ブログ - 20200424のエントリ
自分の家の前には小川が流れ、脇の道は町民の散歩道になっている。学校が休校つづきのせいか、小中学生が川で釣りをしたり、散歩をしたりするようになった。今朝は、女児がハイカラなスカートをはいて、ヤンママに手を引かれて歩いていた。可愛いと思った。自分にもあんなも孫がいてもいいはずなのに、二人の息子は家を出て、就職したまま、音信不通である。
女児を見ながら、空が広く見えるのに気づいた。女児は小さいから、その分、空が大きいのは当然であるが、コロナ禍を脳裏に浮かばせながら、もしかすると、我々現代人は自然界からみて大きくなり過ぎたのではないか、と考えた。コロナ禍で多くの者は失業したり、収入が減ったりして、首を絞められるような悲惨に陥っているし、自分だってそうである。生活保護の受給か、ホームレスか、首つりか、と考え込んでしまうことがある。
だが、冷静に分析してみると、現状の生活を維持しなくてはいけない、という強迫観念に立っているから苦しいのである。ホームレスに落ちてテント生活をしても良いではないか。環境が変わることで色んな発見があるであろうし、助けてもらったりして、思わぬことに出会わないとも限らない。ホームレスの人々は生きる知恵を我々以上に持っている。どこのコンビニがいつごろ賞味期限切れの弁当をだしてくれるかとか、寝る場所はどこが良いかとか、我々の知らないことを知っている。それに、世の中には素晴らしい人がたくさんいるし、それまでの引きこもり生活で出会わなかっただけなのかもしれない。
一度、そこに落ちて、女児みたいな小さな体になってみようではないか。そうすれば、空も大きく、未来も大きくなるはずである。コロナ禍の後の時代は価値観も含めて大きく変わるであろうし、変わらなければ人類の破滅である。
新しい時代の幕開けにならねばならない。