ブログ - 20140218のエントリ
15年ほど前、NHKは海老沢会長の発言問題で揺れ、マスコミも騒ぎ、営業現場も視聴者との対応に難儀した。今度は籾井会長の発言、従軍慰安婦の件、で揺れている。ケネディ駐日大使はその発言を理由にNHKの取材を拒否している。
23年間、委託集金人として働いたわたしは15年前のことを思い出す。その時の営業部長は、NHKは外部の圧力で潰れることはありません、と言い、わたしはその言葉の意味を反芻してみる。放送法で受信料の支払い義務があるから、と彼は言いたかったにちがいない。では内部の力で潰れることはあるのだな、とわたしは考える。わたしの目でみると失礼な言い方だが、NHKの職員はパーツ(部品)に等しい者が多すぎるし、対立意見や反対意見を評価する体制がないどころかそんなことを言う者は左遷の憂き目にあうだけである。つまり、この組織は自浄や変革能力が欠落しているのである。まっすぐ真剣!というNHKの10年前のキャッチコピーは、まっすぐ真剣ではない、ということを現しているにすぎない。だから今回の籾井発言に対して職員や日本放送協会労働組合は抗議も反論もしないのである。改革や変革は口先だけのことであったし、今回の発言による危機感も薄いのである。これは内部の力による崩壊の兆しかもしれない。受信料拒否者が数十万人、数百万人の規模になった時一人一人を裁判にかけられると思っているのだろうか?
そんなことは労力からも費用からも出来はしない。受信料の支払いどころか取材のも応じてくれない事態になると大変なことになる。受信料収入が99パーセントで運営されている組織なのである。今でもNHKには見る番組が少ないのに取材拒否が増えれば番組の質が落ち、さらに支払い拒否者が増え、インターネットに食われていく、という悪循環が想像される。
NHKには適切な方向に導くナビゲーターがいない、それ育てる思想がないとなると、内部崩壊するしかない。硬質な番組をつくっていた時代にしか価値がなかったあと言わざるをえない。
心臓のバイパス手術のために入院したのは一年半前です。3週間の入院でしたがあの体験は衝撃的で、わたしの人生に強い痕跡を残しました。痕跡の数はいくつもありますが、今思い起こすのは次のことです。病院とは(死)や病気を許される世界だと言うことです。遠賀病院で心筋梗塞を起こし、ナースステイションにベットごと運ばれた時、二人の看護婦は廊下に向かって立ち、医者の到着を待っていました。二人は会話をしながら笑っていました。わたしは心臓を切り裂かれるような痛みで呻きながら、彼女らが談笑しているのが」わかりました。ここでわたしは彼女らを責める気はまったくありません。彼女らにとって、患者の痛みや死は日常的なことで、マニュアルどおりの対応をしていれば良いのです。ちがう角度からみると病院とは痛み、苦しみ、死、病気が許された世界なのです。患者が安心できるのは自分の痛みや病気を救ってくれることもありますが、病院とは(死)の入り口でそれを認め受け入れてくれるということにあります。
退院後の一般世界はそうではありません。苦しんではいけない、悩んではいけない、死んではいけない世界なのです。なぜでしょうか?(死)を受け入れ美化までした戦前の日本は資本主義の侵略により180度反転しました。(死)を受け入れ美化までする思想は資本主義のじゃまにしかなりません。長生きして病院の世話になり税金を納める人間がたくさんいなければならないのです。
近頃、日本人が挨拶に使う言葉は次の文句が多いです。健康で長生きしましょう、という言葉です。健康で長生き、というのは何かをするための土台でしかないはずですし、戦前の日本人がこの言葉を耳にすれば、生き恥をさらすのか?という反論がかえってきたでしょう。(恥)という言葉さえなくなった時代です。
何をするための(健康で長生き)なのか?それをはっきり見据えなければ意味はありませんし、国自体がまず(国体がなんなのか)をはっきりさせるべきです。