ブログ - 20161012のエントリ
相模原の障害者殺傷事件のことが朝刊に書いてあったが、この事件は多くの問題提起をしている。犯人は殺傷することで障害者を介護する人達を助けて苦痛を減らし、障害者の死を(介錯)してやるようなことを述べている。現代の人権制度の矛盾をついている。
障害者は一つの個性であり、健常者の社会での異種混合と捉えるべきではないか?ニグロ、という言葉は差別用語になり今は使われておらず、ブラックという言葉に変わっている。白人たちは色の白いことが正常だと思うがアフリカに行けば色の黒いことが正常なのである。どちらが多数であるかによって正常と異常の区別・差別が起こる。
わたしはドモリという障害者であるが、肉体労働、集金、営業の仕事をして、自力で稼ぎ生きてきた。障害者という劣等感は学校時代にはあったが世間に出て克服してきた。この点からみると、障害者とは肉体や精神にハンディがあることが理由ではなく、自力で稼ぎ生きていけるかどうかではないかと考える。色盲や身体・精神障害者という区分は多数派の価値基準であって、半数以上が障害者になったとすれば健常者の方が障害者になってしまうであろう。見えないはずの者や物が見え、聞こえるはずのない声や音が聞こえるとなると妄想患者と呼ばれるように。
この点から障害者への捉え方を変えなければならない。