ブログ - 201309のエントリ
わたしは日本の教育制度および文部科学省に対して憤りをおぼえ、腹立たしさしかありません。かれらに同調している国民にたいしても不信感をおぼえます。人間が試験の点数によって評価される仕組みこそ人権侵害ではありませんか?試験の点数のほかにその人をみる視点はいくらでもあります。視点を変えるだけでその人への評価はまったく変わります。
口先では多様性をうたいながら、いざとなると学歴を持ち出し、人間の評価基準に依存するこの体質。それに疑問を抱かない人間が多すぎる。いつまで自分の視点をもたないのですか?いつまで権威の信仰者でありつづけるつもりですか?あらゆる権威はすでに内部崩壊しかけているのですよ。
わたしは大学に入り、最初の講義の日から希望を失いました。当時、マスプロ教育と言われたように教室はすし詰めで座る椅子がないのです。大学側は受講する学生ははじめだけで後は減っていくことを見越してそれだけの席しか用意してなかったのです。何十人かは立って講義をきいており、大学側の予想どおり一ヵ月後には半分くらいになっていました。
当時、法政大学は東大の植民地と呼ばれていたように東大から講師が派遣されていました。マイクを握り、顔をふせたままノートかテキストを棒読みする教授や講師がいました。かれらが学生運動家たちに吊るし上げを食らったのは当然でしょう。
教育とは何でしょうか?
生きることを教え育む学問、だとわたしは思います。
生きるためには何が大事でしょうか?試験の点数でしょうか?
試験の点数で会社や社会が良くなるのであれば東大卒ばかりを社員や公務員にすれば良いじゃありませんか?ところがそんなことをすればその組織は崩壊します。多様な人間がいてこそ組織は生存できるのです。
生きるためにはまず食料と自然がいるのです。食料ははどうすれば生産が出来、口にいれることができるのでしょうか?自然の価値とはなんでしょうか?
生きるためには健康が大事ですね?どうすれば健康を維持することが出来るでしょうか?
生きるためには人間どうしのコミュニケーションが大事ですね。どういう姿勢であればそれを保つことができるでしょうか?
以上のような基本的なことを教育の根底にすえていますか?
これは文部科学省に問いたいことです。どんな答えをするかわかりませんが。
ともかく、人を教えるにあたって哲学つまり基本命題を持たないのです。基本が抜け落ちているのです。
これは今だに日本がアメリカの属国ということから生じているのです。
(性同一障害)という言葉はまだ新しくて馴染みがありませんが、平たく言えば(心と体の性が一致しない障害)ということになります。ペニスを持つ男の体でありながら女の体としての欲求がある、逆にクリトリスと膣を持つ女でありながら男の体としての欲求がある、あるいは両方が混合している状態です。従来の表現では(ホモ)や(レズ)、(両刀使い)と呼ばれたものです。これらを障害と名づけた社会にわたしは疑念をいだくと同時に社会の差別意識を嗅ぎ取ります。同時にこの言葉が定着するかあるいは否定されて別の言葉に取って代わられるかにも興味があります。また、精神病理学会という秘境の世界が迷いと混乱を生じているのを感じ取ります。
オランウータンやゴリラの世界に性同一障害が存在するかどうかはわかりませんが、生物学的にいってもオスとメスは上記のような体の構造によって決まるというのが常識です。常識というのは政治・社会体制が変われば変わるもので真実ではありません。動物の世界にも性同一障害は存在するのかあるいはしていても発見されていないの、淘汰されて消えているのかわかりません。
その前に(障害者)(健常者)という区別とも差別ともいえない言葉について考えます。結論をさきに言えば少数派は障害者にされ、多数派は健常者になっている(思想)から問われねばなりません。それは民主主義の多数決原理に基づいていて、それを修正するために(差別を無くそう)というスローガンが出てきたのです。社会の一員になれないから、障害者であり、それが増えてもし多数派になってしまえば、立場が逆転し政治体制はくずれてしまいます。それを防ぐためにも体制側は障害者を訓練して社会活動をさせ、(健常者側)に組み込んでいこうとしているのです。
多様性という言葉があるように本来(性)も多様なものなのです。あらゆる(人間模様)があってしかるべきですが、(一夫一婦制)で管理している国家にとっては都合が悪く、オスかメスかはっきりさせたいのです。複雑な社会が産んだその模様は認めざるをえないが、認めると管理がむずかしいどころか不可能になる可能性もあるのです。
そこに(性同一障害)といって、(性の多様性)とはいえない社会の苦悩を読み取ります。
(処女)や(童貞)と同じくこの言葉も死語になってしまい、今では懐かしく感じます。明治時代以降、あれだけ(貞操)が重大視され殺人事件にまで発展することがあったのにいつのまにか消え、変わって(セクハラ)がマスコミを席巻しています。(貞操)って何だったんでしょうか?なぜ消えたんでしょうか?これにきちんと答えきれる評論家はいないでしょう。
わたしたちはいつの時代にもUFOや宇宙人などといったわけのわからないものに振り回されるのですね。1970年、1980年代であればそれらも貞操も(集団幻想)で片付けられたかもしれません。
(不純異性交遊)をヤフーで検索すると、18歳未満の者が性行為をするのは刺激が強すぎるから慎むべきという意味合いにとれ、それはそれで理解できますが、わたしが笑いを抑えられないのは、ではひるがえって(純粋異性交遊)とはなにを意味するのか?ということなのです。そこにこの言葉を考え出した方の迷いがうかがえます。性行為をするにあたって純粋な心理状態か不純な心理状態かを問題にしてるのでしょうが、それは愛情があっての行為かたんに性欲を満たすだけのものかということになります。これを掘り下げていくと性欲は愛情から生まれるのか単なる生理的現象なのかということになり、人間の精神と肉体(物質)の問題になりますが性欲はそのどちらからでも発生し左右されることはありません。それを理解すれば(不純)という言葉は場違いでまさに(不適格)な言葉です。
(セクハラ)という言葉にテーマを持っていくと、セクハラを受けた者が相手に愛情をもっていればセクハラにはならず、逆に愛情の表現になり喜ばれるのです。不思議なものですね。受けた者は男でも女でも同じです。
不純異性交遊もセクハラも人間の心を問題にしてる点では共通しています。
前のブロッグで(恋愛は化学反応である)(元素は物質になって安定する)という題で書いていますが、精神は物質の反応であると主張してるように(不純)も(セクハラ)も当人の肉体の元素のなせるわざにすぎません。被害者は気の毒だと思いますが、物質エネルギーの放出であるかぎり、この世からなくなることはありません。
安部政権による憲法9条の改正、消費税の導入など時代は変わりつつあるが、(天皇制)については政治家もマスコミも国民も口にすることはない。万系一世、神聖にして犯すべからずものという認識なのだろうかそれとも空気のように当たり前でなくてはならないものという認識なのだろうか、わたしのような希少な者からみればわからない。新聞やテレビが一度でもその聖域にふれてみればどんな反応が出るか面白いと考えるのだが、どこもやってみようとはしない。タブーに触れることを恐れているのである。戦後長きにわたって左翼の俎上にのってきたにもかかわらず新左翼消滅、右翼消滅の時世の中で天皇制の論議も消滅してしまった。
皇族たちに人権をあたえるためにはその身分が消滅しなければならない。
かれらの苦悩・ストレスはわれわれには想像もつかないものである。街の中を自由に歩くことも出来ない、旅行を気軽にすることも出来ない、酒場に入ることもできない。これだけ人権(?)を奪われた者をわたしたちは知らないし、生まれてから市民が当たり前に与えられた自由を持たない人種をわたしたちは知らない。かれらはそのことを訴えることも出来ないのである。天皇の人間宣言があったからには、皇室に問うて人権を回復したいかどうかはっきりしてもらうべきではないか?それが良心的というものである。かれらは働かなくても飯が食えるから恵まれてると考える国民は少なくなっている。なぜなら、生活保護制度によって飢え死にする者は少なくなっているからである。
このタイトルに感応する人は団塊世代でしょう。青春を1970年、1980年代におくった人で左翼思想に興味を抱いた人でしょうが、当時は(革命的)という言葉がすごく格好良く今でもわたしの胸にはすがすがしく響きます。
平岡正明氏が書いた本がこのタイトルでした。
法律や憲法は公平性があり社会生活を営みやすくすることを前提につくられていますが、実質は社会を支配している体制側の利益を優先しているのです。それに反する行為、法律をおかすことは体制に反することつまり(革命的)であるということです。ふつう犯罪を犯すことは道義的な意味で捉えられますが、このタイトルは政治的にとらえているところが新鮮です。また道義という思想は儒教に由来していて、これは国家に奉仕する学問つまり御用学なのです。
犯罪は動機は別にして、それを犯すことは体制にぶつかると同時に自己に植えつけられた道義・道徳を犯すことでショッキングなことです。先日、ある知人が大声で嘆いていました。暴走族がさわいで夜眠れないとしつこく言うのです。彼はその前に、駅前広場で若者が喫煙してることに腹を立て、一人一人を叱り付けていました。工事現場を回っては現場監督に住民に騒音の了解を得たかとか、ダンプの運転手には車を停めている時にはエンジンを切れ、吸殻のポイ捨てはするな、など注意してまわっていました。
わたしは彼に言いました。
上から見下ろすような視線でものを言ってはいけないよ。喫煙する若者には、(おれも昔は吸っていたけどねえ)という言い方で相手の目線と同じにしなければいけない、あなたは少しおかしい。極端なことを言うと、砂漠の中を走る時に交通ルールが必要か?あれは便宜的につくられてるに過ぎないんだ。
その言葉に彼は怒って、部屋から出て行きました。
彼の気持ちはわかりますが、この世のルールや決まりごとは全体ではなく一部の者達の利益になるようにつくられているのです。それを犯すことは善悪の問題ばかりではなく、革命的な意味でもあるのです。
わたしは犯罪者を単なる善悪の視点から診ることはありません。
もっと広い視点で見ます、自分も含めて。
5年前の体験話です。
(ごゆっくり、どうぞ)
控え室から出たわたしは前方に歩いていった。太い柱の陰には指名した女が立っていて、わたしに笑いかけていた。
なにか違う感じ。店のHPでみた彼女の姿とはかけ離れていた。顔は笑ってるつもりだが子供の泣きべそのように見えたし、黒の短パンにサンダルをはき、安物のTシャツを着ていて、この世界で働く女にはとうてい見えなかった。
それでも寄り添うようにして階段を上り、部屋についた。
(ここに入ると自分の部屋みたいで落ち着くよ)
わたしはベットに腰掛けて浮かない気分で言った。
(よく来るんですか?)
HPには35歳と紹介してあり、小柄で痩せ気味の体の線はそれくらいに見えた。
(ここにしか相手してくれる女がいないのでね)
(わたしも岡山から出てきたばかりです)
(ふーん)と言いながら、わたしは両手を大きく開いて彼女を抱き寄せ、いつものパターンに入った。
その頃からインポ気味で硬直がむずかしくなっていたので、そんな時は女にアナル・マッサージをもとめることがあった。
わたしはペニスの反応を見ながら予感したので彼女にそのことを話した。彼女は立ち上がってローションを持ってくると指にこすりつけてマッサージをはじめた。
これでだめならバックの中からゴーヤを出そうと考えた。それでアナル・マッサージをしてもらうのだ。
硬直しなかったので彼女の口の中でイった。
50分間の時間は終わった。
(これを使おうと思ったけど。料理に使うのだったらあげるよ)
わたしはバックの中からゴーヤを取り出した。
(ヤカン一つの部屋だから何もないのよ)
(寮に入ってるの?)
(うん)
それで店を後にした。
その夜、店のHPを開き掲示板を見た。
来店のお礼が書いてあり、(思った以上の変態さんでしたが、素敵でした)とわたしのことを彼女が書いていた。素敵でした、は愛想だろうと考えた。
一週間後に彼女を指名した。
HPの書き込みの話をし、前回のパターンで終わった。
(小さい頃からお母さんによく言われました。三日つづけば一週間はつづく、と。二週間つづいたのでだいじょうぶです。次は休みをもらって岡山の友達や知り合いに会いたいです。それまでがんばります)
その夜の掲示板に彼女が書いていた。
なるほど、と思った。自分が若い頃出稼ぎに出かけ、会社の寮に入ったことを思い出した。殺風景で(ヤカン一つ)のような部屋だった。今でも時々夢に見る、不安にとらわれた。
一週間後の掲示板には次のように書いてあった。
(わたしにバツはありません。だれか良い人がいたらいっしょに生活しませんか?)
こんなことまで書いた女は初めてであった。
わたしも相手を探していた。
一週間後に店に予約の電話をいれた。
(チサトさんは辞めました)
(どうしてですか?)
(それは言えません)
わたしはそれ以上探れないことを知っていたので電話を切った。
ヤカン一つの部屋。
良い男が出来て店をやめたのか?高級店にスカウトされたのか?トラブルを起こしたのか?
なにもわかりはしないし、探ることまではしない。
わたしの脳裏にそのヤカンの光景がよみがえってくる。
わたしは1947年生まれの66歳ですが、戦後復興した日本とわたしが育っていった過程が精神史として重なってしまいます。肉体の歴史として考えると高度成長期は青春時代にあたり、今の時代は成熟した初老期です。わたしたちはベビーブームの世代と言われるように戦争から復員してきた日本男子がおおくの子供を産み、それは人口の比率の中でも一番数が多く、生まれた時から死ぬまで過当競争にさらされてきました。今度は二度目のオリンピックが2020年に開催され、わたしはそれまで生きていると思いますが生涯における最期の開催になるでしょう。
青春時代を東京で過ごしたこと、それが1970年1980年闘争と重なったことも青春にエネルギーを与え、その時代を日本の政治・文化の黄金期と名づけても過言ではありません。東京での青春を思い出すたびに感慨にふけり、懐かしさに胸が燃え上がります。すごい時代だっだのですが、声高に叫ぶ人はいません、まさか自分だけではないはずですが。団塊はどこに行ったのでしょう?尖閣列島や竹島問題の時でもおとなしいですね、あの時代のエネルギーはどこにいったのでしょう?
この時代とわたしの人生経験は一冊の本になるくらいの分量があり、いつかは(一撃必殺の世界)や全共闘リンチ事件、浅間山荘事件それにオウム真理教も入れて大江健三郎の著作のタイトルにもあるように(我らの狂気を生き延びる道を教えたまえ)と言わんばかりの本を書いてみたいと夢見ます。
その時代から今の時代を俯瞰してみるとあまりの変わりようにちがう国にすんでいるいような錯覚さえ覚えます。すべてにおいて変わりました。一つは街角や家庭の中や居酒屋で喧嘩の光景が消えたことです。まったく消えているのです。今は田舎に引きこもった生活を送っていますがたまに福岡市や北九州市に出かけ、街中をあるいてもここ20年は喧嘩の光景が消え、ホームレスの姿が消え、野良犬、野良猫が消え、近頃はゴミ漁りのカラスも消えました。かれらはどこに消えたのでしょうか?ホームレスは自立支援センターに引きとられ、野良犬、野良猫は姿を見せると同時に保健所に捕獲されて収容されるわけですが、カラスは生ゴミがなくなったからですが、(喧嘩)はどこに消えたのでしょうか?国会の論戦や評論家や学者の間でも喧々諤々たる論争が消えました。
わたしは今でも大声をあげてケンカをしますが、(あなたは今の時代に生まれてくる人ではなかったですね)と言われて、その意味を考えながら神妙な気持ちになります。なんだか、取り残された(団塊)という気持ちになり、他の団塊連中はどこにいるのかとあたりを見回すばかりです。ケンカをしなければ相手の本当の姿も自分のそれも見えません。外交においてもケンカをしていれば戦争に突入することはないのです。時々殴りあいをしていれば殺人にまで進むことはありません。
ケンカをすることで真理が見えてきます。そこで仲直りが出来れば以前にも増して相手と親しくなれます。そんな効用を考えてみましょう。
あれはおよそ50年前のこと、わたしが19歳、三島由紀夫が35歳の時であった。箱根山で首吊り自殺を思いとどまったわたしと、東大卒で大蔵省に入局し作家生活に入った彼とがすれちがった2、3時間であった。わたしは精神の破綻から立ち直ろうとしていたが、彼はわたしの存在に気づきもしなかった。わたしは時代の寵児が東京・後楽園ヘルスジムに出てきてベンチ・プレスの椅子に座り、殺気のようなオーラを放っていた夜を忘れはしない。わたしよりはるかに小柄な彼がじっと前を見たまま黙然し、暗く殺風景な地下室の中でどんな想いにふけっていたか今では想像できる。脆弱さと繊細さ過敏さを筋肉のよろいでおおうことに成功した男、他方はおおいはじめた男、どちらも世間的な輝きの点では極端な開きがあっても内実と気質は似ていたし、わたしは似ていることが相手の感性を照応(彼が文学表現でよく使う言葉)させ、気分が通じることに警戒と危険を覚えていた。
そこでわたしと知り合った若者が彼のそばに寄り、(先生の作品は読ませてもらってます)と声をかけたが、三島は軽くうなずいたまま、視線を変えはしなかった。つぎの夜はカメラのフラッシュが何本も放たれ、彼はその下でバーベルを持ち上げていた。その光景は彼の写真集になって肉体美に集大成された。5年後に彼は市谷の自衛隊官舎で割腹自殺をし、その近くにある法政大学に通っていたわたしは新聞紙面でその冗談みたいな事件を知り、訝しくとらえたのだった。
(一撃必殺)の世界を経験したわたしは文学書を読み漁り、彼の思想に追随する日があった。彼の行為、つまり肉体を極限にまで鍛え上げることで感性の繊細さをみがき保護する修養は自己破壊と攻撃の可逆反応を生み、極限にまで発展させた。自己の肉体を叩き鞭打つ衝動は剣を突き立てて切り刻む行為に快感と陶酔に導き、拒むことは出来なかった。
それが切腹行為であり、彼の作品の中にひんぱんに出てくる自死への願望であった。
わたしは目のギラギラした肉食系の男で、女から嫌われてきました。以前であれば、そんな男ではなく好い男だと訴えたい気持ちがありましたが、今ではそれに(レアー希少性)という視点を与えて主張します。男女のエロ模様は(男女関係)であり、いつまでたっても結論や哲学が見出せません。だから非常に面白いのです。
66年も生きてくると、そこにある程度の定理みたいなものを見出せます。
その前に、わたしもふくめて多くの男は女に好かれたいと思い多くの女も男に好かれたいと思っているのは事実ですが、そうなった場合はたして幸福なのかと考えてみると決してそうでもありません。男の場合だと女関係がうまくいかない場合はスキャンダルを起こして仕事を失ったり多額の金を取られし、女の場合だと絶えず男に狙われる危険性も出てきます。もてない男女はその危険性はほとんどなく安心です。わたしの場合がそうです。
女に好かれる男は表面的には草食系だが実は肉食系というタイプ、あるいはまったくの草食系というタイプです。草食系はおとなしくてひじょうにうちとけ易く、そばにいても安心感のある男です。たとえばこんな男性がいます。田舎に広い敷地を借りて、子持ちの若い女と住んでいます。借家ですが。食事、入浴、トイレはそこでおこないますが、寝る時には男はそばの納屋に行ってその二階で寝ます。冬の寒い時にもそこの布団の中に入ります。彼は敷地内にレスとランを開いていて、もう一つのシングルマザーが通ってきて客に食事を出します。男の行き方考え方(オーガニック思想、人の子でも自分の子として育てる、エゴを捨てる)に共感していて性関係はありません。そんなつながりを5年間ちうかくもって平和に暮らしています。
わたしは自分があんな男になれれば幸福だろう、とあこがれることがありますがわたしにも個性がありますのでなれるはずはないし、自分は自分の生きかたしかありません。インポになりながらも女への憧れと好奇心はあります。それが女に魅力を与え、生きていくのが楽しくなるのです。
人生とはそんなものです。自分というものをまっとうする、それが人間そして生物の生き方でそれに異を唱えることはできません。
こんな俺でどこが悪いのか?
と、言ってやろうじゃありませんか!
五日前のことでした。その日は岡垣町議会の傍聴に行く日で、O君が家の門扉の前まで車で迎えに来てくれました。
助手席のドアを開けて乗り込もうとすると、わたしに付いて来た蚊がいっしょに車の中に入ってきたのです。
(ああ)と言って、手を振って追い出そうとしたのですが、どこかに隠れてしまいました。
(蚊っていう奴は本当にしつこい奴だな!)
わたしはいらだたしく言いました。
(そんなに苛立つものじゃないよ)
とO君は言うのです。
彼自信も苛立つことが多いのにです。
わたしが黙っていると、
(良いほうに解釈することも出来るのですよ。自分の血は蚊に吸ってもらえるほど価値があるって)
彼はハンドルを握って車を発進させながら言い、(ほう?おれが時々言う箴言みたいなことを言うな、生意気に)とわたしは考え、(それはそうだな。歳をとって心臓の手術までして、一日に10錠もの薬を飲んでるおれの体はまだ吸う価値があるんだな)と言いました。
O君は黙ったまま、うなずいていました。
午前中の議会の傍聴を終えると、彼の車に乗ってもどって来ました。
彼に礼を言って、自分の部屋の引き戸を開けました。
すると、(お帰りなさい)と言うように、部屋の中で待っていた蚊がわたしに寄って来ました。まるで妻みたいです。
蚊取り線香に火をつけながら、彼の言葉を思い出しました。
(蚊に愛される男)
浴室でシャワーにかかり、何箇所かに刺された痛みを覚えました。
タオルで体を拭いていると、肘と膝の裏側を二箇所、刺されていました。