ブログ - 20130928のエントリ
わたしは日本の教育制度および文部科学省に対して憤りをおぼえ、腹立たしさしかありません。かれらに同調している国民にたいしても不信感をおぼえます。人間が試験の点数によって評価される仕組みこそ人権侵害ではありませんか?試験の点数のほかにその人をみる視点はいくらでもあります。視点を変えるだけでその人への評価はまったく変わります。
口先では多様性をうたいながら、いざとなると学歴を持ち出し、人間の評価基準に依存するこの体質。それに疑問を抱かない人間が多すぎる。いつまで自分の視点をもたないのですか?いつまで権威の信仰者でありつづけるつもりですか?あらゆる権威はすでに内部崩壊しかけているのですよ。
わたしは大学に入り、最初の講義の日から希望を失いました。当時、マスプロ教育と言われたように教室はすし詰めで座る椅子がないのです。大学側は受講する学生ははじめだけで後は減っていくことを見越してそれだけの席しか用意してなかったのです。何十人かは立って講義をきいており、大学側の予想どおり一ヵ月後には半分くらいになっていました。
当時、法政大学は東大の植民地と呼ばれていたように東大から講師が派遣されていました。マイクを握り、顔をふせたままノートかテキストを棒読みする教授や講師がいました。かれらが学生運動家たちに吊るし上げを食らったのは当然でしょう。
教育とは何でしょうか?
生きることを教え育む学問、だとわたしは思います。
生きるためには何が大事でしょうか?試験の点数でしょうか?
試験の点数で会社や社会が良くなるのであれば東大卒ばかりを社員や公務員にすれば良いじゃありませんか?ところがそんなことをすればその組織は崩壊します。多様な人間がいてこそ組織は生存できるのです。
生きるためにはまず食料と自然がいるのです。食料ははどうすれば生産が出来、口にいれることができるのでしょうか?自然の価値とはなんでしょうか?
生きるためには健康が大事ですね?どうすれば健康を維持することが出来るでしょうか?
生きるためには人間どうしのコミュニケーションが大事ですね。どういう姿勢であればそれを保つことができるでしょうか?
以上のような基本的なことを教育の根底にすえていますか?
これは文部科学省に問いたいことです。どんな答えをするかわかりませんが。
ともかく、人を教えるにあたって哲学つまり基本命題を持たないのです。基本が抜け落ちているのです。
これは今だに日本がアメリカの属国ということから生じているのです。