ブログ - 201409のエントリ

秩序からの離反とは?

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-28 9:59

 わたしが身障者の申請をし、身障者の仲間達とカラオケの練習などしてるとこんな題が思い浮かびました。人間社会にも宇宙にも秩序がある。自然界にも秩序がありそれを乱し破壊した者は反動として災害や大気汚染、放射能汚染をうけ、自らの生命と生存を危うくすることになる。

 わたしも含めて身障者たちは人間界の秩序・健常者の秩序から少し離反している。形の上でも肉体機能の上からでも少し反れている。わたしは偏見はいっさい持っていないから良いとか悪いとかではなく、その離反を芸術的な視点から捉えてみたい。ピカソの絵にこんなのがある。人物画であるが、顔の部分において目鼻立ちが秩序を失い、目や鼻や口がおさまるべきところから離れバラバラて描かれている。こんな絵は他にはないと思うが非常に印象的であり、不可解であった。近頃わたしはそれが人間の精神分裂病を表現してると考え、希少な価値を認めるようになった。同時にこれまでの芸術は秩序に依存し、体制側・支配者側に寄りすぎているから力強さを失っているのではないか?

 (身障者の芸術)というのがあって展覧会も開かれているが障害者達の本質的な能力には届いていない。精神障害者たちが岸壁に絵(このホームページのビデオ映像集に収録)を描いていたが(子供達の夢という題です)すごく生き生きとして感動的であった。エネルギー保存の法則があるように、ある部分で劣っているということはそのエネルギーが異なる部分に現われるということである。

 政治にしろ文化にしろ経済にしろ、すべての分野において多数派と少数派が入れ替わらなければこの世の先は崩壊すかない。多数派は秩序に依存し利用しているから秩序を疑問視したり異議をとなえたりすることはない。改革や変革をすることは自分たちの首を絞めることになるからありえず、少数派の出番が待っているというわけだ。

障害者のいない世界?

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-27 12:00

 心臓のバイパス手術を受けた者は障害者の認定を受けれることを知り、町役場に行って届けてきました。わたしはこれで障害者になるわけです。もとより吃りで声を出すことに困難を生じることがありましたが、なんとか自力で飯をくってきましたので障害者の世界は初体験です。(障害者の会)から声がかかってその仲間にも入りました。うちの家系は障害者の多いほうですが、(レア)を自称するわたしは障害者に対して特別な」視点を持っています。

 この前テレビでアメリカには障害者を紹介するプロダクションがあることを知り、おどろきました。映画やテレビ、雑誌の中で障害者の登場が必要な場合、紹介して派遣するわけです。日本でそんな会社は聴いた事がないので、さすがに自由の国だなと感じ入りました。振り返ってみると最近の映画やテレビドラマや写真や見世物小屋に障害者の姿を見かけないことに気づきました。わたしが幼い頃、小倉の街に出かけたりすると傷痍軍人がいました。白い衣服に身を包み、軍帽をかぶり松葉杖をついて街角に立っていました。アコーディオンをひきながら軍歌を歌い、缶詰の空き缶にお金が入るのを待っていました。太平洋戦争で闘った軍人なのでしょうが、アコーディオンから軽く流れるメロディは片腕がない片足がない悲惨さと対照的で聞いてる者の胸を打ちました。その時代の写真集からその写真は消えています。

 人権のもとに障害者たちが消されているのです。障害者が登場すべきだし、それが多様性の一つなのです。逆に障害者を登場させない映画や写真は障害のある世界ではないでしょうか?

娘と幽霊を見た女。

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日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-27 6:39

 今でも時々、その通りの街並が心の中に浮かぶことがあります。一戸建て団地の道通りですが閑散としていて、うす曇の秋の頃、少し先に公園の緑の木々の見える普通の景色です。景色というものは不思議なものでそこで人とのかかわりなどがあると映画の一つのシ?ンにみたいになるものですね。

 わたしはバイクを停め、車を停めた青年と話していました。彼はそばの家から出てきたばかりで、わたしは受信料の支払いをお願いしていました。力尽きたようなひ弱な顔を運転席から見せて彼はわたしの話しを聞いていました。今月分の1395円を払うように彼に言いましたが、金がないのでこの次にしてくれ、という返事でした。

 わたしが一週間後にその家を訪ねると彼の奥さんが払ってくれました。どこか色っぽい女の人で、二歳くらいの幼女がそばに立っていました。わたしは二ヶ月に一度、集金に通い始めました。生活が苦しいことがわかったので、チョコレートをもっていき娘にあげました。奥さんも笑顔を見せ、わたしも通うのが楽しみになりました。

 半年後、おかしなものを見ました。25歳くらいの奥さんですが、その首のまわりに赤紫の紐の跡が見えました。尋ねるわけにもいかないので後で考え、ひもで首を巻いたような長い跡で首の後ろにまで伸びていることに気づきました。首を吊った跡としか考えられませんでした。借金があることも聞いていました。

 一年後にその一家は引っ越していきましたが、どこに行ったかはわかりませんから、不明処理をしました。その一年後、国道3号線のそばの借家を点検し、受信料の未払いの家を探していました。金貸しの機械が三台並んだ先の家を発見しました。リストに名前がないので未払い者か転入者です。ドアをノックしました。若い女が出てきました。その奥さんでした。お互いに懐かしくなり、笑顔を見せ、受信料の当月分を払ってくれました。

 また集金に通い始めました。女の子は四歳くらいになり、わたしをオジチャンと呼び、わたしは子供シールをカバンから出してあげると、喜びました。

 二年ほど通うと、その一家はどこかに消えました。奥さんはここは金貸しの機械があるので金に困った人が集まり、環境が良くない、と言っていました。次のようにも言ったのです。この家は不幸ごとがあったのですよ。時々、髪の長い女の人が奥のほうに座っているのが見えるのですよ。娘も言うのです。お母さん、あそこにまた髪の長い女の人が座ってるね、って。わたしはおどろき、娘までが見えるのだから本当に居たのだと考えました。わたしにはそんな能力はまったくありません。テレビの受信機のような能力でしょう。電波は人の目には見えませんが、機械を通すと画像に変わるように。

 3年後、バイクで宗像市自由が丘の団地を走ってると、軽トラックに乗った女の人と顔が合いました。奥さんでした。車を停めて話をしました。前の主人は借金を苦にして、車の中で焼身自殺をした。わたしの胸は痛み、痩せてひ弱そうな若者を思い浮かべ悲しくなりました。彼女は別の男性と結婚し、今はこの車で廃品回収の仕事をし、実家で両親と生活をしている、いう話を聞きました。あれから二十年、あの時の娘は成人して結婚したでしょう。今度、奥さんとどこかであったらわたしのあれからの生活も話してあげようと思います。

 

 

コオロギのテンプラ料理。

カテゴリ : 
レア料理
執筆 : 
nakamura 2014-9-23 20:35

 シソの実をテンプラにするついでに、畑でコオロギを五匹捕らえ、油で揚げました。どんな味がするかという興味と同時に食料危機にたいする備えを考えたからです。味のほうは美味くもなく不味くもなく、味がないというのが正確な表現でしょう。40年くらい前にイナゴの佃煮を食べた時も味がほとんどなかったことを憶えています。コオロギを食べた後、喉にひっかかるものがあったので指で取り出してみると、コオロギの羽でした。可笑しな感じがして笑いましたが、まさか胃の中で鳴き始めないかと冗談気分になりました。知人に話すと笑い、今度はジャンボタニシを食べてみたら、と言われたので試してみるつもりです。次はカタツムリの試食をしてみようと考え、周りにいくらでもあることに気づきました。そんなことして?と笑われるかもしれませんが、一度経験すれば次は無難にとりかかれるものです。

 

春野菜を植えよう。

カテゴリ : 
菜園作り
執筆 : 
nakamura 2014-9-20 21:31

 だいぶ涼しくなり、コオロギの鳴き音も少なくなりました。コオロギ達は新野菜を食べつくすので、今まいておくと芽がでる頃には彼らも絶え、食べられる可能性は少なくなります。

 まず、苗ものからですが、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツを植えます。自然農法を目指していて落ち葉や堆肥だけで育てる方針ですが、落ち葉が完熟堆肥になるには3年はかかるので、苦土石灰と鶏糞、化学肥料(少々)を使います。畑にそこだけショベルで穴を掘り、肥料を入れ、水をたっぷりかけます。苗を植えて土をかけます。周りに棒を4本立て、天井と底を破った肥料袋を被せ虫除けにします。

 次は種物です。浅植えが出来るのは豆類で、虫に食われることも少ないのです。畑全体に水を撒き土をやわらかくし、灰か苦土石灰、鶏糞を撒きます。ミツグワで軽く耕しながら肥料と土を混ぜます。土に穴を掘って、キヌサヤインゲン、スナップエンドウ、ソラマメを入れ、土をかぶせます。水を全体にかけて、終わりです。芽が出れば支えの棒を立ててあげます。

サトイモの茎を食べる。

カテゴリ : 
レア料理
執筆 : 
nakamura 2014-9-20 21:11

 先日、産直の店にサトイモの茎を出してみましたが、売れないどころか逆に、こんなものは食べれない、と苦情の電話がかかってきました。五パックも出してそんな反応があり、がっかりしましたが、料理の方法をご存知なかったのかと思い、ここに書くことにしました。

 茎を切って鍋に入れ、5分間ほど湯がき、ハシでさして湯で具合をみます。ハシがゆっくり通るくらいが良いのです。水洗いをして、水を切り、冷まします。あとは皿に盛って、ポン酢をかけ、削り節を載せます。味は少しエグる(喉にひっかかるような不快感)感じがありますが、逆にわたしは慣れているのでコクのある味を覚えます。ビ?ルや酒のツマミには最高だと思うのですが、レアな料理でしょうか?

シソのテンプラ

カテゴリ : 
レア料理
執筆 : 
nakamura 2014-9-20 11:17

 シソは花が咲いて実を付け始めています。その部分だけをハサミで切り取ります。小麦粉に塩を少し入れ、鶏卵を溶かし水を加えてドロドロにします。その中にシソを入れかきまぜ、全体に塗りつけます。

 テンプラ油をテンプラ鍋に入れ、高温になるまで待ちます。鍋の油の中で入れた物がすぐにはじく程度が良い温度です。ここが大事な点で、シソがこんがりと揚がるかどうかのちがいにかかってきます。

 そこでシソを入れてみます。熱を帯びて葉が広がっていけば成功です。シソ全体が黄色くなればハシで取って容器に入れます。揚げ具合でクッキーのようにもなってカリカリした食感も出ます。茶色っぽくなればクッキーの味です。

 庭のある家ではシソは自然に生えるので、秋には重宝な食材です。

料理の基本

カテゴリ : 
レア料理
執筆 : 
nakamura 2014-9-20 10:56

 料理の基本は煮る焼く炒める茹でる蒸すなどの加工をして、素材の味や養分を最高のレベルで出すことにあります。人間であれば教育という加工をとおしてその人の持つ才能・個性を最高のレベルで引き出すことと同じで、実態である大量生産・大量消費のシステムでは出来ません。

 肉や魚や野菜は最初から醤油・日本酒・砂糖は入れず、まずそれらに付着している水分を消すことからはじめ、カルキ臭い水道水などは使用しません。水分を消すのは鍋を弱火で空焚きし、そのまま肉・魚を入れます。煮物であれば水分が消えた状態で野菜類を追加して本来の味を出させ、日本酒、砂糖、醤油と適量を追加していきます。カレー・ライスであればジャガイモ・ニンジン・タマネギ・豚肉を空焚きし、かき混ぜてなじませ、水を加えていきます。イカを入れてのカレーライスも美味しいし、大根やナスを入れても美味しいです。自分好みのカレーライスはいくらでも作れます。

 料理は芸術作品と同じで、自分の味覚や臭覚など感性を動員してできる楽しいものです。家族や友人といっしょに食べることで楽しさもふくらんでいきます。

死が恐くて自殺した男

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-19 11:12

 わたしは宗像市内で集金の仕事をしていました。23年間もつづけたので市内を通りかかるたびに思い出の集金先に、バイクを止めてみることがあります。ある農家の集金先でした。バイクを止めてみると以前の古い家はなく、新築の家が建ち前住者と同じ表札名が出ていました。

 瓦の落ちかけたあの小屋も消えていました。そこで老主人が首吊り自殺をしたのです。

 15年前のことです。その家はNHK受信料は口座振替にしていたのですが、残高不足になり領収書が発行されわたしは集金に通い始めました。やつれた老婆が現われ、払ってくれました。彼女は家の内部のことをよく話しましたので中の様子がよくわかってきました。家の中は老婆が独りで住んでるのかと思っていましたが、時々30歳くらいのスキンヘッドの男が近くに立って老婆とわたしの様子を見ていました。あの子は夜勤の仕事なので昼間は家で休んでいるのですよ、と老婆は言い、わたしはその言葉を信じていましたが、向かいの家のお婆さんは彼は引き篭もりで時々彼女の家に入って物を盗んでいくと離していました。実際は働かずそんなことをしていたのですが老婆は良いようにつくろっていたのです。あの子の母親は博多の中洲で働いていて、わたしは街中で男を相手に夜通し働いていた、と言って農作業を嫌っていました。

 その息子は施設に引き取られ、老婆は特別養護老人ホームに入りました。

 ある時、強く印象に残る話を老婆がしました。

 うちの主人はずっと百姓をやっていましたが、ある時期から、俺はどんなふうにして死ぬんやろうねえ?と口癖のように言うようになりました。わたしはどう答えて良いかもわからず、そんなこと言ったって、とつぶやいていました。ある時、主人がまたそのことを言いはじめましたので、また始まった、と考えて昼食の茶碗洗いをしていましたら、主人の出かける物音が玄関から伝わってきました。えらく、急に飛び出した格子戸の閉め方でした。畑に出かけたのかと思っていましたが、夕方になっても農作業用の軽トラックは車庫にありました。

 倉庫に行き、二階の納屋に行ってみるとロープで首をつった主人の死体がぶら下がっていました。

 わたしはその場に倒れ、何時間も起き上がれませんでした。嫁と息子が動いて葬式も終えましたが、

今になって主人の言葉が何度も思い浮かんでくるのです。

歌う心は祈りである。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-9-16 5:07

 近頃はカラオケにはまり、カラオケ教室に通ったりカラオケ・スナックに行ったりしています。若い頃から特別に関わっていたわけではなく、スナックに寄った時に歌う程度でしたが、定年退職後の暇が出来て歌い始めると、人生の心がよみがえり至福感を覚え始めました。「上海帰りのリル」「旅の夜風」「兄弟仁義」「無法松の一生」など歌い始めると、声を押したり引いたり捻ったりして自在に変化させ自分の歌に出来るようになりました。歌詞を素通りさせずに、言葉をかみ締めるようにそして伸ばして歌っていくと心と調子や気分が合い、まさに祈っている気持ちです。

 野山を散歩しながら畑を耕しながら口先に歌が出てきます。なにか素晴らしい境地に達したようになりました。カラオケ教室では新曲を皆で歌って練習するわけですが、その歌に慣れて自分の歌になった時には新しい家族が自分の心の中に訪れてくれたような気持ちです。

 歌いながらあの世に旅立てれば最高です。

 

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