ブログ - 20130927のエントリ

現代社会と性同一障害

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-9-27 2:49

 

 (性同一障害)という言葉はまだ新しくて馴染みがありませんが、平たく言えば(心と体の性が一致しない障害)ということになります。ペニスを持つ男の体でありながら女の体としての欲求がある、逆にクリトリスと膣を持つ女でありながら男の体としての欲求がある、あるいは両方が混合している状態です。従来の表現では(ホモ)や(レズ)、(両刀使い)と呼ばれたものです。これらを障害と名づけた社会にわたしは疑念をいだくと同時に社会の差別意識を嗅ぎ取ります。同時にこの言葉が定着するかあるいは否定されて別の言葉に取って代わられるかにも興味があります。また、精神病理学会という秘境の世界が迷いと混乱を生じているのを感じ取ります。

 オランウータンやゴリラの世界に性同一障害が存在するかどうかはわかりませんが、生物学的にいってもオスとメスは上記のような体の構造によって決まるというのが常識です。常識というのは政治・社会体制が変われば変わるもので真実ではありません。動物の世界にも性同一障害は存在するのかあるいはしていても発見されていないの、淘汰されて消えているのかわかりません。

 その前に(障害者)(健常者)という区別とも差別ともいえない言葉について考えます。結論をさきに言えば少数派は障害者にされ、多数派は健常者になっている(思想)から問われねばなりません。それは民主主義の多数決原理に基づいていて、それを修正するために(差別を無くそう)というスローガンが出てきたのです。社会の一員になれないから、障害者であり、それが増えてもし多数派になってしまえば、立場が逆転し政治体制はくずれてしまいます。それを防ぐためにも体制側は障害者を訓練して社会活動をさせ、(健常者側)に組み込んでいこうとしているのです。

 多様性という言葉があるように本来(性)も多様なものなのです。あらゆる(人間模様)があってしかるべきですが、(一夫一婦制)で管理している国家にとっては都合が悪く、オスかメスかはっきりさせたいのです。複雑な社会が産んだその模様は認めざるをえないが、認めると管理がむずかしいどころか不可能になる可能性もあるのです。

 そこに(性同一障害)といって、(性の多様性)とはいえない社会の苦悩を読み取ります。

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