ブログ - 202408のエントリ

栗の実を拾う

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日記
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nakamura 2024-8-31 9:08

  台風はついに来なかった。避難するようにという指示を、町の有線放送、スマフォ、テレビ・ラジオで執拗に聴かされながら、結果的には少し風が吹き、雨が降っただけであった。なんと物静かな台風だったか?と思いながら胸をなでおろし、感謝したのであったが、今頃は東日本の人々が被害にあっているのである。風が吹けば桶屋が儲かる、の言葉通り、こちらが幸福になればあちらが不幸になるのである。

 昨日は,庭のクリ拾った。木は四本あるのでかなりの量であった。火箸で挟み取り、水洗いして、乾かした。袋詰めすると十個入りの袋に22袋取れていた。さきほど、産直店に行って、一袋を180円で出して来た。初物なので200円にしても良かったが、売れ行きは良くないことを知っていた。外皮、渋皮と小さいのに皮をむくのが大変なのである。栗ご飯にすれば美味しく、秋の味覚が味わえる。売り上げ情報が十時、三時、五時、八時に来るので楽しみである。

 腰を曲げて栗を拾いながら、栗の命を考えた。花が咲く前にガの幼虫が卵を産み、栗の成長に従って体を食べていく。栗は身を護ろうとしてイガイガで覆っているが先手を打たれてしまっているのである。幼虫は渋皮も食べ、元気に成長していき、蛹から蛾になって飛び立っていく。

 人は虫に食われていない部分を採って、食べるのであるが、ここで不思議なことがある。栗の体のある部分には割れ目が出来ていて、女の膣のそっくりであるが、そこに火箸を入れるとぱっくり割れてしまうのである。これは食べられて、何個かが残って大地にばらまかれることを想定している。

 台風が来て風が吹き、栗が落ちて、わたしはそれ金にしてご飯を食べる。三か月先には便所を汲み取って、根にかけてやるのだ。すべてが循環しているのである。

失敗のない人生

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日記
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nakamura 2024-8-28 10:16

 今、メディアでは、兵庫県の斎藤知事が餌食になっている。連日、自殺者までだしたパワハラ事件で、今月の末には証人として呼び出され、知事の不信任を突きつけられるかもしれない雲行きである。東大を出た官僚がなぜここまで追いつめられ、国民の興味の的になってしまうのか不思議でならないが、自分の人生と比較して共通点もあるので注目している。

 もとより、自分は東大とか官僚に嫌悪感を持っているがこの事件にあるようにその肩書には品格も才覚も感じてはいない。受験勉強が得意であることとそれらはほとんど関係がないからである。もし関係があるとすれば企業は東大出だけを採用すれば良いはずではないか?ところが現実はそうではない。自分がNHKの集金人をやっていた頃、おれはこんな集金をするために東大をでたのではない!といって他の部署に変わった職員がいたが、かれはとんでもない勘違いをしていたのである。集金と言う泥臭い現場にこそ視聴者の生身の声があり、それを知ることで組織を良くしていこうという考えが湧くのであり、他の部署の職員たちは受信料をもらうのは当然と言う考えしかなかった。それにそれまではいい番組を作っておりますのでお支払いください、という言葉を出していたが払わなければ法的に訴えますと言うようになったのである。

 それからは訪問詐欺の事件も多発し、現在は訪問をやめ、そのために受診料収入がガタ落ちになった。

 ここで斎藤知事の話に戻ると、金持ちの家に産まれ、人からも好かれ、順風満帆の人生であったようだ。倒れて起き上がることをしなかったのであろう。それに引き換え、自分は何十回も失敗して精神的に自殺した。ごまかしながら起き上がり、今は生活困窮した老人であるが思い残すことはない。

 学生運動のさかんであったあの頃、こんな言葉が流行っていた。

 連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることは辞さないが、力つくさずして倒れることは拒否する。

死ぬ実感が出ない

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-8-26 13:02

  今年の五月で77歳になった。平均寿命を基準にしてもあと数年しか生きられないはずである。アルバイト、カラオケ会、日曜礼拝、弁当配りなど短い時間をこなしながら、死なずに生きていることは事実である。そろそろ死期を感じ取るころのはずであるが一向に感じ取れないのである。死を待っているのに来そうにない。他の老人たちはどうなのだろうか?と考えてもそんな質問をすること自体がタブーである。

 死期が近づくと幻覚を見るらしい。天井裏から小人のような男が降りて来て、手招きしたと言う話も知っている。自分は椅子の背中に人の気配を感じたりするjことはあるが、手を伸ばすと、消えている。

 体調は悪い。お盆をすぎてから慢性胃炎はひどくなり、吐き気がし、喘息の発作も続いているし、便秘もどくなった。

 心筋梗塞の前歴があるので、死ぬとしたら脳梗塞か心不全であろう。

 島尾敏雄さんの小説に、出発はついに訪れず、と言う作品があるが、あれは召集令状をもらいながら呼び出しがかからなかった男である。

 振り返って見れば悪行をしてきた自分に死が訪れないはずはない。近頃は人を傷つけてばかりいた人生が思い起こされ耐えきれなくなる。

 神よ、早くお迎えに来てください!と祈りたい気である。

真夏の天日干し

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日記
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nakamura 2024-8-21 7:51

  昨日は大手スーパーでの、カート整理の日であったが、体調が悪かった。前の日はカラオケ発表会で舞台で歌った。咳が頻繁に出て心配であったが、歌い終えて、仲間たちとしゃべり、何とか役目を終えた。立ち上がる時に知り合いの女が心配そうに手を貸そうとしたが、自力で立ち上がり、車を運転して無事に帰れた。近頃暑さのせいで胃炎が出てむかむかし、喘息も出、苦しい。歩き方もよちよち歩きなのである。猛暑がつづき、雨は一か月も降らず、畑はひやがっている。ナスもキュウリもトマトも水枯れで栄養失調になっている。人間がおかしくなるのは当然である。

 その日、大手スーパーは5%割引の日で、大入りが予想されていたが何とかこなせると考えていた。九時開店で、十時に仕事を開始した。店内の十か所、駐車場の六か所の置き場を歩き回り、十個ほどのカートを集めて手で押していく。500台は駐車できるがカートを車にぶつけでもしたら自分で弁償させられる。二千人もの客が出入りするのでその隙間で動き回ラなければならない。風が少しでもあれば救われるのであるが無風であった。カートはあちこちに貯まっていく。

 一回りして、店内に入るとエアコンが天国を作っていた。

少しでも余裕が出来れば椅子に座って、力を貯めなければ体が動かなくなる。ふつうは持参のペットボトルの水で間に合うのであるが、自販機から麦茶、ファンタ、ジュースと出して、次々に飲んでいたのである。若手の社員が混乱を予想して、カート整理を手伝い始めた。それでなんとか進んでいったがそれがなければカートがなくなってしまうところであった。午後一時ころになると交代要員がやっってきた。

 帰宅すると相変わらずの暑さであったが、エアコンはない。扇風機にかかりながら食事をとり、休んだ。が、天日干しになった記憶は四日後の日曜日に現実になって再び現れるのである。同じことをしなければなえらないのだ。

蚊が消えた?

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-8-12 20:50

  昨日から、部屋に異変が起きていることに気づいた。よく考えて見ると、蚊が一匹も出ないのであった。だから蚊取り線香をたくこともなかった。エアコンがないので室温はこの二週間ほど、35度以上であった。ネットで蚊が出ない、ことを検索してみると温度が高すぎると元気を失って動かなくなる、と出ていたが、草刈りを時々やっている自分はどうなるのか?と考えた。

 足腰が時々痛むが、じっとしているのは逆に良くないと考えて、畑作業をし、短時間のアルバイトもしている。だが、振り返ってみると、蚊が出ないのは初めてではないか?と思った。母が生前の頃、彼女は野菜の水やりのため、溜桶を五か所ほど掘っていて、絶好の家の産卵場所となったのであった。

 そこで深く考えてみると、怖くなった。蚊が活動できなくなったということは人間もそうなるのではないか?熱中症が流行しているように動けなくなって死んでしまう・・・。日頃、自分は死に憧れているくせに、死を怖がっているではないか?彼岸の入りになって涼しい風が吹くようになってうれしいが、毎年温暖化現象で地球の気温は上がっていくばかりであるから、人類が絶滅に向かっているのは確かである。

 今頃、蚊はどうしているのだろうか?まさか、死んでしまったのではあるまいか?そう考えると、憎らしかった蚊とは共存していたことがわかった。

定年後、初めて仕事についた時。

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-8-12 12:15

  四十歳すぎた男性で、定職につけず、悩んでいる人がいる。まるで、自分の姿を見るようで心配になるので自分の体験を話してみたい。

 自分は大手スーパーのカート整理を始めて、三年になり、余裕が出来たが、最初は戸惑うことが多かった。最初、先輩がこう言ったのであった。あんたなあ、仕事は楽してやらないけん。ひまができたら、見つからんようにここに座っとりあ良いとたい。そう言ってロビーのすみに座り、スマフォでゲームをやっていた。

 自分が仕事に慣れたころ、整骨院のそばの椅子に腰を下ろしていた。制服姿の警備員がそれを見つけ、そんなことしとったらいつまでも帰れんばい!と、怒鳴って去った。おれはおれの仕事をやりよるんやないか!おまえは警備の仕事やろう!と叫んだ。

 ところが、その警備員はカートが置き場に貯まっていると、運ぶのであった。一般的な職場は自分の持ち分だけやって他の仕事には手を出さないのであるが、そこはレジの女がカートを運ぶこともあった。ここはこんなやり方をするんだな?と考え、。わかってきた。

 店内の商品を眺めていると、商品を見るのが仕事ですか?と背後から、店次長が声をかけた。びっくりして、自分も他の産直店に野菜を出したりしているので興味があって・・・・。といった。

 それから彼はわたしの動きを監視カメラでマークするようになった。遠くから目で監視するようになった。運ぶカートの量が増えれば、ロープで引っ張れ!と言い、派遣会社にローップで引っ張っていないとクレームをつけた。おかげで股関節を痛めたが、治療費は自分で出した。

 一年後に店次長は転勤になり、次の次長は何も言わなかった。

 こんな経験は誰しもあることであろうが、入社時に周りの人と親しくなって情報を仕入れていればよかった。だが、現実はそうはいかない。やはりまわりに従いながら、慣れていき、仕事に余裕を持っていくしかない。このケースはまわりとの誤解であった。

お迎えは来るのか?

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執筆 : 
nakamura 2024-8-8 8:14

  700坪の土地の草はなんとか刈ったが、まだ半分も残っているし、そろそろお盆が近いので墓掃除もしなければならない。今週中にはお墓の草や小枝を切り、掃除をしてきれいにしておきたい。毎年やっていることであるが、墓までの坂道、そこまでの歩きが辛くなっている。

 二十年以上も前に亡くなった母や父を迎える体制を作っておきたい。が、ふと考えると、77歳の自分にお迎えが来る番ではないか?と思う。本当にお迎えは来るのであろうか?来ないということはあり得ないが、そろそろ来てもいいはずである。便秘気味でトイレで力んでいる時、こんな時に倒れて、お迎えが来たとしたらみっともないと考えたりもする。

 スーパーのカート整理をしている時、もみ殻を詰めている時に、倒れるかもしれない。相変わらず、血圧は高いし、降圧剤のせいで頭もふらつく。どこで倒れるかはわからない。安楽死や自由死が早く認められるべきである。

 そばの畑で、盆蜻蛉が何匹もとんでいる。蚊を食べているのであるが、自分もついでに食べ、あの世に連れて行ってくれれば良いな!と思う。

ホームレスが風俗であった頃

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日記
執筆 : 
nakamura 2024-8-6 10:25

  円安がからんで訪日客が増え、数兆円の金を落としていくという。彼らは街がきれいなこと、交通機関が時間通りに来る、ことなどほめあげ、すし屋に入って寿司を食べたことに感激している。

 良いことであるが、レアなわたしはそこで失ったものを感じ取ってしまう。1970年、1980年代を思い返せば、信じられないほど、クリーンになったことは間違いない。当時は学生運動が盛んで、新宿の街などが街路樹の下で、ホームレスが寝転がり、酔っぱらっているのか死んでいるのかわからない状態で、通行人たちは知らぬ顔で行き来していた。ギターを鳴らしながら、長髪の若者たちが髪をなびかせて歌い、踊っていたがそんな光景はまったく消えてしまった。もしそんなことが始まれば警察が来て、注意し、言うことをきかなければ連行するであろう。長髪で髭もじゃの若者は路に胡坐をかき、茶碗を前において、投げ銭を待っていた。その姿は醜いとか不潔だとか言われることはなく、風俗の一つ、ファションにまでいなっていたし、パンクロックはイギリスのそんな街から生れたのであった。汚さも風俗として受け入れる余裕があった。

 2024年の今の時代、そんな光景は皆無である。あの光景と時代はどこに行ったのか?団塊世代は記憶に残しているであろうが、青春とともに消え去ってしまった。それをひもとくメディアもない。昨日のヤフーのニュースには見出しの文字にデマとかフェイクとかの文字が十か所も出ていた。世相は混乱している。

 野良犬や野良猫みたいに自由ぬ生きる、考えさえ、なくなってしまった。野良猫も野良犬も保護されなければならなくなり、ホームレスも放浪も消えた。逆にセクハラ、パワハラ、モラハラなどが横行し、メディアはそれにしか目が行かなくなり、肝要なことを忘れてしまった。

 多様背、多面性を忘れ、数字やアルファベットなどの記号にとらわれてしまった。一+一は二としかこたえられな人間ばかりである。それは物質世界の思考であり、精神の世界のことではない。火事場の力と言う言葉があるように、一+一はや三、五にもなるのであるが、そんなこと言う者はおらず、間違ったAI思考がとんでもない時代に進んでいることを知る者は少ない。

 いまこそ、失っていくものを取り戻し、復興させなければならない。

 それは数値化することのできない精神の世界であり、そこに立ち戻るしかない。

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