ブログ - 201402のエントリ

E・フロム著「自由からの逃走」を読んだ時

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日記
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nakamura 2014-2-28 1:34

 東京での遊学時代に、E・フロムの「自由からの逃走」という本を読みました。人間性にはまったく逆の方向性があることを知り、驚きました。第二次大戦前のドイツ国民のことです。ワイマール憲法の下で民主的自由体制を持っていましたが、ヒトラーが現れると独裁主義の監獄体制にみずから入っていったと本の中で考察していました。なるほどと考えました。わたしは今、無職で自由の身ですが、働きたい、なにか活動したいとという欲求があります。同時に集団の中で管理されたいという願いが潜んでいます。

 北朝鮮の独裁体制はいつまでつづくのでしょうか?人民はそろそろ自由な生活に入っても良いのではないでしょうか?わたしの知人に精神科の授産施設で生活している人がいます。もう15年にもなります。つい最近まで退院したい、と口癖のように言っていましたが、近頃は言わなくなりました。四畳半くらいの個室で、日当たりも悪く隣部屋から咳払いも聞こえる所ですが、軽作業をしながら規則正しい生活を送っています。お金は自由に使えず、外出にも許可が要ります。酒もタバコも女もダメです。わたしが病院に入院していた頃を思い出します。脱走をはかったがために財布もケイタイも取り上げられ、5階のフロアから動かないように指示され、新聞も読めませんでした。ところが軟禁生活に耐えられない、と同時にどこか心が安らいでいました。

 今は自由の身ですが、老人ホームに入れば生活や病気、死の心配もしなくて良いのにな、と考えることもあります。老人ホームは有料ですが刑務所は無料だな、などと突拍子もないことを思いついたりします。戦時中には精神を病んだ者がほとんどいなかった、ことを知り、(天皇陛下万歳の精神)でも産まれた時から叩き込まれれば、(金政権万歳)などはすぐそばにあるのがわかります。日本が右傾化の方向に進んでいます。NHK会長も(従軍慰安婦など当時はどこいでもいた)と公言してるではないですか?この変化を意識していないとまた(恐い時代)が口を開けて待っているのです。

NHKは有料放送に変わるべきである。

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日記
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nakamura 2014-2-27 13:24

 15年ほど前に退職した営業職員は、「わたしが辞めた後、NHKはペイテレビ(有料放送)にかわっているかもしれません」と言い、わたしはその言葉を思い出します。電波を一方的に流して金を取るほうが儲かる」と言った職員もいますが、それはボッタクリですから良いことではありません。NHKの言い分は、公共放送だからこそ、視聴率に左右されない良質の番組がつくれるのです、ということですがそれは都合の良い言い方です。どんなメーカーでも大量に売れる商品ばかりを生産してるわけではありません。この商品はあまり売れないが我が社の顔みたいなものだから生産し、採算は二の次というものがあります。NHKは大河ドラマ、連続ドラマ、試してガッテン、ニュースなどは高視聴率ですが、教養番組や障害者向けの番組は低視聴率です。でもその番組を必要とし、生活に役立ててる人もいます。それは番組の配分にかかっていて、そこから採算をはじき出すわけですが採算という分野では計り知れないもののことも考えねばなりません。採算の基準を超えてもなお希少なものをつくる姿勢が本当の評価になるのです。

 同時にわたしはここで(官)と(民)のちがいを考えてみたいのです。(官)の言い分は、費用対効果を考えなくていいから公共の仕事ができるんだ、ということですがそれは自己正当化にしかすぎません。鉄道の仕事だって民間がやってるのだから高速道路や一般道路だっても民営でやっていけます。そうしたほうが痛んでもいない道路を予算消化のために掘り繰り返すこともありません。交通量が増えることを予想して道路を作ったとします。最初は車が少なくて不採算でしょうが見込みどおり車が増えれば採算が取れます。

 結局、NHKの民営化ということはすべての業界において官と民のちがいがなくなり、官は民に吸収されるということなのです。だから、NHKが変わらなければ日本は変わらない、と以前から、つまりNHKの依託集金人をはじめた時からわたしは考えていたのです。

 NHKが有料テレビに変わって採算が取れなければ、総務省にチャンネルを半分も返し、リストラをしていくべきです。政府からの独立も出来ます。(真っ直ぐ真剣)でNHKは番組をつくり、それで勝負しなさいよ、とわたしは依託集金人の時よく言われました。

 

敗残者の講演会?

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日記
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nakamura 2014-2-25 20:28

 町の市民会館(サンリーアイ)の中を歩いていたら、有名人の講演会のポスターが目につきました。聞いてみたい人の名前(三浦雄一郎氏など)がありましたが、変人のわたしは成功者の話なんて聞いてなんの意味があるか?逆に敗残者の話のほうが奥が深いし、面白いのではないか?と考えました。

 わたしは一般世間の目から見れば敗残者でしょう?いちおう家庭を持ち二人の息子を成人させ、自分の金で生活しているわけですから敗残者ではないかもしれないが、周囲の者達の目は容赦のないものでした。特に内実を知り尽くしている親戚の目は自分達がどんなに崇高な階級なのか振り返ったことがあるのか!と怒りたくなるものでした。

 NHKの集金人をしている、ということが彼らの言い分でしたし、世間一般の人もそういう目で見る人もいます。うちの家系から集金人が出た、と言ったのは母親の弟夫婦でしたし、そんな仕事をしてるなんて人に言うじゃないよ、と言ったのは母親の妹の亭主でした。わたしはおどろき腹を立てながら、そう思われても仕方ないな、とも考えました。アメリカ人に集金先があって彼にそんなことを話すと、必要があってその仕事があるんだよ、と合理的な意見を言ってくれました。

 今では(レアな仕事だな)と考え、レアを自称するわたしにふさわしかったのではないか、と考えます。先ほどのヤフーのニュースでNHKの理事全員が辞表を会長に手渡していることを見て、これはただ事ではないな、考え、わたしがこのブロッグで書いてることの臨場感を感じました。次は会長が耐え切れずに辞め、経営委員全員がやめるでしょう。ナビゲーターがいなくなります・・。

 話が飛びますが、カルロス・ゴーン氏の(ルネッサンス)という本を読んでいます。経営危機に落ちた会社をいかに更正し救ったかが書いてあります。事実が正確に書いてあり表現力も素晴らしいので夢中になっています。白紙の状態で人や物事をみる、物事に優先順位をつける、出来ることはすぐにやる、会社全体をすぐに見れる部門をつくる、わたしはヒーローではなく働く労働者がヒーローである、など経営危機を予測されるNHKに必要な要素がたくさんあります。わたしが彼の経験と思想に興味を覚えたのは岡垣町役場のような国からの補助金と住民の税金にぶらさがっている公共団体を民営化するにはどうしたら良いか?を彼の本から少しでも勉強させていただきたいからでした。ゴーンさんは成功者です。わたしが敗残者であったとしてもお互いが社会で学んだこと、そこから出た知恵・教訓はほぼ同じなのです。両極端が一致するのです。世間はゴーンさんの方にに耳を傾けるでしょうがわたしに耳を傾けても同じなのです。

 いつか、(敗残者の講演会)というものが開かれることを期待しています。

 

地方自治体は民間委託にするべき。

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nakamura 2014-2-24 11:43

 NHKと同じく存在に疑問を向くのは公務員であり、公共団体である。特にわたしに身近な地方自治体ー岡垣町役場の存在を考える。ここは封建時代の領主の世界で高い年貢(税金)を取り立て、職員、町長、議員その同族たちが団結して利益・利権を漁っている。一部の議員には良心的な人がいますが、住民のために頑張ると利権屋の中で孤立する状況です。この世界には競争原理や責任がないので開発という美名?のもとに自然破壊がまかりとおっています。

 なぜ、公務員という制度があり公共団体でなければならないのだろうか?民間とどこがちがうのだろうか?わたしに言わせるなら、役場の仕事など法人に委託させ競争入札をさせるべきではないか?低い予算で良い仕事をする会社に任せたほうが良いのである。専門性を要する仕事は研修で教え込めばよい。地方公務員試験に合格しなければ出来ない仕事ではないし、逆にペーパーテストに合格し世間のことも世間の仕事もしたことのない者に町作りや運営を任せること自体がまちがっている。人に満足を与える仕事をしていないからストレスがたまり、公務員は不祥事を起こしやすいのだ。職員も依託された会社の社員になり、業績が良ければ出世し高給をもらえるようになったほうがやりがいがあるはずである。町役場や市役所などに用事があって行った時、顔を出す職員には独特な雰囲気と表情があり、それは民間の社員とはあきらかに違う。安倍総理はオリンピックや憲法九条改悪に精を出すより公務員・公共団体がほんとうに必要かそこから手をつけるべきではないか?

空気を押すような仕事

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nakamura 2014-2-24 8:38

 NHKの委託集金人の仕事を離れて一年半になりますが、時々思い出したり夢に見たりします。調査や偵察の面があるので一般の労働者とは異なる心理状態があります。仕事である地域に入り、バイクで回っていたとします。目の前のアパートの二階のベランダに若い女が姿を出し、洗濯物を干していることがあります。未契約者だとすぐに判断し、バイクをアパートの前まで走らせます。気づかなければいいが、と願いながらバイクを止め、階段を上ります。部屋の前に立ってチャイムを押し、返事を待ちます。いつまでも返事も物音もないのでもう一度、押し、ドアをノックします。返事も物音も返ってこず、中は沈黙状態です。

 諦めて階段を下り、ベランダの下まで行って部屋を見上げます。窓は閉まり、カーテンもぴったり閉ざされています。

 彼女はアポなしではドアを開けないタイプか、わたしの正体を見破った者かどちらかですが、無理押しはできず、次の対象物に向かうだけです。

 ある営業部長は現場の仕事にすごく熱心な人でした。(部長、台風が近づいてますね。こんな時はバイクで箸ってはいけませんよね)と言うと、(そんな考え方をするのはあなただけですよ)と言い返され、唖然としました。

 ところが彼はある日、次のように言いました。

 (この仕事はまるで空気をおしているようなものですね。ドアを叩いても返事もない)

 わたしは彼が現場を理解したことを知り、満足でした。

 仕事である地域に入ります。ワンルームマンションが三棟あり、一棟につきおよそ百人の入居なので全部で三百人、未契約者はその半分だと検討をつけます。百五十軒の部屋のドアのインターホンを押していけば悪くても一件の新規契約・住所変更・BS契約はとれるだろうと想像します。時期にもよりますが、四月五月の移動シーズンを除いた場合ですが、インタアーホンへの返事はほとんどOです。二時間三時間インターホンを押していっても、(空気を押すような仕事)がつづくことは珍しくありません。会長発言による視聴者の苦情や支払い契約拒否が現場でおこっていることは想像できます。移動が始まる直前の状況です。年度末の業績確保の圧力がNHKから現場担当者に来ています。

 わたしは今その戦場から離れています。

NHKは幕藩体制から進化しない

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nakamura 2014-2-23 6:09

 23年前、NHK福岡に採用され、集金・契約の仕事をはじめましたが、テレビとは異なる印象をうけて驚きの一言でした。目を疑いました。近くの競艇場に古株の職員が仕事中に通ってるという話を耳にしたり、集金人をうまく使って業績をあげんかい、と人に聞こえる声で営業部長が話していたり、引越し人夫(引越しの作業員)という言葉を彼が発したり、私達は名刺を持たないのですか?と訊くと、おれたちだって名刺を持ってお客を訪問しない、という言葉が職員からかえってきたり、私達の事務費(給料)の明細書がボックスの中にむき出しで入れられていたりしていました。まだいくらでもありますが、わたしは内実を告発するのが目的ではなく、NHKに立ち直って欲しいから書いているのでスキャンダルを必要以上に暴露する気持ちはありません。あなたはNHKのお世話になりながらよく批判するね、といわれたこともありますが、民間企業であれば自助努力でやってるわけですからお世話になったという気持ちになりますが、税金みたいな形でとりあげているわけですから払ってくれた視聴者に感謝しかれらに本当のことを伝えるのが使命だと考えています。

 職員たちは与えられた仕事をやっているだけで組織のスローガンが何なのかあまり考えません。この前、岡垣町役場に行って職員に役場の今の目標は何なのか?と訊いたところ答え切らなかったのと同じです。民間企業の社員であればすぐに答えられます。それはあって良いことですがセクショナリズムの弊害が出ていました。自分のチームさえ良ければそれで良い、自分さえ業績がよければそれで良い。放送部がどんな番組を出そうと営業の目標達成ができれば其れで良い、という考えです。(紅白歌合戦)の制作担当者が数億円を金を使い込んだ時、営業のセンター長はみんなの前で次のように言いました。あれは放送部のやったことで営業部がやったことではありません、と。

 NHKの場合、同じ営業部でもチームがちがえば別会社と同じ、という話を職員から耳にしたことがあります。4チームまでありましたが、目標の達成率でチームどうしあるいは全国の局所どうし、集金・契約スタッフどうし毎週結果を出して競争をさせていました。業績がわるいと委託集金人の給料はさがりますが職員は関係ありません。自分たちの給料は経費削減されているよ、といいますが定期昇給はきちんとあり下がってはいないのです。公言していることにはすべて裏がありそのまま信用することは出来ませんでした。

 ある部長はいろんなことをわたしが追及すると、役割分担という言葉を用いましたがその言葉の持つ弊害には気づいていませんでした。委託集金・契約人が新聞にでるようなトラブルを起こし、NHKがコメントを求められる時、あの人は職員ではないのでNHKと直接関係はありませんが、という前置きからはいるのです。新聞販売店の従業員がトラブルを起こした時、新聞社はこんな前置き・責任逃れ的な前置きはしません。

 NHKは数百年までの徳川・幕藩体制のままです。身分制度、セクショナリズム、無責任体制、権威主義、非効率など悪い見本がたくさん残っています。(幕藩体制・官僚主義)といったほうがいいでしょう。これを改革するのは内部の者では出来ません。カルロス・ゴーンさんみたいな外国人が的確でしょう。

 まず、組織の中心点・基本に戻ることです。公平中立な番組、決して視聴者のご機嫌をとるのではなく人類・自然からの視野にたった啓発的な番組、普遍性に基づいた番組をつくり、政府の介入を毅然と拒否すべきです

NHKのご意見番といわれたこともあります。

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nakamura 2014-2-21 13:54

 団体交渉(労働組合での)や営業のチーム会議においてあまりに喋り、また興奮するので職員や集金スタッフから一目置かれていました。NHKのご意見番と言われるのは良いほうで、陰でキチガイともささやかれていました。わたしが話した内容は団体交渉での議事録にのっていて、上層部が採用したのも少しはあります。

 何を話したか思い出せるものを書いてみます。慰安旅行、集金スタッフの送別会、忘年会、新年会の廃止など経費削減はしていますが、電気代、電話代、パンフレット、書類の削減はしていませんし、削減の目標もありません。パンフレットや書類は年に一度は更新されますが、古くなって廃棄される量はそうとうなものでそのデータもつくっておらず、発覚しないように局に持参させるようにしています。本当の経費削減に取り組んでください。

 今回のような大問題が発生した場合には集金人にチラシを持たせて、苦情のある視聴者は営業副部長に電話を入れるようにしています。NHKのほうから電話を入れて対応すべきではないでしょうか?受信料の領収書はハガキで郵送していますが、二枚目の用紙は住所変更届け、衛星放送契約書になっています。情報や金をとることに熱心なのはわかりますが、そこに視聴者の意見や番組への感想を書いてもらうべきです。職員や視聴者からのNHKへの批判・意見・クレームは感謝をもってとりあげ、改善・改革に反映すべきです。職員やスタッフに改善提案をさせて良いものは評価すべきです。民間のメーカーはそれを義務付けて賞金まで出しており、それによって働く者の参加意識を高めています。会長や経営委員は総理大臣が任命するのではなく、内部や外部から立候補してもらい職員がネットで投票してはどうでしょうか。このままではいつまでも為政者の私物になってしまいます。

 受信料の法的督促はやめるべきです。良質の番組をつくり、それを観る人が払う体制でじゅうぶんだし、これまではそのやりかただったのです。日本人の90パーセントは良心的な人で、観てるのに払わないという人はほんの一握りです。番組のPRばかりでなく受信料の案内・PRもすべきです。職員の報酬が高すぎると指摘しましたが、カットはしています、という答えでした。定期昇給はしているので実はカットにはなっていないのです。

 縁故採用はやめろ、職員の給料も業績に応じたものにしろ、スタッフばかりを痛めつけるな、などなどいろんな意見を出しましたが今回の事態です。大きな変革に取り組まない限りいつまでも続きそうです。日産自動車を倒産間際から救ったカルロス・ゴーンさんの本を読んでいます。改革のやりかたで素晴らしいことがたくさん書いてありますが、もっとも印象に残っているのは次の言葉です。この改革のヒーローはわたしではありません。日産自動車の一人一人の社員、および関係者です、と書いています。

 

あなたは仕事で個人を出したのですね

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nakamura 2014-2-20 20:24

 この言葉は今でも心に焼き付いている。委託集金人として働いていた20年前、統括係長に言われたのだ。あまりに議論好き好戦的なわたしは集金・契約取次ぎ業務でいつも上位の成績だったが、客とのトラブルも群を抜いていた。(お前が営業の仕事をやってるだと?もっとも不向きな仕事によくついたもんだ)大学時代の親友にも言われ、おまえは権威をかさに着る男でもある、と付け加えられ、見抜かれてしまったわたしは照れ笑いをしていた。

 この仕事ほど自分の姿を映し出してくれたものはない。その口の利き方は客に対するものですか?その顔つきはなんですか?お金をもらおうとする者の態度ですか?高圧的ですね。いきなり人の家に来て金を出せ、なんてどういうことですか?警察を呼びますよ、と言われて実際、警察が来たこともあった。

 NHk営業部にはわたしに対する苦情の電話がひっきりなしでかかり、担当職員は根をあげていた。そこで、あなたは仕事で個人を出したのですね、と係長に言われたのだ。恥ずかしながら、そこでやっと、仕事で個人を出してはいけないことがわかり、10年、20年とたつうちに放送法32条(当時の支払い義務の条文)を捨てていった。それは剣を捨てたに等しかったが気分が楽になった。客の言い分をじゅうぶんに聞いてやり、公共放送について相手と考え、話し合った。

 その心境にたどりつくまで20年ほどかかった。わたしはよほど世間とづれた男であったと痛切に思うが、仕事では個人を出してはいけない、という常識に疑問を抱く。日常生活の中でスーパーに買い物に行ったり、銀行や町役場に行ったり、電車に乗ったりするが、出会った人がマニュアル通りの対応ではなく個人を出してくれた時ほど親しみがわくことはない。出したほうも自分の個性を認めてくれて嬉しいし、満足するのだ。ストレスも少なくなる。

 多様性の時代である。多様な個性や意見を出し合ってこそ良い社会、強い組織が出来上がるのだ。優秀な企業はこのことを知って組織作りに取り組み、不祥事はおこりにくい。つまらない組織ほど権威にへつらい、排他性が強く、パーツ(部品)的な者が多い。

熱しやすく冷めやすい日本人

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nakamura 2014-2-20 11:44

 籾井会長の発言(従軍慰安婦や飾り窓の件)から発したNHKの問題は解決がつかない。この時間に開かれている国会中継でも議員が会長に質問をしている。わたしは委託集金人であったことからもこのNHKの行く末に興味をもっていた。集金の仕事をはじめた頃から、受信料が長いものに撒かれろ式の国民性に寄りかかっていることを感じ、受信料制度が存在し続けるかぎり日本および日本人は変わらないと考えていた。

 NHKはこれまでたくさんの問題を起こしてきたが、その度にうまく潜りぬけ、崩壊をまぬがれてきた。利権関係のある有力者をうまく抱え込み、為政者にそっくりな組織をつくっているからであるし、為政者とツルんであるからである。それに、熱しやすく冷めやすい日本人が受信料の支払い者であるからである。

 日本人が農耕民族であることがその民族性の原因になっている。それに島国、一民族一宗教(少数派もいますが)ということが拍車をかけている。アメリカ映画、特に西部劇などを観るとよくわかるが、アメリカ映画は復讐劇が多く、粘着力が強いのである。日本映画にはいかにそれが少ないかがはっきり現れている。まさに民族性のちがいである。人類はどの世界でも狩猟生活から出発し農耕生活に移っていくわけだが生活環境のちがいに多くの影響を与えていることがわかる。逃げる動物を追い捕らえて食べる生活、実っている木の実や果物を食べたり種をまいて育てる生活は考え方や性格に強い影響をあたえざるをえない。

 アメリカの貿易センタービルを崩壊させ、数千人を殺したビン・ラディンはアメリカ軍に殺された。これで当分アメリカの敵はいなくなり、復讐精神を発揮することはなくなったのだろうか。北朝鮮がいるが中国が控えているので迂闊な行動はできないし、アジアへの直接的な介入はしないだろうか。いや、次の敵を探しているのだ。絶えず外敵と闘うことで国体が保たれているのだから。

 NHKの問題が欧米でのことであればNHKはすでにつぶれている可能性が高い。日本ではどうなるであろうか?マスコミはこの問題もそうだがシリーズをつくって深追いはしない。目をひく事件や出来事が起こればそちらの方にベクトルを変え、騒ぎ始めるにちがいない。国民もそれにひきづられ、NHKの問題を忘れるにちがいない。

 NHKの問題は日本民族の問題なのである。

みんなで汗を流した日

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nakamura 2014-2-20 10:40

 2日前、初老の男達が朝から町内の山に集まった。6人だったが昼前から女が加わり、7人になった。7メートルと5メートルのヒノキを20本ほどチェーンソウで切り倒し、山のそばに停めているトラックまで運んだ。7メートルのヒノキは7人で肩にかついだ。「こっちは肩に来んよ。おれ、ぶらさがっとるみたい!」背の低い男が言った。「おれは肩にかかりすぎて痛い!」背の高い男が言った。「今度は肩に届いたよ!」など話しながら山の坂道を夕方まで往復した。もちろん、無報酬だが運動会をしてるみたいな楽しさがあった。息を喘がせ、額から汗をながした。

 こんな経験は何十年ぶりかである。日頃は独りの生活活動や労働が多いから、他人といっしょにやることがすごく新鮮に感じられてた。

 主宰者は佐藤さんという65歳の男性だが、門司から妻の実家のある岡垣町に越してきた。門司では車の板金業をやっていたので、自宅のそばに小さな作業場をつくって仕事のかたわら(里山づくり)に精をだしている。自宅の裏に千坪以上の草原があり、湿地帯があった。彼はそこに道をつくり、アイガモの小屋を作って飼い、木のチップをもりあげてカブトムシの家をつくり、2頭のヤギを飼い、ブドウやビワ、柿の木を植え、カマドを4つつくった。薪でピザを焼いたり、蒸し焼きをしたり、竹の子をゆがいたりするために。孟宗竹の幹を組んで屋根をつくり、その下でイノシシの肉を焼いてみんなで食べ(彼はワナでイノシシをとり自分でさばく)、コーヒやお茶を飲み、談笑する。もちろん金はもらわず、ヒッチハイカアーなどが通りかかると、(寄っていかんですか!)と声をかけて誘い、食事を出したり風呂に入れたり布団に寝かせたりする。長期で外出する時も家に鍵はかけないし、家の中には金や財物はない。

 今時、奇特な人だが、4、50年前の日本にはこんな人はたくさんいた。

 佐藤さんの手伝いをしていると彼の夢がよくわかる。年をとってから、幼少時代の生活を思い出し、そこに戻りたいのである。子供達やみんなを集めて昔の共同体生活を経験したいのである。

 残念ながら昨年の末に焚き火の不始末からその小屋が全焼してしまった。しばらく彼は元気がなく、板金作業で黒い油のついた顔をうつむけていたが、立て直そうと思い、支柱のヒノキを切り出しのである。あと一週間後、3月の暖かい陽気がやってくる頃には新しい小屋の下でみんなで話しに花をさかせているでしょう。

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