ブログ - 20140216のエントリ
(近視眼的思考)という言葉が40年前に流行したが、その状況は今の社会に定着して当たり前になったせいか役目を終えて消えてしまった。言葉にはそんな傾向がある。軽薄短小、虚飾、スケベ、商業主義、アメリカ帝国主義、いやらしい、肝っ玉母さん、援助交際など言葉は一時的に花を咲かせるが実体に吸収されるとまったく姿を消してしまう。
今の時代を(近視眼的思考)などとマスコミもとりあげはしない。近くのものは見えても遠くのものが見えないという時代の状況になってしまっているからである。東北大震災後、放射能汚染物質が決して消滅せず地球の奥深くまた全体に食い込んでいるという現実は近視眼的思考とリンクして人間を注意多動型にした。神経症的に動き回っていないと落ち着かないのである。皺のよった顔に尻の皮膚を移植したは良いがそれが崩れてケロイド状になった歌手、美味しくて手軽な弁当や惣菜ばかりを食べたがためにアトピーになった娘、オリンピックの成功を訴える都知事候補者を一面に毎日取り上げたかと思うと翌日には日本の借金が増え経済破綻するかもしれないと書く新聞やテレビ、除草剤は大気中に消えるから安全ですよと言って撒き続ける岡垣町は(自然を守りましょう)といって赤海カメの産卵と自然保護活動をいつもPRしている。年収一千万近くをもらって議会に顔を出している教育長は子供達にこの矛盾をつかれたらどうこたえるのだろうか?彼は矛盾に気付いてもほうかむりをしていればいいのであり、近視眼的思考で子供達を育てていけばいいのである。無数の兵隊達を戦場に送り込んだ当時の政治、教育者、マスコミ、軍人、父兄たちが真摯な反省も原因追及なく、一億総無責任体制が現在もつづいているように目先のニンジンに振り回されて生きていけば良いのか。
マスコミに言いたい。敗戦や東北大震災など歴史を変えるような惨事は期限をもうけずにシリーズで追うべきではないか!いろんな事件や出来事が多発することはまちがいないが振り回されない信念を持って欲しい。