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コオロギの子守唄聴き枕敷く

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-8-22 7:37

  昨晩は、布団に入る前にこんな句ができた。一日が発句に始まり、終わるといっても過言ではない。夜になればわが草の宿は演奏会が始まる。クツワムシの鳴き声が秋に入りかけていることを教えてくれるし、カネタタキがまるで金を叩くように鳴いてくれるし、鈴虫も澄んだ音色で歌ってくれる。マツムシも松葉のような声を出す・・・。午後九時ころ寝につこうとすればコオロギが床下から声をかけてくれる。

 また、夢を見てしまった。集金の仕事の事務所、それに仲間が現れた。自分はいったん心筋梗塞を起こして退職していたのであるが復帰の呼び出しがかかっていたのであった。福岡放送局に着いていたのであるが、打ち合わせの予定されていた部屋がわからない。顔見知りの男は復帰の書類を手にもって動いているではないか?復帰の書類ではなく、集金緒報告書であった。受信料の金額、件数、地域などが書いてある。部屋に入って探してみるが見つからない。そこで万札が数枚入った財布がポケットに見当たらないことを知って慌てた・・・・。

 二十三年間働いて去った仕事が十年後に現れてくる。体をよく動かしたと思う。知らない地域に行って知らない人間に会い、金をらって7バイクであちこち走り回る。良い景色に出会えばカメラにとり、このホームページに載せて、日記を書く・・・。十年後の今は歩くのにふらふらしてよちよち歩きになっている。

 夢や幻想の中で生き返っている・・・。そこには豊富な体験や懐かしい人々の顔が待っている。心が動き、笑い、時には涙することもある。

目覚むればががんぼさ迷う草の宿

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-8-21 8:10

  毎日、句を作っているので、今日はなににしようか?と考え、あれはガガンボという名前だったと思いつき、句が浮かんだ。昨日は一匹のスズメバチが部屋の中に入り込み、飛び回りはじめた。驚いたと同時に怖くなり、どうしようかと考えた。ハエ叩きがあったので、打ち殺そうとしたが、自分の体が不安定になって倒れることを恐れた。カーテンの隅に行ったスズメバチを、叩いて、殺した。次は、夕方になって、風呂に入ろうとしたら足長蜂が飛んでいた。これも叩き殺そうとしたら、どこかに消えてしまった。

 草の生え放題の家には、めっきり少なくなってしまったが、虫たちも住みついている。

 その中でガガンボは刺すこともなく動きも鈍く、何を食べているかわからない、変わった蚊である。人間であればまるでホームレスみたいである。だがそれが今の時代まで生きているのである。まるで、わたしみたいに・・・・。

 目覚むればががんぼさ迷う草の宿

 そういえば、飛び方もふんわりしてさ迷うような感じである。

 

 

  二十年前、NHKの集金業務をやっていた頃、ある農家を訪れていた。陰気な老婆が現れて、払ってくれていたが、ある時こんな話をしてくれた。農業をやている夫がむずかしことを言って困っているという。(おれはどうやって死ぬんやろうなあ?それがわからんで苦しいんや・・)そんなことを言われても答えようがなかった。そしてある日、夫は、と言って、そばの納屋を指さし、首をつって自殺したというのであった。

 死ぬのが怖くて自殺するなんてまったくわからなかった。

 つぎに,三年前、あるキリスト教信者の女の家に寄ってその話をしたのである。すると彼女は、神にいただいた命をそんなに粗末はできません、と答えたのである。

 そして、今朝、このタイトルの句が思い浮かんだのである。命とは素晴らしすぎて怖きもの神に還して遂げるものなり。

 聖書には神がすべての生命を作り、繁栄させているというのである。

 自分のこの体もそうであろう・・。と、考えると生きるのが楽になった。

 自分で責任を取らなくてもいいのではないか。人生における失敗も喜びもそうであろう・・。そのように考えるようになればその女信者みたいに幸福になれるのではないか?そして、神から生まれて神に還すのではないか?

 

盆トンボ肩を並べて夏泳ぐ

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-8-14 7:30

  昨日は近所にあるお墓の掃除ができて、一段落した。こんな書き方をしてしまうことが情けなくなるのであるが、そうなのである。頼まれていた空き地の草刈りを一週間かけ終えたが、左の股関節が痛み、歩けなくなってしまう?という怖さが残っていたのである。剪定はさみ、鎌、鋸、箒、水、蝋燭、線香を入れた包みを担ぎ、家から十五分歩いて、山道を登る。来年はこの坂を登れるか?という思いがわいてくる。一時間ほどで、五坪ほどの敷地の草を刈り終え、濡れた枯葉を手でかき落とす。蚊が群れて襲ってくる。体を包んだツナギは汗まみれになるが、墓石に隠れた骨入れを見ると、鍵を開けたままである。何年先かのわたしを待っているのである。

  家の庭にそれだけ咲いていたサルスベリを、墓の筒に入れ、庭に残っていたレモンを二個、そなえた。顔は汗まみれになり、頬に汗が垂れた。

 (墓掃除流るる汗は母のもの)

 流れる汗は自分を苦労して育てた母のものでもあることが分かった。母と二人で掃除をしていたのであった。

 母を取り残して、孤独死させた自分であった。

 涙を流しながら、蝋燭を灯した。

 帰りの道すがら、

 (盆トンボ肩を並べて夏泳ぐ)

 、と、句が浮かんだ。

  産まれて以来、生えた歯は一本も抜けていなかったが、一週間前から奥歯がぐらぐらしていることに気づいた。舌で撫でてみると土台を失っていることがわかり、抜けることが分かった。出血するかそのまま落ちるか?と不安であったが歯医者は怖くてなにをされるかわからないので行かなかった。すると、昨日、何の痛みもなく自然に落ちたのである。手に取って、歯垢に汚れた歯を見つめながら、七十八才だと分かった。歯について深く考えたことは無く、食べ物を噛んでくれるのは当然だと考えていたが、七十八年、片時も自分から離れず、食べ、飲み、時には女とキスをして支えてくれたのである。

 抜けた歯は遺骨みたいなもので、幼いころは、それを屋根の上に投げ置いておけばまた生える、などと幼友達としゃべったことがあった。

 金が消え、女が消え、思い出が消え、人の名前が消え、知識が消え、すべてが消え去っていく。これが末期というものであるが、きれいさっぱりと消えてしまうことは無心になって良いことである。

  昨日も、空き地の草刈りをした。三日目であり、うまくいけば終える予定であった。風は少しあったが、室温は35度で暑かった。草刈り機で刈り始めると、その一帯は草がもつれて草刈り機の歯に絡みついた。それを振り落として刈らねばならない。通常の二倍の労力が要った。ススキの長い葉が倒れている上につる草がか絡みついていたのである。三分も続けると体が動かなくなった。いつものことであるが、木陰に逃げ込んで休みを取り、また始める。次第に時間が長くなっていったが倒れたらどうしようかと不安になった。五軒ほどの民家がまわりにあるが、二軒は無人であった。

 一時間ほど戦ったが、やる気を失い、車でビールを買いに行き、そのまま帰宅した。次の一日で刈り終えると考え、空き地の持ち主は来月に訪れ、刈り終えていることを確認することを思ったが、自分がいつまで続けけられるか?不安になった。

 草にとっても生きることは戦いなのである。隣の家の男は私の苦労を知って、除草剤をまきましょう、といってくれるがわたしは毒殺なんて反対である。自分の命は草の命であり、代えがたいものなのである。

  今日の朝、倉庫のもの陰から聞いたような声で蝉が飛び立ち、それを知って驚き、感動した。油蝉であったが、逃げるようにして消えた。今年は蝉が出ず、自分の命の残り少なさと重なっていたが、ひとまず安心し、しばらくたって、こんな歌ができた。昨日は管理を任されている空き地の草を三分の一ほど草刈り機で刈り、盆までには全部刈れそうであった。次はお墓の掃除と墓参りが待っている。これで一夏が終わるのである。相変わらず、日曜礼拝、カラオケ、アルバイト、もみ殻出しで日々を過ごしているがいつかこの生活にも終わりが来るのである。

 庭のトマト畑で、、セミの抜け殻を、見た。何を夢見て飛び立ったのか?考えると、心が和んだのである。

エアコンが起こす熱中症

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2025-7-2 11:24

  わたしの部屋にはエアコンがなく、扇風機で冷やしています。そのことをしゃべると、、ほとんどの人はなぜエアコンを入れないのか?熱中症で死んでしまうじゃないか!と怒らんばかりに言ってきますが、わたしは静かに反抗します。熱中症は地球のオゾン層が破壊されていることが原因である。が、エアコンをつけるから、本来持っている体温調節ができなくなるし、室温は下がっても、外気温が上がり、熱中症をおこしている。地球上の数百億の人間がエアコンをつけたらどうなるのか?外気温はますます上がって、地球は焼き尽くされてしまう!自分たちが崩壊へ導いているのじゃないか?

 このブログは数年前にも書いているけど、マスコミはエアコンをつけろ!とばかり言っており、有識者の判断を取材しようとはしない。はたして、、どっちが正しいのか?有識者たちに聞いてみたいものである。自分がエアコンをつけないのは、金がないことが原因であるが、金があってもつけないであろう。

 エアコンがなかった時代、夏に倒れる児童は数人ほどいたがニュースなることはほとんどなかったが、今は救急車で搬送されることが日常的になっている。

 どこかでこの意見を取り上げてくれる人を待っているのだが、現れそうにはない。国民は同調圧力に負けているのかと心配になる。

 

  この句を書いたのは一年前であったと思うが、今、梅雨空から夏が近づいて来て思い出した。印象深い光景であったがあの時の蟻がどこに行ったのか?は知らない。今、空を見上げると雨が降りそうな気配である。こんな時、蟻の統率者は天気を予報して実行するべきかどうか?考えるのであろう。この仕事には何匹の蟻がいるのか?とか、どのルートを通って巣穴に戻るのか?など、人のリーダーが計画を練るように思案するはずである。片手の半分ほどの蜘蛛の群れが石や草を踏み、水たまりを超え畑の中の巣穴まで運ばなければならないのである。巣穴では女王蟻と無数の子供たちが待っているのである。蟻の脳の中でどのように考えがめぐるのか?、役割分担をさせて運ぶなんて大変な作業であるが、人の何万分の一かの大きさの彼らがやる行動は驚くべきというしかない。緻密な伝達はどのようにするのであろうか?テレパシーをつくという者もいるがまだはっきりと解明されてはいない。

 近ごろ、スマフォでユーチューブをよく見るがその記事には日本礼賛が多い。記憶に残っているのは日本は技術力や国民性を含めて世界の未来がであるのではないか?、と書いている。若いころ左翼であったわたしは半ば疑いながら昨今の社会情勢を見るにつけ、もしかするとそうではないか、と考えてしまう。どこの道路も通り道もゴミ一つ落ちておらず、枯葉もない。人は清潔な服装で静かな対応をする。騒ぎもなく、電車の中も静かである。昭和の騒動の時代を生きた自分にとって、同じ日本なのか?と疑ってしまう。

 (同調圧力)と言われる力があり、それはある意味でファシズムではないか?とも考える。もし、日本が戦争に巻き込まれ、戦争を起こしたりすれば太平洋戦争以上のい力を発揮するに違いない。

 この蟻の群れのように乱れず、着々と戦いをを進め、(とてつもない)結果を出すのではないか?

物忘れ生きてることも忘れしや

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-6-16 17:17

  一昨日、あることが思い出せないことに気づいた。毎月、銀行に入金されている金がどこからのものであったか?ということなのであるが、思い出すのに三十分くらいかかり、シルバー人材からの給料であることが分かったが、これが仕事上のことであれば大変なことになるだろう。それに、仕事に出る前に持参する物の点検を何度もするが何かを忘れていることがたびたびある。

 また、、朝の目覚めの気分がすごく悪い。ともかく、体が起きるののを嫌がっているのである。今日は仕事もカラオケも麻雀も礼拝もないので起き上がらなくてもいいのであった。が、三十分もぐずぐずに堪えられず、起き上がってしまい。パンを焼いてコーヒーを飲み、スマフォを開いてニュースを見、草取りをはじめ、いつものペースがもどった。毎日、投稿している俳句の句を考え、このタイトルのものになった。

 初めは、神が時間を作った、というタイトルにしようか?と考えていたのである。聖書の創世記に、光あれ、と神が言われ光ができ、世の中ができた、とあるが、これがいかにすごい言葉であるか、考えた。それまでは闇であったので物が見えなかった。見えないということは無いのと同じである。光ができて見えるようになり、月や太陽の動きがわかり、その変化が時間を産んだのである!神は海や陸を作り、そして、生命の初めに人間を作り、いろんな生命を作って管理を人間に任せた。それからのことは聖書に書いてる通りである。教会で聖書の勉強会を開いているがこれからは読む部分を決めて進めようということになり満足している。聖書の分量は大きすぎて、通読するのは大変なのであるし、学ぶところはたくさんある。自分はクリスチャンにはなれないが、研修生としてすすむつもりである。小説を書く上においてもすごく勉強させられるのである。

 物忘れ生きてることを忘れしや、には当分ならないようである。

 

 

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