ブログ - 20161030のエントリ
昨日は俳句の会に行った。
ニンジンの種を播こうと考え、畑を耕していたが、膝に鈍痛を感じ、少し鬱になっていた。人に会えば元気が出るだろうと期待して行ったわけであった。
公民館の一室で行われるのだが、11人の80歳ちかい男女が集まっていた。今月、作った七つの句を出して合評しあう場になった。自分の出した句がどのように判定されるか不安と期待に混じる時間だ。
(野晒の死蝉を包む朝の雨)というわたしの句が俎上に載せられた時、女先生は頭をひねりながら、(死蝉ではなく、落ち蝉)と言った。わたしは初めて耳にするその言葉に驚き、考え込んだ。
最終的に、
(落ち蝉の骸を包む朝の雨)
と言う句に先生が更生してくれた。
わたしは日常生活にはない句が俳句の世界にたくさんあることを知って、日本語、日本文化を改めて考えさせられ、素晴らしいと思った。同時に退職して貧しい年金暮らしの自分の人生がまさに(落ち蝉)であることに気づいて、苦笑したのだった。