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一昨日、午前4時半に起き出して、敷地内のスイカ畑に行き、敵を待った。片手にスコップの柄を握り、現れれば槍のように突き刺す構えであった。とりあえず、椅子に腰をおろして、敵の通り道を塞ぐ形で、西側の田んぼに体を向けていた。敵は線路向こうの金毘羅山から町道を歩いてやってき、敷地内のブロック塀を上ってくる・・。
あたりは暗く、スイカの玉も見えなかった。10分ほどたち、何かの気配が田んぼの方に感じられた。おれは立ち上がった。何かが寄ってきている・・・、野生動物特有の存在感とでも言うべきものが感じられた。が、姿は見えない。足元のそばでひょろ長い生き物が感じられた。ウーウーと唸っていた。俺の姿を知り、敵だと見破ったに違いない。スコップを振り上げ、先を投げつけた・・・。敵はそばの草薮の中に消えた・・・。敵の体の、筋肉の感触が、残っていた。
一度あんな目にあったら、二度と来ない、そう考えていた。
ところが、昨日やってきて、一個を血まみれにして食っていた。
ショック!
これだと、毎晩、寝ずの番をしなければならない。スイカの報告を援助者に電話しているが、その話を聞かされて奥様も精神的にまいりはじめている。
ヘミングウエイの(老人と海)を思い出した。魚を釣りきらなくなった老人がやっとのおもいで、遠海に行き、カジキマグラオを釣り上げる。が、帰路にかかって、サメに少しづつ食われはじめ、すべて食われてしまう有名な小説である。
その状況によく似ているから自分の体験を書いてみようと思い、図書館から借りてきた。
お盆までにあと5個くらいのスイカしか残っていないので、全部、食われたら逆にスッキリする・・。それでも良いかな?
そう考えて、今朝スイカ畑に行ってみた。熟していない黄色いスイカが一個だけ食われ、あと4個の子供スイカはそのまま残っていた。敵はこれが熟すのを待っている・・・・。戦いは終わりそうにない。
スイカ畑での、私と野生動物との戦いは三ヶ月になるが、ロシア・ウクライナ戦争みたいな長期戦になってしまった。最初はカラスが敵であったが、釣り糸でスイカを囲むようにしたので、カラスは光る釣り糸で羽根を切られる恐怖をおぼえて退散してしまった。もともとスイカは皮が厚くて丸いため、カラスは食べにくかったのでもある。
次の出番はアナグマで、姿は一度も見たことがない。たぶん、日の出とともにそばの山からやってきて、10分間あまりで食べ、去っているようだ。朝起きの苦手なわたしが起きる頃にはぱっくり割れたスイカが大量出血して転がっているのである。何度この光景にショックを受け、気分を落としたことか・・・。警報機の威力を信じた自分のバカさ加減に見せつけられるばかりである。
後援者である奥様の言葉に従って、スイカ畑で三個の熟れたスイカを見つけ、届けてきた。2個はカラスに突かれた跡が残っていたが奥様は気持ちよく大枚を出してくれた。
この戦いを毎日やっていて思い出すのは、50年ほども昔に見た(眼下の敵)というアメリカ映画であった。太平洋戦争時代の実録を映画化したものですごく面白かった。米軍の駆逐艦艦長をロバート・ミッチャムが演じ、独軍ナチスの潜水艦艦長をクルト・ユルゲンスが演じていてすごく見ごたえがあった。駆逐艦は機雷をおとして攻撃し、潜水艦は魚雷を打ち込むのである。海上の駆逐艦と海底の潜水艦の戦いであるから両方と両者の姿はまったく見えず、音も聞こえない。戦いを終えて潜水艦が浮上し、そこで両者が顔を見合わせ、握手する姿が印象的であったのをおぼえている。
さてアナグマと私の戦いであるがわたしにはアナグマの習性や考えが少しづつ見えてきた。昨年は数匹でやってきたが今年は一匹で小さいやつである。スイカの噛み跡でほぼわかる。一個しか食べておらず、2日に一度の頻度である。スイカにはプラスチックのカゴをかぶせ、ブロックを2枚のせているので人の手でも持ち上げることはできない。アナグマはカゴの下の地面を掘り、もぐりこんで食べている。おかしなやり方を発見した。一箇所をほって食べ終わるとそこから出ると考えていたが、向かいの面の下を掘ってそこから出ているのである。もう一箇所は穴をほって中に入りながら食わずに去っている。竹の子掘りをしているときにもイノシシのおかしな行動を発見したことがあった。竹の子を掘り出していながら食わずに放置しているのである。人にくれてやろうとでも考えたのかわからない。遊びだったのかもしれない。
昨日は日曜礼拝に行って、アナグマの被害について考え、アナグマにスイカを捧げてやったと考えても良いのではないかと思った。スイカは人間だけのものではなく、アナグマにだって食べる権利があるのである。
今、10個ほどのスイカが成長しているが、8月と9月で終わりである。けっきょく100個作る予定であったが、30個ほどで終わりそうである。金儲けにはならなかったが、(眼下の敵)みたいに敵とよく戦い、元気をもらったということである。これからは先に成熟スイカを見つけたほうが勝ちということになる。嗅覚の鋭いアナグマのほうが有利であるが、私だって見つければ叩き殺してやるつもりである。
そして、戦いが終わったら映画のように握手をしたいものである。
昨日はカート整理のバイトの日で、午前9時から午後1時まで勤務する予定だったが、気分がすごく悪く、欠勤の電話を入れようかと考えていた。前日は3時間草刈りをし、その前の日は同じくカート整理を同じ時間にやった。いつもは3時間の勤務であるが月に二度ほど4時間勤務の日があり、体力がもつだろうか?と心配になるのである。75歳になってこんなぶざまな体力になってしまった。それに前日、スイカに釣り糸を張っていて、2度ほど股関節に例の痛みがはしったのであった。股関節の奥の筋肉を針で刺されたような痛みですぐに消えるが、痛みが消えなくなったら歩けなくなり、アルバイトも畑仕事もできなくなり、そして金も消えて生きていくことさえできなくなるのである。生活保護なんて絶対もらいたくない。
いつものように8時20分頃、スーパーに着いて、ロビーの椅子に座って、時間が来るのを待った。従業員たちは商品を陳列棚に置いたりしていたが、自分は足の痛みのことで頭がいっぱいであった。痛みは出ていなかったがいつ出るかわからない。連続して出るようになったら、店長に伝えて家に帰れば良いのだが、痛みが消えなかったらどうなるか?と、いつもの心配性に襲われていた。
9時の開店であるが、30分間ほどは買い物カゴはたまらないので広い駐車場を歩いてまわり、不審物やカートが放置されていないか見て回る。
9時半ころになって正面出入口に行ってみた。よく,スマフォ販売店の従業員が立って、入ってくる客に新企画のセールスをしていて、その日は外国人の男がいたので、どこから来たの?と声をかけた。パキスタンからです、と言ったので、あなたの国はコロナはどうですか?と聞くと、ほとんど問題になっていません、という。どうしてですか?ときくと、スラム教徒ですから毎日5回は体を洗います。そのせいだからかもしれません、と答え、隣のインドは感染がひどかったですけど今はどうですか?ときくと、5年も帰国していないのでわかりません、という。そこで、あなた達はポケットティシュを出して、声をかけていますが、スマフォの相談事はありませんか?と言ったほうが効果的じゃないですか?というと、いいアイデアですね。ありがとうございます。と答え、日本人の従業員より感じが良かった。
それから、レジのそばの買い物かごを集めて保管場所に持っていき、駐車場のカートを集めて店内に押していった。股関節の痛みが2度ほど出たが、消えた。
なぜ、痛みが出るのか?と問うと筋肉痛ですと医者はいったが、誰がその痛みを出しているのですか?と問うと答えきれるはずはなかった。
それは神のメッセージではないかと思う。動きすぎですよ!気をつけて大事につかいなさい、歩けなくなりますよ、と忠告しているのである。
体調の良い時、ご飯を食べると美味しい味がするが、悪い時は美味しくない。体調が良くないことを告げている。セックスをすると気持ちがいい。もっとたくさんしてたくさん子供を作りなさい。と神は言っている。創世記に書いてあるように神はすべての生命をつくり、繁栄するようにしている。
神は私達の命を守ってくれているのではないか?
だが、神の言いつけを守らなかったから、人は死ぬ運命を与えられた。整合性の取れた理論である。
その日は無事に仕事を終え、帰宅してからは草むしりをした。
700坪の屋敷に住んでいるので、多くの人は羨ましがるが、実際は戦場の中で、一孤軍奮闘しているのである。畑には肥料をまいているので雑草は元気いっぱいで伸びる。まさか雑草を育てているわけではないのに?一週間もすると刈られたはずの雑草たちは元通りの姿に戻っているし、逆に刈ればかるほど元気になっているようにも見える。草刈り機の力を借りているので楽なはずであるがそれでも追いつかない。それに引き換え、育ってほしいトマトは腐れかけ、ピーマンは草の中に消えてしまっていいる。順調だったのは玉ねぎ、じゃがいも、かぼちゃくらいである。キュウリとナスはひん曲がり、わたしの性格真似てているようだ。
さて、悲しむべきことに、念願のスイカ1個は赤い血を流して横たわっていた。奥様の家にはお盆に、孫や息子・娘が里帰りしてくるので、大玉スイカを皆の前で披露できると期待していたのにアナグマにみごとに横取りされてしまったのである。
木酢酢の効果が見えたが、一個が食われたので、平皿に入れて二皿ずつスイカの周りにおいていた。すると、二日間食われなかった。大丈夫かな?でもあんな美味しそうなスイカを木酢酢くらいでアナグマは避けるかな?と昨日、考えていたがアナグマはきれいに食べ、鋭い歯の型を三筋残していた。
カラスは釣り糸の効果で寄り付かなった。三台の警報機は効果がなかったので店に返し、金を払い戻してもらった。たよりは木酢酢であったが効果のないことがわかり、いまさらスイカ畑を鉄柵で囲む気持ちにもならない。
すべての手を失ってしまった。仕方なく、大きくなりかけている三個のスイカにざるをのせ、石をのせるkとしかできない。昨年も似たような状況になってしまったが、一個の大玉スイカが無事で、奥様に差し上げたのであった。そこでわかった。カラスは嗅覚が鈍いので手当り次第突いて成熟の度合いを見るがアナグマは匂いで熟れているかどうか判断し、食うのである。だから、熟れていないのは食わない。
ということは熟れ始めたスイカを重点的にまもれば良いわけである。
農小屋で、見張りをしてやろう。夜明け前から張り込んで、アナグマが現れて重い石を外し始めたら、後ろから鍬で叩き殺して、それをスイカ畑に吊るししてやるのだ!
昨日、奈良市内で参院選の応援演説をしていた安倍前総理が銃で撃たれ、死んだ。テレビやラジオ、インターネットはその報道で持ちきりである。米国のバイデン大統領、中国の習主席、ロシアのプーチン首相など世界のトップが弔慰をの述べ、大騒ぎである。わたしは安倍前総理に良い感情を持っていなかったこともあって、その騒ぎぶりを冷笑するだけであった。いつの間にかウクライナ戦争やコロナの感染増加などはどこかに行ってしまっている。森友加計学園問題であれだけ安倍氏を批判していた野党の党首までが、暴力はいけません、民主主義を守らなければいけません、と手のひらを返したように訴え、安倍氏の疑惑問題には一切ふれないのである。テレビ(NHK)も国民にインタビュ−するさい、その問題に言及する国民はいっさい排除している。
これではまるですべての者が安倍前総理の死をいたんでるようではないか?いたんでいない者はいるし、なぜ、彼の功罪など違う側面や考えをださないのであろうか?世間話の中で安倍前総理殺害事件が出た時、彼の疑惑問題を持ち出せばたぶん白い目で見られるに違いない。これではまるで太平洋戦争時の翼賛体制と同じではないか?これが民主主義、言論の自由なのであろうか?
森友加計学園問題でそれに関わった職員が自殺している。安倍元総理はそのことを知らぬ顔でとおしたではないか?彼は事実をしゃべろうとしながら、まわりからの無言の圧力を受けて殺されたのである。これは目に見えない暴力ではないのか?
ウワサや流言飛語など目に見えない暴力こそ怖いのであり、それらにこそ目を向けねばならない。
スイカ栽培の出来事をしつように書くのは、それが執筆中の小説(カサブランカ)の重要な伏線になっているからです。備忘録みたいなものです。
さて、昨日の朝、スイカ畑に行ってみると、二つの熟したスイカが二つに断ち割られ、食われていました。覚悟はしていましたが、あまりの現実の無残さに、泣きました。その二つは経済援助をしてくれている奥様に食べていただこうと考えていたものでした。経済援助というのは奥様が野菜や果実を高価な値段で買ってくれているということです。
もう食われるままに任せておこう、その方がスッキリするし、奥様もあなたがスイカのことで悲しむのは苦しい、やめてもいいのよ、と言ってくれるのです。その日は、奥様に野菜を持っていくつもりだったので、かぼちゃ2個、じゃがいも10個、長ネギ1束、それに熟していないがきれいなスイカ3個、花2本を持っていきました。奥様にの家はいつも来客が多いのですが、その日も二人が来ていました。1個のスイカは熟していそうだったので、玄関先で包丁で割ってみました。ピンク色で完熟ではありませんでした。少し食べてみましたが美味しくありませんでした。奥様は残りは持って帰って食べなさい、と言い、言葉のニュアンスは美味しくないということがわかりましたが、冷蔵庫で半日冷やして食べると美味しかったです。
帰宅してしばらく考えました。木酢酢を畑にまいた一日目はアナグマはスイカを食べなかったのですが、二日目には食べ、木酢酢の効果はなかったのです。地面に直接まいたので、染み込んでしまったのです。よし、瓶や茶碗にいれて臭気をばらまこう!ユーチューブでもペットボトルに入れて臭気を流す、と言っていました。皿やコップに木酢酢を入れて、スイカのまわりに並べてみました。
今日の朝、結果を見に行ってみると一個だけかじられていましたが残りの6個は無事でした。そして驚くべきことに」スイカ畑の葉の中に大玉スイカが隠れていたのです。巻きひげは枯れ、お尻は黄色くなっていて完熟はまちがいなかったのです。
奥様に電話を入れて持っていきました。
彼女は大喜びで、わたしは任務を果たしたと思いました。
要らない!というのに2千円をくれました。
今日の夕方、スイカ畑にまた行きましたました。昨日の食器の中の木酢酢はまだ残っていましたが、足して入れていきました。そこで、子供のスイカを一個見つけ、釣り糸で囲み、木酢酢を置いてきました。
今日は月曜日でアルバイトがなく、フリーの日であるが、スイカがアナグマに食われて虚脱状態であった。これからスイカ畑をネットや金網で囲むのは遅く、タイミングを失ってしまった。俺の悪い性格で考えが甘いのであった。さて、どうしようか?たぶん、やつらは最初の日は警報機におどろいたが、なんだこんなもの?と慣れてしまったに違いないし、説明書には、完全な効果はありません、と先手を打っていた。一台が4千円で3台買ったので1万2千円、それにスイカの苗が一株300円で25株、計7千5百円、なんと3万円投資したのである。一個も売れずに食べられ、1個だけアナグマからおすそ分けをしてもらったのである。美味しかった!が、9個近くが奴らの腹に入ったと思うと腹が立つ!
スイカの噛み跡をみると、この前は小さな歯型であったが、今度はその二倍の歯型が見えた。親子でやってきたのであろうが、味をしめて数が増えればあっという間に食い尽くされてしまう・・。
玄関そばの葛(かずら)を汗まみれになって刈り取り、部屋で扇風機にあたっていたが、ふと思いつき、スマフォを手にとって、アナグマからスイカを守る方法、を検索した。出てきた、ユーチューブになって。その中に、目ぼしい項目があった。木酢酢、を使うというのであった。木酢酢の匂いは山火事のときに木が出す汁に似ているのでアナグマは怖がって逃げるというのであった。さっそく360円で買ってきて、スイカ畑のまわりに振りかけていき、残っている10個の実の周りに念入りにかけてやった。説明書を読み直すと1000倍ほどに薄めないと葉が枯れる、と書いてあったのでかけた苗に水をかけて薄めてやった。
今、雨が降ってきた。遅い台風がいよいよやってきた。木酢酢は雨によって匂いを薄められてしまうであろうが、ともかく明日の朝、(戦場)がどうなってるか?見ものである。
昨日の朝、いつものように教会の日曜礼拝に行った。カラスたちは巣に二、三羽戻ってくるようであったが、スイカ畑にはおりていなかった。ただ、二日前、一個のスイカがアナグマに食われていて気になっていたが、その日以外は食われておらず警報機に怯えていると考えていた。教会で賛美歌を歌い、祈り、牧師の話を感じ入って聴いた。信者たちとお茶を飲み、畑でとれたトマトを出すと、美味しい、と言って食べてくれた。
帰宅して昼食を食べ、スイカ畑に行った。被害はなく、コブシより小さなスイカを4個見つけて、釣り糸で囲んでやった。合計10個が収穫を待つことになった。カラスに突かれたスイカを冷蔵庫に入れていたので、それを食べた!最高の美味しさであった。店に出ているのはピンク色であるが、血のように真っ赤に熟した自然の味である。まだ10個以上が残っているので奥様の所に持っていこう!喜ぶぞ!それから図書館に行って、三島由紀夫の(憂国)をさがしてもらったが、三週間前に貸し出されたままで戻っていなかった。スーパーに寄り、食材を買った。
ラジオのニュースで台風が接近していることを確認し、火曜日のスーパーでのバイト、その日の天気はどうなるか?など考えていた。
さて、今日の朝、部屋からスイカ畑を見ると、かごに載せていたブロックが落ちているように見えたが、コーヒーと食パンで食事を終えた。
作業服を着て、スイカ畑に行った。二つの大かごは伏せられた状態であったが、中のスイカが赤い肉を出して、転がったいた・・・。
やはりやられた!
アナグマがこんな美味しいものを放置しているはずはないではないか!
部屋の座椅子に寝転がって放心していた。
警報機はかごのそばに転がったままであった、これ以上の対策はなかった。
ウクライナ戦争のことを考えた。野生動物にとって領土は縄張りであり、人間にとっても命である。ウクライナ戦争ははじまって4ヶ月がたつが、停戦も終戦もその気配を見せそうにない。
スイカ畑のおれとアナグマの戦いは、はじまったばかりであるー。
夕日が落ち、10本ほどのモチノ木、その枝葉が黄金色に染まっている。太陽は地球の裏側に隠れ、また明日は戻って来るのである。しばしの別れであるが、今日も暑かった。室温は35度で、扇風機のがんばりでなんとか持ちこたえたが、庭に出て草むしりでもしようものなら10分で具合が悪くなり、扇風機と氷水に助けを求めることになる。
モチノ木の下のスイカは地面を這い、夕風をうけて、葉をそよがせている。涼しげである。10個ほどの実は今日もカラスに食われずに無事に生き延びた。自分は畑の椅子の腰を下ろして、安堵した気分で釣り糸に守られたスイカたちを眺め、けなげな気持ちになる。3台の警報機がやかましいくらい叫び、風に煽られている・・。次にスイカを狙って来るのは、昨年のアナグマに違いないが、警報機が狼の声やサイレンや銃声の音で撃退してくれればウクライナ軍?も助かるというものである。スイカが割られ地面に転がって赤い血を吹き出す姿など、まるでロシアに攻撃されたウクライナ市民みたいで見たくはない。
ところが、カラスの家族が畑からすっかり姿を消したのである。警報機を取り付けたにもかかわらず、二日間ほど6個ほどのスイカを突いたり割ったりしたが、昨日からすべて消え去った。どこにいったか?知りはしないが、警報機の攻撃と釣り糸の恐怖におそわれたにちがいない。新天地を求めて去ったのであれば良いが、またスイカの味を思い出して帰ってきてもらっては困る。一週間前までは、子カラスが畑の土を突いて芋虫を探し、親鳥は家のアンテナにとまってそれを見下ろしていた。石でも投げつけてやりたい気分であったが、親鳥として子供たちを見守っていたのであろう。彼らは日雇いの生活なので食うものがなければ終わりである。俺たち人間とはちがう厳しさの中で生きている。人の出すゴミは厳重に守られて食うことができなくなった。
昨日、アルバイト先のスーパーでスイカを眺めていると、大玉が、1980円で並んでいた。5個熟売れば1万円ではないか!それは1周間分のわたしの食費である。生き延びるために、俺もカラスとアナグマと戦うぞ!と思った。
ここで、(アンビバレント)という言葉を思い出した。これは(相反する感情や考え方を同時に心に抱いている)ーヤフー参照ーであるが、その男と女の心理状態はそれである。いつもケンカばかりしている夫婦やカップルがが別れない場合などに見られる現象であり、逆にそれは仮面夫婦よりも遥かに強い結合感があるのである。結合感が強ければ反発心や破壊衝動はそれに比例して強い。映画(危険な情事)に見られるように、あれだけ愛していたのに、最後に男は女を浴槽に押し沈めて殺してしまう。それは、女が男に夢中になりすぎて彼の家庭を壊そうとし始めたからであった。
毒ガスの出る箱に閉じ込められた猫は生きているか死んでいるか?というシュレディンガーの猫の話は(相反する事象が同時に内在している)、ということになるが、二項対立という次元では似ている。人間は、きれいかきたないか?金持ちか貧乏か?など幼い頃から二項対立の判断しかできないように教育されたために、猫は生きtレもいるし死んでもいる、という真理は理解できない。真理が理解出来ないから間違いが多い。だから、今日のニュースで、熱中症で多くの老人が救急車で運ばれたのでエアコンを使ってください、と呼びかけているのは苦笑してしまう。では、エアコンを使うようになって体温調節機能を失い熱中症になったことことはなぜ問題にしないのであろうか。この世の動きはいつもモグラ叩きなのである。問題が起こって騒ぎまくる、メディアが儲ける、資本主義が繁栄する、の構図なのである。
その男と女はどうなるのであろうか?男は女に指輪をプレゼントし、3年後に結婚することにしているが、互いに家庭持ちであり、物事がたやすく運ぶとは考えられない。どちらも似た者同士で独占欲がつよすぎる。幸福になってほしい、と思うが女は精神をやられて精神科に通っているし、男も持病もちで苛立つ性格である。