ブログ - 20130902のエントリ
まさに、自然界に汚いものや汚れたものはないし、それは人間に植え付けられた一般常識というフィルターが感じ見ているにすぎません。それがなければ美しいとか汚いとかの感覚は存在しないのでしょう。たしかに自然界においてもきれいな花にはたくさんの蝶が寄って来て受粉をしてくれるでしょうが、他方、腐れた死骸や糞や葉っぱにはウジムシや団子虫、糞ころがしなどが集まって食べ生存の糧にしています。また分解して土中に返しています。自然界においては美と醜・汚の価値は等しいのになぜ人間界はちがうのでしょうか?地球上においては人間だけがキレイキレイを求め、求めるだけではなく自然を破壊していっています。
東北大震災における福島原発事故は考えるたびに、その恐さがまざまざとよみがえってきます。当分、放射能は処理も分解も出来ないばかりでなく、発生をとめることも出来ないし、処理や発生を停めるには数百年もかかるということです。
わたしたちの生活は(悪魔が産んだ天使の生活)なのです。
資本主義は発展という冠をかぶった破滅教にすぎず、わたしたちの生活は利便性と快楽に酔った地獄への旅なのです。
今の生活の価値観を考え直し、新しい価値観を育てていくべきです。