ブログ - 201302のエントリ
本田先生が亡くなられたことを近所で耳にし、先生の顔が鮮明に数年前の出来事・出会いのように思い浮かびました。二、三年前に私が高血圧で開業医に通っていた時に先生がいらっしゃって、(わたしも高血圧ですたい)と見知らぬ患者に向かって言われ笑っておられた日を思い出します。70歳すぎなのに髪も黒くふさふさして、あの輝く目も55年前と同じでした。わたしは声をかけそびれ、先生もわたしに気づきませんでした。
55年前、先生は太平洋戦争の現地から帰還したばかりの兵隊でした。小学校の教員につき、私たち3年の担任になりした。当時としては珍しい黒のジャージをいつも着て、精悍な顔と笑顔がありました。サッカーが得意でグランドをよく走っていました。
その日のことです。
(お前達、廊下に並べ!)
いつになく激しい声を耳にし、クラス全員が廊下に並びました。わけがわからずまごついていました。
(母の家の生徒ー養護施設ーがこのクラスを使った後、おまえたちはなんて言うたか?)
強い口調でした。
誰も返事が出来ませんでした。
地域の集会があり、(母の家)の子供達が私達のクラスで話し合いを終えたばかりでした。
(臭い、って言うたろ!)
その言葉に皆返事ができませんでした。
(歯を食いしばれ!)
先生の言葉は連続しました。
わたしは列の中ほどにいましたが、頬を平手で叩かれる激しい音が連続し、伝わってきました。
頬に激しい痛みが起こり余韻が残ると隣から(ピシャ!)という響きが起こりました。
(俺は臭いと言ってはいなし!なぜ、殴られるんだ?)
わたしは考え、殴られた原因がわかりました。
当時はまだ戦争が終わったばかりで、親を失った子供やアメリカの黒人や白人との間に産まれた子供達が(母の家)に引き取られ、生活をしていました。人手と衣料も足りず、子供達は何週間も洗わない汚い服で登校し、人目につきました。自分は(臭い)とは言っていないが心の中で思っていました。
成人するにつれ、本田先生のビンタの意味がよくわかりあんな先生に自分の息子を育てて欲しいと思いました。
(イジメ)についてしばらく考えていましたが、なかなか理解できませんでした。わたしはイジメられたこともイジメたこともあります。
今日、やっとわかりました。イジメとはテリトリー(縄張り根性)からきているのです。一時、鶏を五、六羽飼っていました。雄鶏が一羽、雌鳥が二羽ですがそこに知人からもらった雌鳥をいれたことがあります。するとそこの主であった雄鶏がすごい勢いで飛び掛り突いていくのです。相手が顔中血だらけになり、片目をつぶされても攻撃をやめません。相手は逃げ回るだけですが、死ぬまで突きまくるでしょう。
この場合は雄鶏同志のライバル意識が加わって激しくなっているのです。人間社会の現代においてイジメが流行りいつまでも止まないのは民主主義による個人主義が強まりすぎてて、戦争中や封建時代のような絶対的な思想がなくて結束感が生まれず、人間関係が希薄で不安定であるからです。ツナガリの確認のために一人の人間を的にし、暴力を振るったり、物を隠したり、笑いものにしたり、陰口を叩いたりする。その行為によって自分が仲間や組織に属しその一員であることを確認し、安心するわけです。
イジメる者は弱くて不安定な心の持ち主なのです。それが自己と同類の弱い者を見つけて、攻撃し一時的に自分の弱さをカバーしているのです。強い者がイジメるということは力学上ありません。
マスコミの仕事には事実の報道だけではなく、購読者への啓発、啓蒙精神がある。マスコミが発生した頃、特に新聞などは主義主張が目的であり、それに向かってがんばっていたが組織が大きくなると普遍性を求めらにれ、それを取り入れていった。社訓をもうけて方向性をしっかりさせ、多くの視聴者に受けられようとした。今、幅をきかせている新聞社はそんな歴史をもっている。
ところが最近、マスコミは事件のもぐら叩きばかりし、日替わりメニューみたいに視聴者・購読者を遊覧させる傾向が強いくなった。この一、二年(自然破壊、環境破壊)の言葉や文字をまったく出さなくなった。出るのは政治家ごっこ、政治遊び、尖閣列島、竹島、アベノミクスの円安、経済成長、開発予算など目先のことばかりで目の裏で進行している環境破壊のことは忘れている。環境破壊は人類滅亡に通じているわけだからそちらの方がだいじであるはずなのに、本末転倒している。
わたしは今、田舎に住んでいるが、散歩するたびに小さな川までコンクリートで埋められ、車や人の通らない散歩道まで舗装され、その下で無数の生物が殺されていった事実を知る。マスコミはそのことは報道しない。(自然破壊は人類絶滅に通じている)ことをマスコミは訴えない。それは金にならないし、スポンサーの機嫌を損じるからである。
政治番組になぜ政治家を登場させるのだろうか?NHKもそうである。政治の宣伝屋、詭弁学のプロを登場させてしゃべらせ、国民に拝聴させようとでもいうのか。だから、TV番組が面白くない。政治家を登場させるならその対極にある組織や人を出して議論をさせるべきである。
(お蔭様です)とは日本人が日常的によく使う言葉ですが、昨日、ある人からこの言葉の意味を聞きすごく感動しました。恥ずかしいことにその言葉の裏にあるものも知らず、考えたこともなかったのです。(お陰)とは目に見えない影のことを言っているわけですが、神仏を暗に示しているわけです。目に見えない神仏のご利益のお陰という意味ですが、わたしはそこに日本文化の繊細さを感じ取ります。
欧米にだって(神のおぼしめし)などとよく使うわけですが、この言葉は神仏を直接出さず暗に示すところに深みと味わいがあります。
私も65歳になって振り返ってみれば自分が自分の意志で独りで生きてきたわけではないし、生きていくわけではないことがわかります。自然の力、先祖の力、家庭の力、友人、知人の力など省みればいくらでもあります。自分はそれら(他力)にも動かされながら生きてきました。
(人間にとって感じ取れないものは無いにひとしい。だけど感じ取っている世界はほんのわずかだから知らない世界のほうが多い)
ある人にそう言いました。
(グアム島で二人の日本人が通り魔に刺し殺されたけど、あの犯人の顔を見るとまだ子供の顔だよね。彼が独りで通行人を車でつぎつぎに轢いていき、車から降りてナイフで刺していったなんて想像もできないよ)
(そうだな。さっきのお蔭様、の言葉じゃないけれど目に見えない世界の力が加わっていたんだよ)
(そうだよ。私たちにその影に動かされてるだけかもしれない)
わたしとその人はいつもの散歩道を歩きながら、そんな会話を交えました。
北朝鮮が核実験に成功し、アメリカまで核攻撃の射程距離に入れたという。
驚くと同時に腹立たしくなる。最初は北朝鮮に対して怒りが生じたが、今では日本政府とアメリカ政府に対してと矛先が変わった。この両国は北朝鮮の手の上に載せられて、うまく操られつづけ、北朝鮮の脅迫外交の支配下に置かれてしまった。中国は北朝鮮を自国の鉄砲玉にして陰で武器や食料を与え続け、すっかり(ツッパリ中学生)にし、知恵をつけてやっている。
(ツッパリ中学生)に正攻法、正論で向かうなんて外交・交渉の基本戦法に外れている。アメリカが交渉に応じ、親交を結ぶほうが効果的である。親交条約を結び、貿易、観光をとおして民の往来を積極的におこなったらどうなるだろうか?
人間は利便性と快楽には弱い動物である。北朝鮮の人民がパソコンやテレビ、スマートホンを手に入れれば、北朝鮮政府は海外の国の生活ぶり、考え方を遮断することは出来なくなる。するとどうなるだろうか?(アラブの春)が来て、アフリカの独裁政権が倒されていったように北朝鮮政府の行く末は目に見えている。
霜の降りる日もありますが、畑の雑草が勢いを増し、畑には春が来ています。野菜にトウが立ち始めるということを聴き、大きくなったタカナを刈り取り、塩漬けにしました。白菜も刈り取り、倉庫の台の新聞紙の上に置いて水分をとり、塩漬けにするつもりです。
昨年の春に刈り取ったドクダミは日陰干しにしていましたが、きれいに枯れたのでハサミで切ってビニール袋に入れました。100グラム、500円で値をつけて産直の店に昨年の末から出していました。6袋しか売れていませんでしたが、あれだけ労力を奪ってくれ元気くれたドクダミ達にお礼を言いたい気持ちです。今年も彼らの子供たちが元気いっぱい伸びてくれるでしょう。
大きなガラスケースがありましたので、箱の中に土を入れ、種をまきました。トマト、キュウリ、スイカ、オクラ、ウリなど夏野菜にはじゅうぶんの苗が出来ることでしょう。畑に植え替えます。
次は畑作りです。スコップで天地返し(掘った上面のを下にする)をしていき、引き抜いた雑草を載せていき、その上にマルチ(黒いビニール)を掛けていく。雑草は腐り肥料になる。苗を植える時はそこだけ穴を掘って肥料をいれ、苗をうえていくつもり。
こんな我流のやりかたで今年はどんな成長をするか、楽しみです。
アルジェリアで日揮の社員がテロによって殺害された。民放各社、NHKおよび新聞は大きく取り上げ、報道特集まで組んだ。少し大げさではないか、と私は思った。亡くなられた遺族の方には叱られるだろうが、紛争国で働くことは危険を覚悟の上のことではないだろうか。同時に尖閣列島の領土問題以降、マスコミは外国とのトラブルに対して騒ぎすぎるようになった。背後で操っている黒子の影を感じとってしまう。
はっきり言えば民主党の政権以降のシナリオが練られ、組み立てられていったのではないか?まずは経済成長のスローガンを挙げて政権をとる。円安への誘導によって景気をあげ、GNPを押し上げる。それが一息つくと、憲法改正によって自衛隊を軍隊に変え、産業を軍需産業へと変えていく。軍需産業は裾野がひろいから、鉄鋼、電気、精密機械、商社などほとんどの産業がうるおい、すごい経済効果がでてくる。そして、巧妙に世論作りをしながら核武装をしていくであろう。アメリカは世界への侵略に疲れ果ているから、日本をその方向に陰で導き、日本が自らやったのだという脚本を書いている。
次に出てくるのは国民徴兵制である。これで失業率の改善は二桁はいく。
毎日新聞の報道によると、アルジェリアで日本人を殺したテロは外人部隊であるという。その近隣では失業率が高く、傭兵を志願する者が多いという。日本にもそのうち(人殺しが仕事である世界)ができてしまいそうな気がするが、その前に体制の狙いをいつも見張っておくべきである。
8年前、息子が高校二年生の時であった。
(お父さん、ゲームのカードを買いたいから、車で乗せて行って)
(おー、良いよ)
わたしは軽く答えて、にんまり笑った。
息子は6,7歳の頃から、冬の寒い朝など石油ストーブにべったり張り付いて飯を食い、その食べ方は障害者のように遅かった。何度注意しても改めなかった。サッカー部に入り、試合のたびに私は車で送迎した。体を鍛え、健康であることが大事で勉強は二の次だと考えていた。中学、高校と進んで、反抗期に入ったことはわかったが、甘え癖、怠け癖、他人のせいにする癖はひどくなっていく一方だった。いつも週に二回は遅刻し、高校から注意されていた。
(学校に遅れそうだから車で送って)
(ふざけるな!学校がいやなら辞めて働け)
(俺の名前をなんでこんな名前にしたん?こんな名前だからなにをやってもうまくいかん。変えてくれ)
(日頃の態度が悪いから人からそんなふうにみられ、名前にもイメージができてしまう)
私は言い、少しは治っていくかな考えていたが、なおらなかった。
(根性を入れろ!根性がないと社会に出ても食っていけないぞ)
(そんな大昔の言葉を使って?)
こんな有様だった。
息子が助手席に乗り込むとシートベルトをつけさせた。
わたしはドアをロックした。
(貴様このやろう、俺が何度言ってもわからんな。お前は人間世界で生きてるから殺されもせんでいられるけど動物の世界だと食い殺されてるんだぞ!)
というと息子に向かい、両手の拳で叩きつづけた。
息子は両手の平で頭をかばっていた。
いつも叩こうとすると逃げ足が速く追いつけなかった。サッカーで鍛えていたからだ。
その日はそのままゲームのカードを買いに行き、息子と話すことはなかった。
次は高校三年生の時であった。息子は公園でタバコを吸っていて学校に通報され、わたしが学校に呼ばれた。(これでお前は退学になるんだな。上の学校に行く金を出さなくて俺は助かる)とわたしは息子を罵倒した。息子は涙を流した。担任がわたしの家庭を訪問し、謹慎処分をくらった息子の様子を見に来た。(先生たちも大変ですね。文部官僚の言うなりになって自分の教育方針を実行できない)わたしは担任に言った。(お父さん、子供をしかったり叩いたりしてはダメですよ。誉めてあげなくては)担任は言った。
その年の春休み、息子は自動車販売店で洗車のバイトをし、専門学校に入り、アパート住まいを始めた。二年間通学しながらバイトをして、その金で自動車教習所に通い、免許を取り、就職した。
昨年の7月、わたしは心臓のバイパス手術をした。手術に失敗して死ぬ恐れがあったのでツマは息子のケイタイに電話を入れたが、(着信拒否)になっていた。息子からはまったく音信がない。
わたしは時々、気にかかった。(便りがないのは良い便り)という言葉があるが、どうしているだろうか?息子を訪問しようと考えれば出来る。
(お父さん、高校の先生がお父さんのことを何と言っていたか知ってる?)
(何と言っていた?)
(おまえは可哀想や。あんなお父さんに育てられからグレたんやな)
そんな会話が最後にあった。
(俺は自分の教育方針が間違っていたとは思わん)
そんなやり取りが思い出される。
さて、今回の全日本柔道女子の監督の暴行事件。練習に遅刻したり練習態度の悪い選手を叩いたり、暴言を吐いたという。マスコミは一律に暴力は悪いというキャンペーンを張っている。
私は今でも息子を殴ったことを悪いとは考えない。
選挙の結果、前町長の宮内氏が約七千票、開発反対派の西田氏が約五千票の獲得だった。二千票の差で前町長が再選したが、西田氏の五千票は開発の署名反対運動で獲得した数とほぼ同じであった。西田氏がもう少し早く立候補の表明をしておれば結果は逆転していたかもしれない。町長の毎日の仕事は様々な催しや会議に参加して顔をうることであり、彼の交際費の中から町民への慶弔金もでており、圧倒的な選挙運動を事前に組織的に展開していた。町議や教育長、町長、副町長、職員達の年収、退職金の数字も西田氏によって公表され、彼女は自分が町長になったらそれらを削り、町長の退職金は0にするとまで訴えていた。このことに開発側の町議、職員、町長、副町長、教育長などは恐れおののき、自分達の既得権を守ることに専念し、あらゆる地縁、血縁、開発業者を動員して得票活動をした。西田氏の町長選出発式には30人、宮内氏の出発式には300人の支持者が集まり、この数字でわたしは宮内氏の勝利を予想した。自民党の麻生代議士も衆議院選挙と重なったこともあって宮内氏と手を組み、開発反対を訴える者は西田氏とわずかな共産党議員だけであった。他は自己の既得権の防衛に走り、岡垣町をどうするかなんて考える者はいなかった。10対1の差で自分が再選すると信じていた宮内氏は五千人の開発反対署名者の数と二千票の得票の差に敗北にちかい苦汁を飲まされた。
海老津駅南口開発にたいして議会ではまだ継続審議なのに、正月明けから金比羅山でチェーンソウの荒々しい響きが鳴り渡っていった。30個はある頂上への石段、その両脇に茂った杉の木が間伐も含めて100本ちかく切り倒され、その後は小学生が動因させらて桜の木を植樹し(きれいな町にしましょう)と訴えかけさせた。町の演出どおりに進められていった。金比羅山の線路側、幅17メートルの杉の木が100本以上倒され、消えてしまった。禿山が赤土をむき出している。そこを17メートル道路にするのである。山の入り口に立っていた樹齢200年ほどの銀杏の木が切り倒され、そのあおりでそばに立っていた社が崩壊し、その弁償は業者がするかどうかもめているらしい。秋祭りのときに子供達が歓声をあげていた相撲場も消えた。
あの杉の木の地面の中で、今年の夏に鳴こうとおもっていたセミたちは殺されたんだな、といつも散歩している男は言い、あの神社の下のお地蔵さんの前垂れはうちの母がいつも作ってやっていたと付け加え、町に苦情を訴えに行っても協議会が了解しているとこたえるだけだといった。
これはまだ序の口で、これから岡垣町の象徴とも言われる金比羅山が破壊されていき、車の走らない広い道路が出来ていくと思うと胸が痛んでくる。