ブログ - 20130916のエントリ
わたしは1947年生まれの66歳ですが、戦後復興した日本とわたしが育っていった過程が精神史として重なってしまいます。肉体の歴史として考えると高度成長期は青春時代にあたり、今の時代は成熟した初老期です。わたしたちはベビーブームの世代と言われるように戦争から復員してきた日本男子がおおくの子供を産み、それは人口の比率の中でも一番数が多く、生まれた時から死ぬまで過当競争にさらされてきました。今度は二度目のオリンピックが2020年に開催され、わたしはそれまで生きていると思いますが生涯における最期の開催になるでしょう。
青春時代を東京で過ごしたこと、それが1970年1980年闘争と重なったことも青春にエネルギーを与え、その時代を日本の政治・文化の黄金期と名づけても過言ではありません。東京での青春を思い出すたびに感慨にふけり、懐かしさに胸が燃え上がります。すごい時代だっだのですが、声高に叫ぶ人はいません、まさか自分だけではないはずですが。団塊はどこに行ったのでしょう?尖閣列島や竹島問題の時でもおとなしいですね、あの時代のエネルギーはどこにいったのでしょう?
この時代とわたしの人生経験は一冊の本になるくらいの分量があり、いつかは(一撃必殺の世界)や全共闘リンチ事件、浅間山荘事件それにオウム真理教も入れて大江健三郎の著作のタイトルにもあるように(我らの狂気を生き延びる道を教えたまえ)と言わんばかりの本を書いてみたいと夢見ます。
その時代から今の時代を俯瞰してみるとあまりの変わりようにちがう国にすんでいるいような錯覚さえ覚えます。すべてにおいて変わりました。一つは街角や家庭の中や居酒屋で喧嘩の光景が消えたことです。まったく消えているのです。今は田舎に引きこもった生活を送っていますがたまに福岡市や北九州市に出かけ、街中をあるいてもここ20年は喧嘩の光景が消え、ホームレスの姿が消え、野良犬、野良猫が消え、近頃はゴミ漁りのカラスも消えました。かれらはどこに消えたのでしょうか?ホームレスは自立支援センターに引きとられ、野良犬、野良猫は姿を見せると同時に保健所に捕獲されて収容されるわけですが、カラスは生ゴミがなくなったからですが、(喧嘩)はどこに消えたのでしょうか?国会の論戦や評論家や学者の間でも喧々諤々たる論争が消えました。
わたしは今でも大声をあげてケンカをしますが、(あなたは今の時代に生まれてくる人ではなかったですね)と言われて、その意味を考えながら神妙な気持ちになります。なんだか、取り残された(団塊)という気持ちになり、他の団塊連中はどこにいるのかとあたりを見回すばかりです。ケンカをしなければ相手の本当の姿も自分のそれも見えません。外交においてもケンカをしていれば戦争に突入することはないのです。時々殴りあいをしていれば殺人にまで進むことはありません。
ケンカをすることで真理が見えてきます。そこで仲直りが出来れば以前にも増して相手と親しくなれます。そんな効用を考えてみましょう。