ブログ - 20161002のエントリ
これも先ほど浮かんだ句である。誰にも見せていないし、わかってもらえるかどうかもわからない。最初は(川流れ遅く早くも海に着き)であったが、季語がないから伝統俳句の対象にはならない。歳時記を開いて季語を探しても見つからなかった。朝刊を開いて俳句の欄を読んでいると一茶に出会った。(秋の夜や旅の男の針仕事)であった。驚くと同時にすごく感動した。一茶が俳句指導のために旅をしてる時に詠んだと書いてあった。日常的光景に近いものであるが一茶の手にかかると立派な作品に仕上がっている。(秋の夜)という冒頭句がすごい効果を出している。(蟋蟀声旅の男の針仕事)でも面白い句になると考えた。
タイトルの句は山から流れる水は曲がったりくねったり迂回したりして、複雑な道筋を通る。が、すべては結局大海に導かれ、皆一つになって平等な結果に至る。これを箴言じみたもので現したかった。その意味合い・意図が出てるかどうかはわからないがともかく考えることが楽しい。
俳句の素晴らしさに出会って、日々が新鮮さを持ってきた。
今朝、庭に落ちた銀杏を拾い集めながら、こんな句が浮かんだ。銀杏、栗、ドングリなどすべての木の実は落ちても重なり合わない。たがいの芽立ちと成長を認めているからである。それが豊かな自然につながっていく。人間の場合も女は同時に違う男の児を孕むことができない。受精時、数億の精子が卵子にぶっつかっていくが、先着したものだけが独占し残りは死に絶えていく。
だが、植物界の生存競争は動物にも劣らないほど激しい。ヤブガラシやドクダミをみてるとよくわかる。同種同志の蔓は巻き合わないが野菜などの異種となると全身に絡みつき、絶やしてしまう。ヤブガラシと言う名前が(藪を枯らす)ことに由来してることを考えるとその凄まじさがわかる。