ブログ - 20140205のエントリ
わたしがNHK集金人の仕事を23年間もつづけられた理由の一つには名もない人の言葉や考えに触れることが出来たという環境があります。それは学校の授業やマスコミからは仕入れることの出来ない貴重なもので、時々思い出しては感心します。自分の貧しい想像力でも思いつかないものでした。
(受信料を払うと何か良いことがあるのですか?)
ある主婦の質問でした。
当然わたしは受信契約をするように言ったのでした。
その返事がその言葉でした。
わたしは説得する言葉が思い浮かびませんでした。放送法の条文を持ち出すことは簡単でしたが、 その言葉はそんな次元のものではありませんでした。
(何か良いことがあるう?)
と反芻しながら、何もいいことはありはしないじゃないか、という結論におちいり、(お邪魔しました)という言葉を残して去った記憶があります。今でもそんな質問をもし受けたら答えられないでしょう。
そんな仕事の中に置かれて、ある日の全体会議でこんな質問を局長にしてしまいました。当時は委託集金人は月の1日に出局し、営業部や放送部の管理職を前にして座り協会内部や業務の話を聞いていました。わたしがそんな質問をしたがためにその後、質問の場は無くなりました。
(受信料制度のある国とない国とではどんな違いが出ますか?)
わたしは手を挙げて、尋ねました。
局長は答えることが出来ませんでした。多分あまりに突拍子もない質問なので答えきらなかったのでしょうがわたしにとっては重要なことだったし、大事な内容だから局長レベルであればやすやすと答えられると考えていたのです。
局長が答えないので議題は次に移ってしまいました。
全体会議が終わった後、わたしは担当の統括係長に呼ばれました。個室だったので秘密裏の話だったのです。
(あなたは誰かの紹介でこの仕事についたのですか?)
(いいえ、新聞の求人広告で知りました)
(あー、そうですか)
それだけで話しは終わったのです。
いつまでもこの出来事がわたしの脳裏には残っています。彼が本音を出さなかったので疑問と不審が尾を引きました。わたしそしてその質問の背後を探ろうとしたにちがいありませんしそんな質問はするな、ということしか理解できませんでした。現場でほとんどの集金人達が悩まされるこの疑問にNHK自体が答えられない、という不信感に絶えず困窮させられました。
公共放送は視聴率や採算に左右されることのない良質の番組をつくることが出来るのです。視聴者に事実と真実を伝え、そのことが日本と世界のためになるのです。だから受信料制度を日本はもうけているのです。
10年ほど前までNHKは営業のパンフレットに以上の文面をもうけていました。昨今経営委員の発言をめぐってマスコミの批判にさらされていますが、すべては役職者の見識にかかっています。番組のPRや料理番組、スポーツなど無難な領域の制作づくりしか評価しない役職者ばかりであれば先は見えていますが、そんな状況を見据えて本当に必要な番組づくりをすれば観る者は観ています。ともかく良質の番組をつくるべきです。
昨年の12月24日をもって、わたしはNHK福岡放送局営業部の委託集金人を解約しました。解約届けの用紙は白紙のままでしたが、統括係長のいうとおり一身上の都合という理由を入れ、わたしにも異存はありませんでした。
仕事をはじめて23年間になりましたが、老齢と心労・不摂生が加わって狭心症、心筋梗塞、バイパス手術と体に異変を与えました。手術後は体調は良く散歩、野菜作りと体をうごかせたのですが左目の半分の失明、時々のめまい、右目のショボショボ感などが治らず、冬場での長時間のバイク運転は無理だと判断しました。体が凍えてしまうような状況は心臓にも良い筈がありません。今でもこの判断は正解だったと思います。
NHKという摩訶不思議な組織、時には素晴らしい番組をつくる放送局の一集金人として働いたことはわたしの人生に経済的メリットを与えてくれたと同時に稀有な体験をさせてくれました。あらゆる人間を訪れ受信料をいただく(番組を観ても観ていなくても)という仕事は国民との関わりにおいてわたしという男をリトマス紙のように炙り出してくれました。あらゆるトラブル・活動の中で自分の姿がはっきり見えました。
今後はNHKのこと、そこで働いた自分のことを書いていきます。
さて今回のテーマですが、マスコミの紙面づくりのローテーションのひとつです。天皇制、教育、経済指標、北朝鮮問題、中国問題とメニューはたくさんあるのです。何ヶ月おきにテーマを代え、読者を飽きさせないためのものですが、NHKの籾井会長の発言が端を発しました。戦争中は従軍慰安婦の問題などはどこにでもあった、ドイツやオランダには飾り窓があるじゃないか、という内容ですが、NHK経営委員を安部総理が任命したという時点から今回の事態は起こってっていたのです。総理が自分の意にそう者を任命できるというこの制度じたいが大いに問題をかかえているわけですが、同時この件に対して抗議をしない日本放送協会労働組合に対しても不審を感じます。経営委員と同じ考えだとみなされても仕方ないでしょう。
次に起こったのは、百田経営委員が都議選の選挙運動の中で、南京虐殺はなかった、と言ったことです。個人的な活動の中で言ったたことなので経営委員の立場ではない、と答え、それはそうだと思いましたが、今日の朝刊には長谷川経営委員が、新聞社で自殺した右翼を礼賛した、と第一面に報道されています。マスコミは素材を連鎖的して報道しますが、各経営委員の本心を連続させたこの流れは、内部者の告白でありNHKがみずから国営放送であことを検証したにすぎません。同時に政治の方向性に強いベクトルを与えました。
それにNHKの番組の偏向、いい加減さが如実に現れてきています。特番においても政治的・社会的重要番組をとりあげない。一週間前はめずらしく(東大全共闘)をとりあげていましたが、公平中立が使命だからという理由で問題提起になりそうな番組はつくらないが、安部総理の顔写真だけはほとんど毎日テレビに出し、事前運動の片棒をかついでいる。ニュース番組においても昼のニュースに使った場面をそっくりそのまま夜のニュースで流したり、BSのチャンネルを三波も持ちながらBS2をかってに中断したり、BS1と両方で流したり民間会社ではしないことを平気でするようになった。視聴者への説明もない。
なぜ、このように変質していっているのでしょうか?
それは受信料を法的に取り立てる自信があるからです。支払い拒否者や滞納者を法的督促にかけ、裁判にかけていったからです。現場の委託集金人を法人委託に代え、経費を削り資金的な余裕があるからです。これからも法人委託を進めていくでしょう。どんな番組をつくっても受信料が入る、ということはNHKにとっては都合のいいことですが、自ら自分の首を絞めていっていることに経営委員たちは気づかないでしょう。職員たちも40歳にして平均年収が1000万円をくれる組織に批判なんてしません
テレビがパソコンと入れ替わる日はちかいのです、映画がテレビと入れ替わったように。そんな時でもNHKの番組だけは絶対に必要だといわれる基本姿勢を持っていなければ、国営放送に戻るか消滅してしまうかでしょう。
受信料制度が変われば日本は変わる、変わらなければ(長いものに巻かれる)国民性はいつまでもかわらない。集金業務を始めたころからわたしは考えていました。