話にあるように、コロナを蛇として、送られたのである。快楽と利便性、人間中心の考えに溺れた人類に対し、さてどうするか?と、人類を試されたのである。
コロナを精霊・神の御使いとして、一生命として認めるか?あるいはデジタル科学によって消滅させてしまうか?に、判断をゆだねているのである。どんな世界にも対立物は存在していて、対立することで力を強め、自己変革をしていくが、人間中心主義は変わらなかった。
そこで、人類は自己変革を求められているのである。
科学はスマフォやコンピューターなど魔法の機械をたくさん産んできたが、アナログからみれば俯瞰性に弱く全体を見る視点が弱い。逆に宗教や哲学はそれに強い。そろそろ、両者がひとつになって、この世を統一し、コロナ禍に決着を見出すべきではないか?
感染率の数が協定で結ばれたとはいえ、全人類側とコロナ側は少しでも自分たちの数を増やすことで譲歩する気はなかった。
ここで断っておきたいのは、この対話は全人類側はデジタル言語を使い、量子力学のスーパーコンピューターで解析され、情報のやり取りをしたのである。コロナ側にはテレパシーの機能があり、テレポーション(瞬間移動)でできたから、コンピューターは必要がなく、瞬間的にプリントすることできたのである。それだけ、全人類側より早かった。
だが、コロナ側は自分達の不利な部分も知っていた。それは、単細胞生物の宿命から逃れられず、一個がワクチンの力で流産することになればすべてがそうなることであった。多細胞の全人類側は多種類であるから、全滅はなく、生き延びる者もいるのである。そこが両者の決定的なちがいであり、コロナの側は単細胞であるから不利ではないか?と、全員が考えていた。
また、もしかすると、次のように考えているのではないだろうか?
人間界の政治体制には、中国の独裁体制とアメリカの民主体制が争っており、今回のコロナ事変では独裁体制が結集力の速さを見せて勝ったが、今後はどちらが勝つかわからない。また、その態勢は単細胞の独裁体制と多細胞(多様性)の民主体制、さらに、デジタルとアナログ、また、数字と文字の領域にまで関係してくるのではないか?
ますます、混迷を深める時代になった、とコロナ側も考えたのである。
ワクチンの接種がはじまっても、コロナ禍は続いている。緊急事態宣言や時短の解除、再開を繰り返しても、次の波が押し寄せて来る。そのうちコロナ疲れから、諦めに変わるかもしれない。
食物連鎖の頂点に立っていた人類の敗北である。
もうそろそろ、たかが微生物である、という視点から、知性も戦略も持った生き物である、という対等な相手と認識すべきではないか?人間の他の生物に対する優越意識・差別感が逆に相手を有利に導いているのである。もう、対話をしながら交渉に持って行くべきではないか?
(コロナさん、あなたたちの考えは十分にわかります。単独では生きていけないので他の生物に寄生するしかないのですよね。でも寄生されて殺される方にとってはたまりません。ヘルペスさんみたいに殺さずに寄生することはできないのですか?)
(それが出来ればそうしますが、わたしたちは種がちがうのです)
(そうでしょうねえ。だから強いのでしょう。だけどこのままではやがて、人類の方が疲れて減っていくばかりになりますよ)
(滅亡してもらっては困るのです。生き延びてもらわなければわたしたちも生き延びれません)
(でもあなたたちは変異種を出してきたじゃないですか?)
(それはそちらがワクチンを開発したからですよ。仕方ないじゃないですか?)
(そしたら、こちらは次の変異種をだしますよ)
(これじゃいたちごっこじゃないですか?)
(そろそろ、手打ちをしませんか?あなたたちは人類の何パーセントを感染させれば目的を達成するのですか?)
(では、逆に、あなたたちは人類の何パーセントまで感染を認めるのですか?)
そこから、コロナと人類代表の話し合いはつづき、妥協の数値が見えてきた。・・パーセントという数字で決まり、生贄が決まった。それ以降、コロナは食物連鎖のトップに立って人類と肩を並べ、共存していくことになった。コロナ騒動は一応の決着をみたのである。