ブログ - 最新エントリー
3月22日は大阪から叔母がやって来て、彼岸の墓参りをした。母の妹であるが、六人の兄弟の五人は加齢でなくなり、たった一人のおばであった。毎年、彼女の実家に墓参りに来るが、今年は娘と孫を連れてであり、それは彼女が八十を過ぎて足腰が弱っているからであった。
そんな自分も75歳になって運転が不安であったが、しかたなく送迎をした。彼女らはまず夫の実家で法要をやっていたのでその寺に迎えに行った。次に彼女の実家に行って、庭で写真を撮った。それから空き家になっていた実家の庭の手入れをしてくれていた男の人の家の行く予定であった。
叔母はワゴン車の座席に上がるのが大変であったので、自分は体を抱いてやった。身内との昔話をしながら顔を見合わせていたが、なにかちがう!と自分は気づいたがそれが何なのかはわからなかった。叔母の顔を見ながら、こんな顔だったか?と疑問に思っていたのであった。もとより母の兄妹は美男美女であったが、叔母の顔は雪のように白く、顔の形も細面で、きれいな眉がのびていたのであった。別人か?と考えながら、細い声も小鳥が鳴くように可愛く、上品な身のこなし方はかわっていないのであった。
自分は幼い頃から、どういうわけか母の実家に永くあずけられていたので叔母や叔父たちとは兄弟のような気持であった。とくにその叔母は冬の寒い時には布団にいれて抱いて寝てくれたこともあったので、姉や恋人みたいな気持ちであった。
叔母たちが大阪に帰ってから、メールで、再婚するつもりですか?きれいな女に整形して・・、と送ってやると、絵文字で小鳥の跳びはねる姿がかえってきた。彼女の夫は十年前に亡くなり、彼女は一人住まいをしたいたから、まわりの男達がほおっておくはずはない。
そんなことを想像しながら、自分だってあのおばさんと結婚するチャンスはあるんだと考えながら、一人笑いをしたのであった。
その日はまさに、六十年前にタイムスリップしたのであった。
町内でやっているカラオケ教室に来月から通うことにした。週に一度で、会費も一か月千円でいいということであった。
そこで思い出したのである。三年前は別のカラオケ教室に通っていて、発表会に出て、歌い、楽しかった。発表会は大型施設で行われ、150人ほどが歌って、盛大であった。その時、わたしは舞台の袖口に立って歌い手へのマイク渡しをやった。肉感的に肥えた女が舞台に出る前にこう言ったのであった。
私の背中を叩いてちょうだい!
なんのことかわかないでいると、気合を入れるために思い切り叩いてよ!
黒いドレスから剥き出た背中は盛り上がり、私の欲情を刺激していたので、叩くなんて?そんなことより舐めたいくらいであった。
しかたなく軽く叩いてやると彼女はライトの下に立って、歌いはじめた。プロ並みのしびれるような歌い方であった。
ここで彼女の要望がなくて叩いたとすれば暴力、セクハラの声が出たかもしれないが発表会は成功のういちに終わった。もしかすると、叩いたことでシゴキという言葉が出たかもしれない。
体育会や部活の連中にシゴキのことを聞くと、気合をいれることじゃないか?と言う返事がいまだに帰って来ることがある。殴られる方がそのことをわきまえていればそれですむであろうが、時代はそれを超えてしまった。
わたしが自分の息子を叩いたのは当然、気合を入れるためであったが、言うことを聞かないという憎しみもあった。微妙な感情である。そこで気合を入れること自体がシゴキだと切り捨てられてしまえば人間の感情や行動の重要な部分が消えてしまうことではないだろうか?
250件ほどの家に、二年間ほど弁当配達してきたが、来月から受け持ち地域が変わることになった。自炊のできない高齢の孤老の家を一時間半ほどので回り、自分は運転はせずに、配達だけをしてきたが、思い出は残った。
大声で、弁当です!弁当をもって来ました!と玄関で叫んでもすぐに返事が返ってくることはない。ほとんどの老人たちは耳が遠かったり、テレビのスポーツに夢中になっていたり、近所の家に遊びに行っていたりしている。そうかと思うと、オベントウデスネ?、チョットオマチクダサイ、と間の抜けた声を出し財布を探し始め、手提げ袋の中をよたよたと手を回す。見つかるまで寒い外で立って待たなければならない。または返事はするが歩けないために床を這って来るお婆さんもいた。どうしたんですか?たいへんですね、とはいうが長話をする時間はない。色っぽいお婆さんには花の球根ややったりしたが、次の週に行くともらったことをすっかり忘れている。
返事がなければ安否確認のために家に上がり込み、家じゅうを探したこともあった。倒れていて、警察を呼んだこともあるらしい。自分の生活に戻って草むしりをしていても、あの声が聞こえてくることがある。丁寧なお婆さんで、自分が帰る時には門扉のそばまで見送りに来て、ありがとうございました、気を付けてお帰り下さいね、と深々と頭を下げるのである。
今にも消えそうな干からびた声が、あの世から自分を呼ぶように聞こえてくる。もしかするとあの世で会えるかもしれないが、忘れられない声である。
自殺者が増えているというニュースがよく出ている。特に、若者や子供が多くなっていて、気が重くなる。自分の若い頃、自殺しかけたことがあったので余計に気が重くなる。六十年まえ、家出し、箱根の山を彷徨した。別荘に勝手に入り込み、トイレで寝たりしながら死に場所を求めた。大学入試に落ち、父母はいつも口論ばかり、ドモリは治らないし、就職できるかも不安であった。どうしたらいいのかわからない。睡眠薬とウイスキーを飲み、トイレの鴨居にロープをかけて首を中に入れた。ところがいつまでたっても眠気は来ず、酔いはしなかった。
仕方なく家に帰ったが、受験勉強をする気持ち人もなれず、家にこもったままぼんやりと過ごした。小説を読みながら人間に生き方を探した。太宰治の小説などは特に感動し、彼が二度も自殺を図り、三度目に成功したことも知った。それから自分はボロ大学に入り、卒業したかどうかもわからないまま、肉体労働をしながら金を溜め、結局何をやってもダメなまま帰郷し、NHKの集金をしながら稼ぎ、結婚したのであった。
あの時死んでいればどうなったか?大食い、大酒、女狂いはできなかったであろう。それらは心筋梗塞を起こし、死にかける羽目に陥らせたが、あれだけの快楽は味わえなかったであろうし、文学に目覚め、神を知ることもなかったであろう。
自殺を考えてる人に言いたい。その絶望的な状態はいつまでも続きはしないのです。必ず、変化がおきます。それを信じて、生きてください。七十五年間、人間業をつづけた私の言うことです。
この出来事は五十年間、悪夢となってよみがえり、夢に出て来たのである。
「てめえら、チンタラチンタラしやがって先輩に対する態度がなっとらん!」その言葉が発せられると、ベランダに整列させられた13人ほどの新入生のみぞおちは、一人14発ほど、鉄拳で叩かれえていった。うめき声が連なり自分に近づく時の恐怖は殺されるほどの恐怖であった。空手の練習で体の筋肉を鍛えられていても、みぞおちだけは筋肉がなく鍛えようがなかったのである。
そのシゴキは毎週行われ、自分は失神して倒れたが、それでも行事のように続けられた。五十年前の当時は多くの体育会で行われ、ワンダーホーゲル部で死者が出たり、左翼の政治運動でリンチ殺人がおこったりすることは日常茶事であった。
今の人でその時代をおぼえている者は少なくなり、歴史からは消えていくであろうが、自分は忘れはしない。大学名と加害者をここで出すことはまだ控えるがいつかは出すつもりである。
今の時代のニュースはほとんど毎日、暴力事件、レイプ事件に占められているが、暴力に対する深い追及はあまりされておらず、同じことの繰り返しである。
ここで問題にしたいのは、可愛いから殴る、と言うことである。子供を持った親であればわかるはずだが、子供は子供の世界があって、親の言うことを聞かない。毎週毎週高校に遅刻して、車で送ってくれと言う息子をいい加減にしろ!学校が厭ならやめろ!といって叩くことは暴力なのであろうか?
言葉でいくら言っても聞かない出来事を叩くことで目覚めさせようとする行為である。難いからではない。そんなことでは社会に出ても飯が食えないぞ!という警告なのでqる。
この言葉は、太宰治の小説の中に出てくるのであるが、自分の遺言でもあることがわかった。
昨日は人材センターで仕事の話し合いがあったので参加した。弁当配りの仕事をしているのだが、コロナの感染が問題になり、仕事のやり方が変わるという。来月からはお客さんに直接手渡すのではなく、指定された場所に置き、代金は振り込んでもらうようにするという。それは良いことであるが、何か意見はないですか?の言葉に自分は発言した。仕事中に事故が起こった場合の責任についてであった。対人・対物も含めて運転者が金を払うと従来から言っているがそれでは怖くて仕事ができない!私たちは週に一度しか仕事をしていないが労働者ではないか!と言った。すると、いつものように請負であるから個人事業主である。と言う。それは労基署が言っているのか?あんたたちが都合のいいように勝手に言ってるんじゃないか?
と、自分は十年前に労働組合活動をしていた気分になった。つぎに、安心して仕事ができる職場を作るのがあんたたちの仕事ではないか?会員を増やしたいんだろう?そしたらそうすべきであろう?
そこで、横やりがはいるであろう、と予測していたら案の定、入った。自分の嫌いな男が、中村さん、みんな責任を持たされることをわかって働いているんだから、そんなに興奮していうもんじゃない!
誰も黙っていた。
それなら、おれはもうこのことについてしゃべらないと、口を閉ざした。
前の会社で活動していた時もこうやって梯子を外されたのであった。
それから、雪の降った日の仕事についての話し合いになった。狭い団地などは一車線の車道で急な坂道が多くて、ハンドルを握るのが怖いのである。雪の日は、配達を止めるか、町役場の車で回りその保険でカバーするか?など意見が出た。
そんな時運転手の車で配達していて大事故が怒ったらどうするのか?三年前、選定作業を終えた会員がその団地の線路に車ごと落ちてすごい事故になったじゃないか!想像もできない額の請求があって、運転手の任意保険を使ったそうじゃないか!
そんなことを話し合っているうちに一時間の時間がきて、終わった。
帰宅して自分の意見が持ち上げられなかったことに失望し、やはり、以前と同じことの繰り返しであったrと思った。そして、こんな大事なことに人ごとのように聞いている日本人にも失望した。
やはり、わたしは人間の生き方というのがわからないのですね。
大手スーパーのカート整理の仕事を三年間やってきたが、今年から売り上げが減ったということで、一週間に九日間やっていた日数を六日間に減らされた。生活が苦しくなる。昔であれば賃金カット、といって管理職を叩いたのであったが、他のシルバーの会員と同じように仕事があるだけでも感謝と言う気持ちになった。
話は変わるが、近頃その店に変わったオトコが通ってくるようになった。いつも一人で、背筋はきちんと立っているが部屋着のままで、サンダルに素足である。髪は背中まで垂れ、白い顔で、まっすぐ前を向いて一人分の食料が入ったビニール袋を持って人を待っているような気配である。この前は駐車場で両親の運転すると思われる乗用車に乗るのを見た。
一昨日の事、彼がレジのそばに立っているのを見たが、驚いた。ズボンの股間部が濡れていたのである。尿漏れであろう。遠目にわかるほどびっしょりである。自分の肉親に精神病院に長年入り、尿漏れするからパンツを買って来てくれと頼んだ者がいるので、彼のことを思い出した。
昨日、自分は部屋を出、郵便ポストを見に行こうとして下半身がおかしいことに気づいた。ズボンの紐がゆるみ、ズボンが落ちかけていたのである。
笑った。
情けないと思いながらもタイトルの句が思い浮かんだ。そうだ!俳句ではなく、廃句を作ってみよう!新分野が開けるかもしれない。ヨボヨボ爺さんの世界である。面白いことになるかもしれない。
(贖い)という題で三年前に書いたが、その作品に、また取り組んでいる。やっと小説の書き方がわかったように思った。これまで評価されなかったのは、何を書きたいかが読んだ者に伝わっていなかったからだとわかった。登場人物のキャラクターが現れていないという指摘があり、その原因もわかった。つまり、小説らしく仕上げようと意図していたことが障害になっていたのである。例えば中上健二さんの作品には、女のスカートからパンチィが見えた、という表現が時々出てくるが私に言わせればそくそんな下品な言葉が出るな?といぶかしく思っていた。逆に今では、土方一家の生活を描写するうえでは大事な表現なのであることがわかった。
そんなわけで今度の作品は、歩き神、と言う題で、自由に言葉を表現しているつもりである。死ぬまでには公開できると思う。
十年前に、心臓のバイパス手術をしたせいで、毎月、病院に通って血液サラサラの薬をもらっている。一人の看護婦はこの町育ちで、あっけらかんとしていて、どこか面白い。ときどきふざけて私の肩を叩いたりするので、誘いの言葉をかけたことがあったが、まさか?冗談やろう?と軽くいなされてしまった。
ところが先月、彼女から採血してもらい、血糖値と血液の濃淡を調べてもらう時、すごく雰囲気が変わっているのに気づき、どうしたん?と聞いたが答えず、顔を横に向けたままであった。毎日、寒いけ、気を付けないけんよ。脳梗塞やら心筋梗塞は怖いよ・・、と言いたげな気の配りようであったが、どこかしおらしくいじらしさを感じてしまった。これまで見せたことのない雰囲気であった。先月、診察が終わって、金を払う時、二十分近くも待たされたことに事務員にクレームを付けたことで彼女が気を使っているのかとも考えた。
ニ三日たっても彼女のことが胸の中に残っていた。
なぜ、そんな気持ちになったのか?もわからなかった。
今、やっとわかるようになった。これまで何人かの女たちと、深い付き合いがあったが、三人ともその時、俗にいう不幸な状態であった。一人はわがままな被害妄想狂で誰からも嫌われ、行くところがなくなって、私の住むアパートに転がり込んできた。二週間ほどいっしょに生活した。そのアパートに子ずれの女が越して来た。離婚したばかりで夫は詐欺事件を起こして刑務所に入っているという。三歳の子は毎朝、目を覚ますと、寒いと言って泣くのであった。ストーブもエアコンもなかった。生活の面倒を看ているうちに夫婦の関係になってしまった。次は、東京生活をひきあげて、帰郷した年、身内の女が自殺をしに来て、私の住む家に住むことになった事であった。この出来事は今、小説に書いているが、三人の女と親しくなったのはすべて同情からであった。
メディアはその出来事を記事にするかしないかの自由を持っている。記事にすれば現実に起こった事であり、無視すれば起こらなかったことになるのである。取捨選択の権限を持っているのである。以前、メディアは第三の権力と言われたことがあるが、すでに第二あるいは第一の権力になってしまっている。この文章であってもわたしが主宰しているホームページであるからこうして記事になっているが、メディアの世界であれば没にされているであろう。
新聞は読むか所がほとんどなくなったのでとっていない。もっぱらスマフォでニュースをみて世の中の動きを知っているわけであるが、近頃、メディアがどうもおかしいと思うようになった。まず、ウクライナ戦争についてであるが、ウクライナの善戦とロシアのぶざまさ、悪者扱いが多く見受けられる。その書き方は読者の目を引きやすいからであると思う。ロシアの立場そして、どうやったら戦争を終わらせることができるか?などの記事はあまり見うけられない。
近頃の記事は中国が台湾に侵攻して日本と中国が戦争をする、と言うのが増えてきている。戦争研究所や有識者を動員してその記事を書いてもらっているが、おかしい?あなたたちは日本と中国を戦争させたいのか?と聞いてみたい。どうすれば戦争を避けるkとが出来るか?という記事はなぜださないのか?まさか戦争が始まれば自分たちのメディアが儲かるなんて考えてはいないだろうな?
こんな方針だとガルシア・マルケスの小説・(予告された殺人の記録)と同じではないか?あの男が殺される、殺されると噂をされながら、誰も止めようとはせず結局はナイフでずたずたに切られて死んでしまう。実際に起こった事件を作者はドキュメンダリ―に仕立て上げたわけであるが、なんとも現実をとらえたすごい作品である。
メディアで働いている人に言いたい。あなたたちの仕事は出来事を報道するばかりではなく、読者への啓発・啓蒙があるのじゃないですか?