ブログ - 20250814のエントリ
昨日は近所にあるお墓の掃除ができて、一段落した。こんな書き方をしてしまうことが情けなくなるのであるが、そうなのである。頼まれていた空き地の草刈りを一週間かけ終えたが、左の股関節が痛み、歩けなくなってしまう?という怖さが残っていたのである。剪定はさみ、鎌、鋸、箒、水、蝋燭、線香を入れた包みを担ぎ、家から十五分歩いて、山道を登る。来年はこの坂を登れるか?という思いがわいてくる。一時間ほどで、五坪ほどの敷地の草を刈り終え、濡れた枯葉を手でかき落とす。蚊が群れて襲ってくる。体を包んだツナギは汗まみれになるが、墓石に隠れた骨入れを見ると、鍵を開けたままである。何年先かのわたしを待っているのである。
家の庭にそれだけ咲いていたサルスベリを、墓の筒に入れ、庭に残っていたレモンを二個、そなえた。顔は汗まみれになり、頬に汗が垂れた。
(墓掃除流るる汗は母のもの)
流れる汗は自分を苦労して育てた母のものでもあることが分かった。母と二人で掃除をしていたのであった。
母を取り残して、孤独死させた自分であった。
涙を流しながら、蝋燭を灯した。
帰りの道すがら、
(盆トンボ肩を並べて夏泳ぐ)
、と、句が浮かんだ。