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死ぬのを待つ人ー3

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-11-27 7:58

  昨夜、寒さをおぼえて、押し入れの中から冬布団を持ち出して、体にかけた。だいぶ暖かくなったが室温は七度であった。電気毛布を低温でいれていたがそれでも寒かったのである。暖い布団の中で死ねれば良いな・・と思いながら、あの中村さんはこの寒さでどうしてるだろうか?と考えた。昨日、彼の部屋に弁当を配達してきたのであった。それまでは公共施設の部屋で仲間たちと麻雀をやった。健康マージャンと言われ、賭けない飲まない吸わないの場であるが暇な老人たちの間でブームにもなっている。楽しかった。

 三件目に中村さんの部屋に着くと、閉じられたサッシ戸をノックした。彼はベットのカーテンを開けて顔を出した。表情はなかったがやさしい顔をしていた。ズボンのポケットの中からチリ紙に包んだものを出しかけた。チリ紙に包んで用意していた三百五十円であった、新聞紙もチラシもないからチリ紙に包んで用意していたのであろう。礼を述べて受け取ると、わたしはポケットの中に用意していた吊るし柿二個を差し出し、自分が吊るしたものです、と言った。彼は笑顔を見せて、受け取った。今度、ゆっくりお話をしに来ていいですか?というとうなずいた。

 自分の部屋の布団の中は花園みたいである。知り合いや出会った女を想像し、野山を散歩し、集金仕事で訪れた地域を思い出し、どんなところにも自由自在に行けるのである。中村さんの優しい顔はそんな状況ではないか?と思う。

  彼との出会いがどんなことになるか?想像すると楽しい。

死ぬのを待つ人ー2

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-11-24 8:49

  一つ前のブログで中村さんのことを書いているが、明後日、彼に、弁当配りをすることになっている。また、うちの屋敷では渋柿がびしょなりで、売っても今年は渋柿がすごく多い年だから売れそうにない。吊るし柿はたくさんぶら下げているので彼に持っていってやろうと考えた。

 彼のことを考えると、経済的ショックを受けて死ぬことを考えている自分に似ているのではないか?と思い、ドッペルゲンガーという言葉を思い出した。七十八歳になっていつ死んでもおかしくないし、そのテーマはこのホームページに二十年前に小説として書いていたのであった。城山峠という小説である。閲覧者者数は七千ほどあるがたいした反響はなかった。ウイキペディアでドッペルゲンガーを調べると、(自分自身の姿を幻覚で見る幻覚を示し、古くは死の前兆と信じられていた)と書いてあり、もしかすると自分がもうすぐ死ぬ身であって、中村さんがドッペルゲンガーとして現れたのではないか?

 それに、一か月間で片方の靴が三度も消えてしまったのである。

 そのように考えると現実が次第に身近になってきた。死ぬ前に死期を予期できることがあるという話を聞いたことがあったが、そうかもしれない。心不全や脳梗塞が起こる可能性が強い自分である。あの世の存在を信じるのでもしかすると、あの世が待っているのではないか?

死ぬのを待つ人

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-11-21 8:49

  週に一度、弁当配りのアルバイトをしている。社会福祉協議会の運営で町内の担当区域を分け、受け持ちは十件ほどであるが、思わぬ人を訪ねることがある。今回は中村という独居老人のことが心に残っている。あなたも中村さんですね、とわたしの名札を見て、言い、少し笑顔を見せ、この辺りにはおなじ名前が何軒かありますね?と初めて、ベットの中から声をかけてくれたのであった。その人たちとはつながりはありませんが・・、とこたえた。

 二部屋ほどの安アパートに住んでいて、いつもサッシ戸を叩いて、声をかけ、カーテンをめくると、彼はかけ布団をゆっくりめくって、安物の意財布の中から硬貨出すが、そこに札束やカード類が入っていたことは一度もなかった。別の財布に入っているのかもしれないが痩せた白い指で三百五十円を数え、出すのである。わたしはかけ布団の上に広がった硬貨を数え、ありがとうございました、と言って受け取り、車に戻るの。 

 それが二日前のことであったが、今日、わたしは布団の中に潜り込んだまま、その中村さんのことが思い浮かび、おれも同じだなと考えていた。

 実は数日前わたしに経済的なショックが見つかって、役場に生活保護受給の相談に行ったのである。

 中村さんの部屋にはテレビもストーブもなく、布団一枚きりしか見当たらなかった。わたしのテレビは故障したまま放置している、パソコン、スマフォはあるがひじ掛け長椅子に寝転んで、ラジオを聞いたりしてことが多い。

 いつの間にかわたしは中村さんになり、彼のどこかのんびりした表情になりきるのである。もしかすると、私と同じように死ぬのを待っているのではないか?いつか彼の部屋に立ち寄って、おにぎりでも持って行ってやろうか、と思う。

不思議な出来事。

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-11-13 12:05

  人生を七十八年間生きてきていろんな出来事に会い、不思議な人間にも出会ってきたが今回の出来事は結果がどうなのか?はまだわからないが、その一つに数えられるかもしれない。

 三週間前のこと、朝、目が覚めて庭に出ようとした。ところがサンダルが片方だけ見当たらないのであった。猫も犬も飼っていないがどちらかが侵入して、咥えていったのではないか?と考えた。庭には果実が実るので猪かアライグマがいたずらをしたのかもしれないと思った。

 ところがその一週間後、農作業の時に履く運動靴が片方だけ消えていたのである。嫌な予感がしたが猫も犬も人の体臭が好きなことを思い出し、そのままにしていた。

 すると、昨日いつも愛用している運動靴が片方、消えていたのである。人間の仕業ではないか?フエンスを開けて、侵入し、怖がらせるために一方の靴だけを持ち去った・・・?

 過去に何度かいたずらをされたことがあった。四十年前、新車を買ったとき、何か月後かに車に塗料剥離剤がかけられ、ボディが傷つけられた。犯人はわからないまま。それから、今の家に越してきてから、買い替えた中古の車のガラスにひびを入らせられた。それから、家の前の歩道に町が監視カメラを取り付けたのでもういたずらはされないだろうと考えていた矢先のことであった。

 わたしを狙う者が、いることは想像できるが、この出来事はホラー小説になる!と考えて興味がわいてきた。書き出しは片方の靴が消えたことから始めればよ良い!

 こうしてまず、ブログに書いたわけです。

カラスに食われる日

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-10-26 8:26

  一週間前、部屋の出入り口に置いていたサンダルが片方、無くなっていた。犬は飼っていないから野良犬がくわえていったのか?と、考えていると、昨日は、作業用の靴の片方が消えていた。また、やられたか?持っていかれるのではないか?と思っていつも履く靴は部屋の中に置くようにした。東北では人が何人も熊に襲われる事件が後を絶たない。昆虫の数が四十年前の千分の一にまで減り、栗、梅、キュウイ、柿、ビワなどすべての果実のサイズが以前の半分ほどになり、収穫量も激減している。熊は食べ物がなくなって人を襲い、餌にするしかなくなった。恐ろしいことである。うちの庭の甘柿は昨年からカラスに食われるようになった。集団でやってくるのだから、数十分のうちに一本の木を平らげてしまう。

 この流れは酷暑が原因であり、人が快適さのためにエアコンを使い自然破壊をするからである。そのことを反省して生活しなければ、そのうちカラスが人を襲うようになる。部屋の中で弱っている老人を狙い、私も対象になるであろうが。ヒッチコックの(鳥)という映画が四十年前に上映されたが、鳥が人を襲う内容であった。まさにそのことが現実化されようとしているのである。

神とはエネルギーの総体である

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-10-20 13:53

  毎週、ほぼ十年間、教会の日曜礼拝に通い、キリスト教と神の存在がかなりわかってきた。先週は神父から洗礼を受けないか?と言われたが、過去の出来事があって、断った。以前、通っていた教会の信者から誘いを受けた時、洗礼を受けたらどのようになるのですか?とたずねると、答えはなく洗礼を終えて、献金の封筒が四枚渡されたのであった。生活が苦しいといつも言っている者にそんなことをするなんて許せず、脱会したのであった。さらに、そこの雰囲気は金持ちのサロンというものでもあった。

 今は、わたしは自分の畑でとれたものを信者に売ってそれ献金をしているので、金を出すことはない。いつまでも研修生のつもりで勉強していたいと思う。

 以前から思考を重ねていたのであるが、神とは本人は変化せず、まわりの者を変える触媒ではないか?と、思う。神は地上で最大のエネルギーを持っていて、すべての生命に生きる力をあたえているのではないか?地球の回転力がすごいエネルギーをを産み、原動力になっており、誰も逆らうことができない。

 物理学で、E₌MGと言われ、Mとは質量であり、Gは定数であるので地上で最大の質量を持つものは地球そのものである。それが最大のエネルギーを産んでいて、全知全能者として神を設定しなければ方程式は仮定法を使っても解けはしない。誰も神の正体を掴んだものはおらず、わたしが挑戦してみたいと思い、さらに、自分なりの聖書を書いてみたいとも思っている。

 神とサタンは裏表であり、重なり合っている。対立物がいなければどちらも存在しえない。シュレディンガーの猫のように生きてもいるし死んでもいるのであり、善悪の判断はできないのである。

電車行き音をなくして吐息残す

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-10-7 9:26

  俳句です。

女郎蜘蛛宇宙を編みて祈りしや

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-10-6 9:33

 俳句です。

  毎週、要介護の老人たちに弁当を届けているが、先週の水曜日、Aさんの家に行って弁当を差し出すと、紙にプリンした短歌を持ってきてくれた。なんとそれはわたしが今月の町報に投稿したものであった。彼は感動したと言い、這ふて、の旧仮名遣いの部分を指摘したのでわたしも旧仮名遣いは情緒があって良い、と答えた。彼は九十歳でありながら、いつも百坪ほどの庭の手入れをしていて、元気である。庭にはしだれ梅の木が生え、曼殊沙華が黄色い花を見せていたが、草は一本も生えておらず、彼の誠実さがうかがえた。だが、十年前に家が三度も不審火に会い、近所の男に放火されたと思い、悩み続けていたのである。その内容を紙にプリントして、配っている。

 家族が自分を大事にしてくれるといい、いつもおだやかな顔をしている。

 自分はひとりぽっちであるが、日ごろの生活を見回してみると、句が浮かび、毎日、作っていて、それが一日の支えみたいなものである。体が老衰して動かなくなっても、頭さえしっかりしておれば、描けるのである。小説を書くのは大変であるが、日常生活の描写はスケッチみたいなもので書くのは楽しい。ユーチューブからも私の句が高評価を受けていると、突然メールが来たこともある。

  あの世に行く前に、辞世の句として出してみたい。

知らぬが仏

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日記
執筆 : 
nakamura 2025-10-3 20:15

  酷暑が去り、体調がだいぶ良くなった。今日は小雨の一日であったが、まず十年前まで住んでいた家に行った。空き地になっていて、地主から草刈りを任されている土地である。入り口に立っている渋柿の実を見ると、一か月前と変わらずいつもの半分くらいの大きさであった。今年は酷暑のせいで栗、レモン、カボス、イチジク、すべての発育が悪く、この状態が続けば米、野菜に打撃を与えそうであった。とりあえず、二か月先の収穫を考えて、竹棒を用意しようと思い、近くの山に行き、二本ほど鋸で切り、自宅の甘柿をとってみたが、やはり小さかった。

 スマフォで株価を見ると、今日も下がっていた。一割の損失であった。それから残金のことを考え始め、鬱になっていった。屋敷と散歩道との垣根に密集しているヤブカラシや小竹を刈り取ろうとするがひどくはびこっていて、思うように進まない。いらいらしながらも鬱がつづき、老人ホームにでも入る?と言われた言葉を思い出し、(おれはどうやって死ぬんやろうねえ?)と心配しながら、死ぬのが怖くて自殺した老人のことを思い出した。

 ますます鬱になっていったが、夕食のことを考え、白ご飯、キムチ、ウインナーと卵の炒め、辛子ナスで夕食をとった。美味しかった。すると、少しずつ元気が出てきて、鬱は吹っ飛んでしまった。

 そこで考えついた。

 どうやって死ぬのか?なんて考えてもわかりはしないのである。おれは心不全か脳梗塞で死ぬ可能性が高いが実際その時になってみなければわからないし、交通事故で死ぬかもしれないじゃないか?殺さされるかもしれないじゃないか?

 と考えながら、またスマフォを開いて、株価、メール、ニュース、レア仲間の閲覧者数、ユーチューブ、ラインなどを見ている・・・。そこで考えた。情報を見すぎるのである。ネットにはほとんど何でも載っているし、わからないことは無い。すごく便利で退屈はしないのだが、それがいけないのである。知ってはいけないことまで知ってしまう。

 知らぬが仏、という言葉があったではないか?

 知らないことも大事なことなのである。

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