ブログ - 最新エントリー
スイカ栽培の出来事をしつように書くのは、それが執筆中の小説(カサブランカ)の重要な伏線になっているからです。備忘録みたいなものです。
さて、昨日の朝、スイカ畑に行ってみると、二つの熟したスイカが二つに断ち割られ、食われていました。覚悟はしていましたが、あまりの現実の無残さに、泣きました。その二つは経済援助をしてくれている奥様に食べていただこうと考えていたものでした。経済援助というのは奥様が野菜や果実を高価な値段で買ってくれているということです。
もう食われるままに任せておこう、その方がスッキリするし、奥様もあなたがスイカのことで悲しむのは苦しい、やめてもいいのよ、と言ってくれるのです。その日は、奥様に野菜を持っていくつもりだったので、かぼちゃ2個、じゃがいも10個、長ネギ1束、それに熟していないがきれいなスイカ3個、花2本を持っていきました。奥様にの家はいつも来客が多いのですが、その日も二人が来ていました。1個のスイカは熟していそうだったので、玄関先で包丁で割ってみました。ピンク色で完熟ではありませんでした。少し食べてみましたが美味しくありませんでした。奥様は残りは持って帰って食べなさい、と言い、言葉のニュアンスは美味しくないということがわかりましたが、冷蔵庫で半日冷やして食べると美味しかったです。
帰宅してしばらく考えました。木酢酢を畑にまいた一日目はアナグマはスイカを食べなかったのですが、二日目には食べ、木酢酢の効果はなかったのです。地面に直接まいたので、染み込んでしまったのです。よし、瓶や茶碗にいれて臭気をばらまこう!ユーチューブでもペットボトルに入れて臭気を流す、と言っていました。皿やコップに木酢酢を入れて、スイカのまわりに並べてみました。
今日の朝、結果を見に行ってみると一個だけかじられていましたが残りの6個は無事でした。そして驚くべきことに」スイカ畑の葉の中に大玉スイカが隠れていたのです。巻きひげは枯れ、お尻は黄色くなっていて完熟はまちがいなかったのです。
奥様に電話を入れて持っていきました。
彼女は大喜びで、わたしは任務を果たしたと思いました。
要らない!というのに2千円をくれました。
今日の夕方、スイカ畑にまた行きましたました。昨日の食器の中の木酢酢はまだ残っていましたが、足して入れていきました。そこで、子供のスイカを一個見つけ、釣り糸で囲み、木酢酢を置いてきました。
今日は月曜日でアルバイトがなく、フリーの日であるが、スイカがアナグマに食われて虚脱状態であった。これからスイカ畑をネットや金網で囲むのは遅く、タイミングを失ってしまった。俺の悪い性格で考えが甘いのであった。さて、どうしようか?たぶん、やつらは最初の日は警報機におどろいたが、なんだこんなもの?と慣れてしまったに違いないし、説明書には、完全な効果はありません、と先手を打っていた。一台が4千円で3台買ったので1万2千円、それにスイカの苗が一株300円で25株、計7千5百円、なんと3万円投資したのである。一個も売れずに食べられ、1個だけアナグマからおすそ分けをしてもらったのである。美味しかった!が、9個近くが奴らの腹に入ったと思うと腹が立つ!
スイカの噛み跡をみると、この前は小さな歯型であったが、今度はその二倍の歯型が見えた。親子でやってきたのであろうが、味をしめて数が増えればあっという間に食い尽くされてしまう・・。
玄関そばの葛(かずら)を汗まみれになって刈り取り、部屋で扇風機にあたっていたが、ふと思いつき、スマフォを手にとって、アナグマからスイカを守る方法、を検索した。出てきた、ユーチューブになって。その中に、目ぼしい項目があった。木酢酢、を使うというのであった。木酢酢の匂いは山火事のときに木が出す汁に似ているのでアナグマは怖がって逃げるというのであった。さっそく360円で買ってきて、スイカ畑のまわりに振りかけていき、残っている10個の実の周りに念入りにかけてやった。説明書を読み直すと1000倍ほどに薄めないと葉が枯れる、と書いてあったのでかけた苗に水をかけて薄めてやった。
今、雨が降ってきた。遅い台風がいよいよやってきた。木酢酢は雨によって匂いを薄められてしまうであろうが、ともかく明日の朝、(戦場)がどうなってるか?見ものである。
昨日の朝、いつものように教会の日曜礼拝に行った。カラスたちは巣に二、三羽戻ってくるようであったが、スイカ畑にはおりていなかった。ただ、二日前、一個のスイカがアナグマに食われていて気になっていたが、その日以外は食われておらず警報機に怯えていると考えていた。教会で賛美歌を歌い、祈り、牧師の話を感じ入って聴いた。信者たちとお茶を飲み、畑でとれたトマトを出すと、美味しい、と言って食べてくれた。
帰宅して昼食を食べ、スイカ畑に行った。被害はなく、コブシより小さなスイカを4個見つけて、釣り糸で囲んでやった。合計10個が収穫を待つことになった。カラスに突かれたスイカを冷蔵庫に入れていたので、それを食べた!最高の美味しさであった。店に出ているのはピンク色であるが、血のように真っ赤に熟した自然の味である。まだ10個以上が残っているので奥様の所に持っていこう!喜ぶぞ!それから図書館に行って、三島由紀夫の(憂国)をさがしてもらったが、三週間前に貸し出されたままで戻っていなかった。スーパーに寄り、食材を買った。
ラジオのニュースで台風が接近していることを確認し、火曜日のスーパーでのバイト、その日の天気はどうなるか?など考えていた。
さて、今日の朝、部屋からスイカ畑を見ると、かごに載せていたブロックが落ちているように見えたが、コーヒーと食パンで食事を終えた。
作業服を着て、スイカ畑に行った。二つの大かごは伏せられた状態であったが、中のスイカが赤い肉を出して、転がったいた・・・。
やはりやられた!
アナグマがこんな美味しいものを放置しているはずはないではないか!
部屋の座椅子に寝転がって放心していた。
警報機はかごのそばに転がったままであった、これ以上の対策はなかった。
ウクライナ戦争のことを考えた。野生動物にとって領土は縄張りであり、人間にとっても命である。ウクライナ戦争ははじまって4ヶ月がたつが、停戦も終戦もその気配を見せそうにない。
スイカ畑のおれとアナグマの戦いは、はじまったばかりであるー。
夕日が落ち、10本ほどのモチノ木、その枝葉が黄金色に染まっている。太陽は地球の裏側に隠れ、また明日は戻って来るのである。しばしの別れであるが、今日も暑かった。室温は35度で、扇風機のがんばりでなんとか持ちこたえたが、庭に出て草むしりでもしようものなら10分で具合が悪くなり、扇風機と氷水に助けを求めることになる。
モチノ木の下のスイカは地面を這い、夕風をうけて、葉をそよがせている。涼しげである。10個ほどの実は今日もカラスに食われずに無事に生き延びた。自分は畑の椅子の腰を下ろして、安堵した気分で釣り糸に守られたスイカたちを眺め、けなげな気持ちになる。3台の警報機がやかましいくらい叫び、風に煽られている・・。次にスイカを狙って来るのは、昨年のアナグマに違いないが、警報機が狼の声やサイレンや銃声の音で撃退してくれればウクライナ軍?も助かるというものである。スイカが割られ地面に転がって赤い血を吹き出す姿など、まるでロシアに攻撃されたウクライナ市民みたいで見たくはない。
ところが、カラスの家族が畑からすっかり姿を消したのである。警報機を取り付けたにもかかわらず、二日間ほど6個ほどのスイカを突いたり割ったりしたが、昨日からすべて消え去った。どこにいったか?知りはしないが、警報機の攻撃と釣り糸の恐怖におそわれたにちがいない。新天地を求めて去ったのであれば良いが、またスイカの味を思い出して帰ってきてもらっては困る。一週間前までは、子カラスが畑の土を突いて芋虫を探し、親鳥は家のアンテナにとまってそれを見下ろしていた。石でも投げつけてやりたい気分であったが、親鳥として子供たちを見守っていたのであろう。彼らは日雇いの生活なので食うものがなければ終わりである。俺たち人間とはちがう厳しさの中で生きている。人の出すゴミは厳重に守られて食うことができなくなった。
昨日、アルバイト先のスーパーでスイカを眺めていると、大玉が、1980円で並んでいた。5個熟売れば1万円ではないか!それは1周間分のわたしの食費である。生き延びるために、俺もカラスとアナグマと戦うぞ!と思った。
ここで、(アンビバレント)という言葉を思い出した。これは(相反する感情や考え方を同時に心に抱いている)ーヤフー参照ーであるが、その男と女の心理状態はそれである。いつもケンカばかりしている夫婦やカップルがが別れない場合などに見られる現象であり、逆にそれは仮面夫婦よりも遥かに強い結合感があるのである。結合感が強ければ反発心や破壊衝動はそれに比例して強い。映画(危険な情事)に見られるように、あれだけ愛していたのに、最後に男は女を浴槽に押し沈めて殺してしまう。それは、女が男に夢中になりすぎて彼の家庭を壊そうとし始めたからであった。
毒ガスの出る箱に閉じ込められた猫は生きているか死んでいるか?というシュレディンガーの猫の話は(相反する事象が同時に内在している)、ということになるが、二項対立という次元では似ている。人間は、きれいかきたないか?金持ちか貧乏か?など幼い頃から二項対立の判断しかできないように教育されたために、猫は生きtレもいるし死んでもいる、という真理は理解できない。真理が理解出来ないから間違いが多い。だから、今日のニュースで、熱中症で多くの老人が救急車で運ばれたのでエアコンを使ってください、と呼びかけているのは苦笑してしまう。では、エアコンを使うようになって体温調節機能を失い熱中症になったことことはなぜ問題にしないのであろうか。この世の動きはいつもモグラ叩きなのである。問題が起こって騒ぎまくる、メディアが儲ける、資本主義が繁栄する、の構図なのである。
その男と女はどうなるのであろうか?男は女に指輪をプレゼントし、3年後に結婚することにしているが、互いに家庭持ちであり、物事がたやすく運ぶとは考えられない。どちらも似た者同士で独占欲がつよすぎる。幸福になってほしい、と思うが女は精神をやられて精神科に通っているし、男も持病もちで苛立つ性格である。
次の日の朝、スイカ畑に行ってみると、そこはロシア軍に攻撃されたウクライナの戦場みたいになっていた。15個のスイカにナベ、洗面器、植木鉢、バケツなどをかぶせていたのだが、4個ほどがめくられ、実が食われていた。実はスプーンでこすり取ったようにきれいにえぐられていた。熟していない白い実は割られたままで食われていなかった。ショックでしばらく放心していたが、どうするか?と考えた。
カラスはそれらの容器をひっくりかえしたのである。では、昨年のように容器の上に石やブロックをのせてやろう・・・。ところが昨年は、カラスではなくアナグマが入ってきて、二枚のブロックを外し、食べたのであった。それを考えると、もうどうしようもないかな?これからネットでスイカ畑を覆うには日数もかかる・・。
とりあえず、残った11個の上に石やブロックをのせて、弁当配りのアルバイトにでかけた。
仕事を始める前、ロビーでTさんに会った。彼もスイカを植え、わたしがすすめた警報機を取り付けている。出来事を話すと、それはスイカの実のまわりに低い棒を三本立て、釣り糸で囲んでやればカラスは糸で羽を切られると思って近寄らない、おれは今そうしていてカラスは寄ってこない、という。
帰宅して三箇所ほどそうしてみた。
今朝、それらも残りのスイカも食われていなかった。
自分の結論はこういうことなのです。男と女の結びつきは相手が優しかったとか、美人であったとかではなく、本来一つのものであった存在が二つに割れてしまい、世間で過ごしているうちに偶然出会い、元の鞘に収まり、一つになったということなのです。割れ鍋に綴じ蓋の関係なのです。聖書の創世記には、男が一人でいるのは不自由で寂しいだろうと神は思い、その肋骨をとって女に変えた、と書いてあります。それは一つであったものが二つになったということではないですか?それに人間の胎児は、受精して何ヶ月かは男でもない女でもない中性であり、しばらくして男か女の胚珠が出てきて決めるのです。また、男女の比率はほぼ同じなのも不思議ですね。それに、世の中にはフタナリといって男と女の性器を持っている人もいます。生命は本来、両性具有なのです。単細胞生物であったものが雌雄に別れてしまったのです。
その不倫の男と女は本来、一つだったのですが、相手を間違えて結婚してしまっていたのです。ところが、職場で片割れ(差別用語であれば削除します)に出会ってしまい、元の鞘に収まろうとしているのです。
そんなことを考えながら、書きかけの小説(醜い花はいない)はテーマを変え、(二人で一人)という作品に仕上げようと考えています。
また、母親から電話がありました。彼女は強い不眠症で朝の9時頃にしか起きないのに、6時ころに娘から電話がかかってきた。ー昨夜は眠れなかった。男のことを考えると、死にたくなったーという。母親はー職場に乗り込んで、男とかたをつけてやる。警察に全てをぶちまけて男を首にしてやる!ーと叫ぶように言いましたが、彼女は足腰が弱って杖をついて歩く状態なのです。
すると、娘はそんな事をしたら、あの人が可愛そうなのでしないでくれ!と応えたそうです。
その老婦人とはプラトニックな関係であるが、1時間も2時間も、長電話がかかってくることがある。わたしは孤独なので電話がかかってくることは嬉しいし、聞くことも小説を読むように面白い。
最近,彼女の一人娘の不倫話が多くなり、夜の9時ころまで耳をかたむけていることがある。
娘には夫と大学生の息子、中学生の娘がいて、経済的にも恵まれているのだが、息子の学費のために働き始めた。そこで上司であった男に仕事を親切に教えてもらい、深い関係になったのである。ここまでは別に珍しいことではないのだが、そこから男と女の関係が激しくなり、わたしは老婦人の話に注目するようになった。
娘の職場の出入り口に野良猫が住み着くようになっていた。以前から餌をやり、社員たちにもなついていたのだが、そこは国道に近いので車に轢かれては可愛そうだと思い、娘はわたしの家に仮住まいさせることを考え、男と二人でやってきた。娘とはわたしが母親の家に野菜を持って行っていることで顔見知りであった。美人でスタイルが良い。彼女の男とは初対面であったが、普通の男のように見えた。三人は世間話を交えた。その時は、猫の仮住まいのことに同意したのだが、後になって逃げたらどうするか?病気になったらどうするか?と考えるようになり、けっきょくは母親の口を通して、断ることにした。
それはそれで片付いたが、男は娘に結婚指輪をプレゼントし、三年後には結婚する約束をしたのであった。仕事が終わると、二人は近くの公園で落ち合い、逢瀬を重ねた。
ところが、親しくなると同時に二人の性格がむき出しになっていった。
娘が仕事上のことで他の男と親しげにしていると、そんなことをするな!、と言い、男が顧客の女と親しげにしていると女は嫉妬し、人前で感情をむき出すようになったのである。死ね!殺してやる!おたがいに大声で非難しあい、車から突き落とそうとしたりしたこともあった。たがいに独占欲が強すぎるのである。二人とも、別れる!と言いながら、同じ職場なので離れることはできない。男はあと2年で定年退職なので、それまでの辛抱だ、と、母は娘にいうがやめても下働きをそこでするかもしれなかった。
わたしはこの話を電話で聴きながら、アメリカ映画(危険な情事)を思い出した。愛し合っている男女がしだいに憎みあい、最後は殺してしまうストーリーであった。愛と憎しみは愛憎と言われるように二項対立であり、いつでも手のひらを返す、という常識的なことが真理であることがわかったのである。
娘と男は付き合い始めて3年になるが、娘は彼女の家にはあまり帰らず、仕事が終わると母の家によって夕食を食べ、男との長話をしている。母は悩み、その内容を自分に逐次、電話してくるのである。
わたしは昔の女関係を思い出しながら、男と女の気持ちを考え、真理を探そうとするが、なかなか難しいし、何をアドバイスしてやったら良いのかわからなくなることがあり、行き着くところまで行かないと解決しないですよ、と無責任な事を言ってしまう。今度、教会の女牧師にどうしたら良いのか?たずねてみようとも考えた。
(別れぬ理由)という日本小説のタイトルが思い出されるようになった。その二人は、なぜ別れられないのか?と尋ねられても答えられないであろう。自分は身近な男女の体験をとおして、なんとかわかりそうになった。
ここからは次のブログに書きます。
スイカ畑の草をむしるのが楽しい毎日になった。25株ほど植えたのだが、2ヶ月がたって成長し、コブシくらいの大きさになっている。草の中から顔を出すと、見つけた!と喜びが出る。
そばの木から、ギャーとカラスが小声でないて、見つけたぞ、おれにも食わせろ!と言わんばかりで、心配がわいた。昨年はカラスとアナグマに食われて、半分くらいしか収穫ができなかった。
今年は大玉スイカも植えているので、まだ熟れてはいないだろう。カラスは熟れてからしか食わない。竹の子山で切った竹を持ってきて、網でフェンスを張ってやろう・・。そう考えながら、顔を出したスイカに草をかぶせてやった。
ところが、次の日の朝、三個のスイカは赤い果肉をむき出して転がっていた。
ショックに襲われた。
小玉スイカがピンク色になって熟していたのである。
さて、どうしようか?竹の棒を立ててネットを張るには2,3日はかかる。
だが、竹の子山にイノシシよけの警報機を2個取り付けていたが、不作で持って帰っていた。
それを取り出して、スイカ畑に取り付けた。体温を感知すると、サイレン、狼の声、豚の鳴き声、銃の発泡音、人の怒鳴り声など盛りだくさんの声がおそってくる。自分も襲われる気分になる。
次の日の朝、おそるおそる近づいてみた。
一羽の親ガラスが椅子に立って畑を見ている、ではないか!
よく観察すると、そばに警報機が取り付けてあって、スイカがぶじに転がり、カラスは考えているようであった・・。
その日も草をむしりながらかくれていたスイカを見つけ、計13個が成長を待っていることを知った。
自分が動くたびに警報機は威嚇音を鳴らしてくれたが、昨年のアナグマは憶えているからここに来るにちがいない。やはり、フェンスを張るべきだろうか?軽のポンコツ車でとりに行くのは山道が怖い・・。
すると、モンシロチョウが楽しげに蜜を吸いに来たのである。
そうだ、フェンスを張ると、蝶が入れず、受粉ができなくなるのだ・・・。
とりあえず、このままにしておこう。
それから、二三日無事であったが、十個以上のスイカが無事に店頭に出せるだろうか?と心配が、残った。警報機が鳴ると、アナグマは逃げるが同時にスイカが食われているかもしれない・・・。
野菜づくりは大変であるし、自然の摂理もすごいものである。蝶はたんに飛んでいるのではない。蜜を吸い、花に交配してやって生命を育てているのである。そんなこともわかった。
ここでは暴力が良いのか?悪いのか?という観点を外して書きます。
今、東京の大学で、一撃必殺の世界にいたときのことを小説に書き始めました。六十年後にして、やっとあのときの体験を突き放して作品化できるという気持ちです。単なる体育会のリンチではないか、と言われればそうであるが、三十年間も悪夢にうなされたのです。
砂利道を、拳立てし、両足を持たれて歩かされ、血まみれになった。その拳骨で樫のマキワラを叩き、軟骨を潰した。その練習よりも、練習後にベランダに整列させられ、みぞおちを一人一人の二年坊から殴られた恐怖と痛みは数千回の悪夢に変わって襲い続けたのです。
当時は、強くなりたい、と考えて後楽園ヘルスジムのボディビルにも通っていた。三島由紀夫も練習に来ていて、肉体美を見せ、多くのカメラマンからフラッシュを浴びていた。
空手では、強くなるために体を棒や拳骨で叩く訓練もしていた。最初は痛かったが、そのうち、それが快感に変わるのでした。六角棒で、締めた腹や腰、腿や腕を叩く。すると鍛えられた筋肉の方が強く、六角棒が折れてしまうのでした。
叩かれることは痛いことでもあったが、しだいに快感に可逆反応してしまう。血尿がでるほどの訓練であったが、全身が高揚すると精神もそれにはまり、日本刀の刃先のように収斂され、極地に達した。すると、体を傷つけたい欲望が産まれ、死を熱望していたのであった。攻撃と被虐が一体化していた。サドとマゾの行為の意味がわかった。あれは単なる暴力行為ではない。
三島由紀夫を見て、五年後だっったと思うが、大学前の千鳥ヶ淵の歩道を歩いていて、号外のチラシを貰った。なんと、すぐそばの市ヶ谷自衛隊基地で三島が割腹自殺をしたというのであった。嘘だろう?なにかの間違いだ、と考えていたがテレビや新聞で報道され、事実だとわかった。
三島とは直接話したことはなかった。作品「金閣寺」にどもりの住職が登場し、あまりにリアルに気持ちや症状が書かれていたので、自分のどもりを見破られると警戒していたからである。
割腹自殺と書かれているが、そうではない彼の心理が読めてきた。攻撃から自虐、自己破壊へと転化し、快感に酔いしれたにちがいない。限りなく進み、それは死であった。
三島は自己を(死)によって完結させたのである。
みごと、と言うしかない。
これを小説に書いてみたいのです。