ブログ - 20140220のエントリ

あなたは仕事で個人を出したのですね

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-2-20 20:24

 この言葉は今でも心に焼き付いている。委託集金人として働いていた20年前、統括係長に言われたのだ。あまりに議論好き好戦的なわたしは集金・契約取次ぎ業務でいつも上位の成績だったが、客とのトラブルも群を抜いていた。(お前が営業の仕事をやってるだと?もっとも不向きな仕事によくついたもんだ)大学時代の親友にも言われ、おまえは権威をかさに着る男でもある、と付け加えられ、見抜かれてしまったわたしは照れ笑いをしていた。

 この仕事ほど自分の姿を映し出してくれたものはない。その口の利き方は客に対するものですか?その顔つきはなんですか?お金をもらおうとする者の態度ですか?高圧的ですね。いきなり人の家に来て金を出せ、なんてどういうことですか?警察を呼びますよ、と言われて実際、警察が来たこともあった。

 NHk営業部にはわたしに対する苦情の電話がひっきりなしでかかり、担当職員は根をあげていた。そこで、あなたは仕事で個人を出したのですね、と係長に言われたのだ。恥ずかしながら、そこでやっと、仕事で個人を出してはいけないことがわかり、10年、20年とたつうちに放送法32条(当時の支払い義務の条文)を捨てていった。それは剣を捨てたに等しかったが気分が楽になった。客の言い分をじゅうぶんに聞いてやり、公共放送について相手と考え、話し合った。

 その心境にたどりつくまで20年ほどかかった。わたしはよほど世間とづれた男であったと痛切に思うが、仕事では個人を出してはいけない、という常識に疑問を抱く。日常生活の中でスーパーに買い物に行ったり、銀行や町役場に行ったり、電車に乗ったりするが、出会った人がマニュアル通りの対応ではなく個人を出してくれた時ほど親しみがわくことはない。出したほうも自分の個性を認めてくれて嬉しいし、満足するのだ。ストレスも少なくなる。

 多様性の時代である。多様な個性や意見を出し合ってこそ良い社会、強い組織が出来上がるのだ。優秀な企業はこのことを知って組織作りに取り組み、不祥事はおこりにくい。つまらない組織ほど権威にへつらい、排他性が強く、パーツ(部品)的な者が多い。

熱しやすく冷めやすい日本人

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-2-20 11:44

 籾井会長の発言(従軍慰安婦や飾り窓の件)から発したNHKの問題は解決がつかない。この時間に開かれている国会中継でも議員が会長に質問をしている。わたしは委託集金人であったことからもこのNHKの行く末に興味をもっていた。集金の仕事をはじめた頃から、受信料が長いものに撒かれろ式の国民性に寄りかかっていることを感じ、受信料制度が存在し続けるかぎり日本および日本人は変わらないと考えていた。

 NHKはこれまでたくさんの問題を起こしてきたが、その度にうまく潜りぬけ、崩壊をまぬがれてきた。利権関係のある有力者をうまく抱え込み、為政者にそっくりな組織をつくっているからであるし、為政者とツルんであるからである。それに、熱しやすく冷めやすい日本人が受信料の支払い者であるからである。

 日本人が農耕民族であることがその民族性の原因になっている。それに島国、一民族一宗教(少数派もいますが)ということが拍車をかけている。アメリカ映画、特に西部劇などを観るとよくわかるが、アメリカ映画は復讐劇が多く、粘着力が強いのである。日本映画にはいかにそれが少ないかがはっきり現れている。まさに民族性のちがいである。人類はどの世界でも狩猟生活から出発し農耕生活に移っていくわけだが生活環境のちがいに多くの影響を与えていることがわかる。逃げる動物を追い捕らえて食べる生活、実っている木の実や果物を食べたり種をまいて育てる生活は考え方や性格に強い影響をあたえざるをえない。

 アメリカの貿易センタービルを崩壊させ、数千人を殺したビン・ラディンはアメリカ軍に殺された。これで当分アメリカの敵はいなくなり、復讐精神を発揮することはなくなったのだろうか。北朝鮮がいるが中国が控えているので迂闊な行動はできないし、アジアへの直接的な介入はしないだろうか。いや、次の敵を探しているのだ。絶えず外敵と闘うことで国体が保たれているのだから。

 NHKの問題が欧米でのことであればNHKはすでにつぶれている可能性が高い。日本ではどうなるであろうか?マスコミはこの問題もそうだがシリーズをつくって深追いはしない。目をひく事件や出来事が起こればそちらの方にベクトルを変え、騒ぎ始めるにちがいない。国民もそれにひきづられ、NHKの問題を忘れるにちがいない。

 NHKの問題は日本民族の問題なのである。

みんなで汗を流した日

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-2-20 10:40

 2日前、初老の男達が朝から町内の山に集まった。6人だったが昼前から女が加わり、7人になった。7メートルと5メートルのヒノキを20本ほどチェーンソウで切り倒し、山のそばに停めているトラックまで運んだ。7メートルのヒノキは7人で肩にかついだ。「こっちは肩に来んよ。おれ、ぶらさがっとるみたい!」背の低い男が言った。「おれは肩にかかりすぎて痛い!」背の高い男が言った。「今度は肩に届いたよ!」など話しながら山の坂道を夕方まで往復した。もちろん、無報酬だが運動会をしてるみたいな楽しさがあった。息を喘がせ、額から汗をながした。

 こんな経験は何十年ぶりかである。日頃は独りの生活活動や労働が多いから、他人といっしょにやることがすごく新鮮に感じられてた。

 主宰者は佐藤さんという65歳の男性だが、門司から妻の実家のある岡垣町に越してきた。門司では車の板金業をやっていたので、自宅のそばに小さな作業場をつくって仕事のかたわら(里山づくり)に精をだしている。自宅の裏に千坪以上の草原があり、湿地帯があった。彼はそこに道をつくり、アイガモの小屋を作って飼い、木のチップをもりあげてカブトムシの家をつくり、2頭のヤギを飼い、ブドウやビワ、柿の木を植え、カマドを4つつくった。薪でピザを焼いたり、蒸し焼きをしたり、竹の子をゆがいたりするために。孟宗竹の幹を組んで屋根をつくり、その下でイノシシの肉を焼いてみんなで食べ(彼はワナでイノシシをとり自分でさばく)、コーヒやお茶を飲み、談笑する。もちろん金はもらわず、ヒッチハイカアーなどが通りかかると、(寄っていかんですか!)と声をかけて誘い、食事を出したり風呂に入れたり布団に寝かせたりする。長期で外出する時も家に鍵はかけないし、家の中には金や財物はない。

 今時、奇特な人だが、4、50年前の日本にはこんな人はたくさんいた。

 佐藤さんの手伝いをしていると彼の夢がよくわかる。年をとってから、幼少時代の生活を思い出し、そこに戻りたいのである。子供達やみんなを集めて昔の共同体生活を経験したいのである。

 残念ながら昨年の末に焚き火の不始末からその小屋が全焼してしまった。しばらく彼は元気がなく、板金作業で黒い油のついた顔をうつむけていたが、立て直そうと思い、支柱のヒノキを切り出しのである。あと一週間後、3月の暖かい陽気がやってくる頃には新しい小屋の下でみんなで話しに花をさかせているでしょう。

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