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ススキノ殺人事件において、瑠璃容疑者、修容疑者、母親の三人が逮捕され、今月から半年間、精神鑑定をうけることになった。わたしは犯罪を犯したことはないが、心の中では何度も殺人、傷害事件、レイプを犯してきた。いわば隠れ犯罪者であるし、すべての人間は犯罪者であり、気違いである、とたかをくくってもいる。
隠れ犯罪者の視点からみれば、被害者には申しわけないが、今回の事件はあまりにも興味深い。それに、元精神科医が精神鑑定をうけるということはわたしが精神鑑定を受けることにも等しいことであり、保身性の強い評論家や権威者が述べる事とは違うリアルティがあると考える。簡単に言えば今回の事件は計画的なのか興奮状態における衝動なのか?が論点になるのではないか?異常な精神状態でなければ殺人行為はできないが、それは衝動的で精神耗弱状態だった、と認定され、無罪か減刑にされるにちがいない。
瑠璃容疑者は被害者から不同意性交をされ、復讐を計画していたのではないか?殺してやる!と考え、ナイフやノコを購入し、ホテルに誘い込むストーリーを考え、殺害時の血痕の消去、など詳細にわたって、まるで推理作家が小説を仕上げるように構想し、何度も想像して楽しんだに違いない。
ということは、計画的な衝動なのである。
いろんな事件において、計画的な衝動という状況がもっと取り上げられていいのではないか?
私の家は広く、時々、野良猫がすみかを求めてやってくる。二年前には白猫が自分の部屋の前までやってきて、私の顔色をうかがいながら、返事を待っていた。エサをくれれば入居の承認であることを知っていたのであるが、わたしは黙って見ているだけではっきりとした意思表示をしなかった。同居人が猫嫌いで忌避剤をまいていたこともあるし自分が面倒をみる自信もなかったので、白猫を受け入れることは出来なかった。
それから白猫は野菜作りをしている自分のそばにやってきたり、遠くから自分を観たりしていて、三年間がたった。私の身内の一人になっていた。ある時、白猫がクリの木の下に座っていたので近づいて、手を伸ばして誘いをかけた。彼女(雌猫)は考えているようであったが、立ち上がり、静かに夕闇の中に消えていた。
それが最後の出会いになってしまった。猫が好きなのでよく動画を見て楽しんでいるがいまだに飼おうする決心はつかない。自分の寿命は近づいている。最後の連れ合いが欲しく、それは猫でも良いのである。いや、猫の方が人間以上に私を理解してくれるであろう。
またあの白猫が戻ってきてくれれば最後の連れ合いにしたいと考えるが、この二年、姿を見せないのである。
見返りて夜闇に消えし白猫や化身なりても訪ね来や
週に一日ほど、二つの宗派のキリスト教会に通っている。聖書は知れば知るほど発見が多く興味をそそられるし、聖書が出来上がるのに一千年もかかり、十二の使徒が完成に加わったことを知って感動した。人類の宝であると思うが、同時に疑問もわいてきた。旧約聖書の創世記から新約聖書のマルコ、パウロまでよんでみて、崩壊と再生の流れを認めることができた。ノアの箱舟、ソドムとゴモラ、エリコの壁、キリスト磔刑、その復活などの事件はそのことを示している。しかし、現在の事件、コロナの侵攻、ウクライナ戦争、ススキの殺人事件などの出来事に対してどの宗派も口を閉ざしていると自分は考える。
宗教は政治には関わるべきではないと思うが、宗教としての判断・解釈をするべきではないか?と考えた。なぜコロナが出現して多くの人を殺したのか?なぜプーチンはウクライナを攻撃するのか?なぜ、瑠奈容疑者は殺した後に首を自宅の浴室で保存していたのか?など俗人が解明しようとしてもとうてい解明できそうにはない。本来であれば至高者が登場するのであるがセクハラ、パワハラなどどいってさわぐ状況においては口を出すことをはばかる状況になっている。
繫栄しすぎる生物は食物を食い尽くし、ついには食うものがなくなって絶滅してしまう。食物連鎖の頂点に立つ人類は人類を襲うものがおらず増え続けるだけである。そこでコロナを登場させて人口の調整をはかったのではないか?同時に新しい世の中の誕生を意図したのではないか?誰が意図した?それは神ではないか?ロシアは崩壊するであろう。そして、新ロシアが誕生するであろう。従来の悪政を改善して立ち直るのである。
今の交戦状態は動的平衡の中の動の部分にしか過ぎない。人生においても挫折・失敗は成功への道の途上にしか過ぎないし。挫折失敗がなければ到達できない必要悪なのである。、
今日のヤフーのニュースで瑠奈容疑者が彼女の殺人現場をビデオに撮り、自宅の浴室に保管したその顔を自らが手で撫でている場面をまたビデオに撮った、ということがでていた。3時間のうちにナイフで刺し殺すことだけでも大変なことなのにそれをビデオに撮りながらであったということは信じられないほどのおどろきであった。初めて人を殺すことだけでも大変なのにしかもそれを計画的にやり、その行為をビデオに撮りながら、であるから到底で並の人間ができることではないはずである。多重人格であったからだと説明してもとうてい人を納得させることはできないであろう。浴室に保管していたことは自分は最初から戦利品としての認識があったと考えていたがそのとおりであった。これらの行為に肉親以外の第三者が絡んでいるのではないか?と考えていたがそうではないようである。これは小学校の門柱に生首を載せた事件に少し似ているが、それを超える事件に思える。
多重人格であるから容疑者は起訴はされないという意見が出ていたが、自分の殺人行為をビデオにまで撮ったことは多重人格とは認められないであろう。多重人格であれば自分とはちがう者が乗り移ってやったということになるが主・人格はビデオに撮った者なのである。だが、起訴されても多重人格の疑いがでて、執行猶予付きの刑になるであろう。父親の方もそうであるに違いない。
この親子は社会復帰した時のことを計画しているにちがいない。今頃は部屋の中で出版する本の構想を親子ともども練っているだろう。どこに何を書き、出版社をどこにし、売れ行きを考え、印税の額も考えているであろう。テレビに出演した時は何を話そうか?これだけは伏せておこう、などと考えているに違いないし、被害者の方に心が向くことはないであろう。被害者が瑠奈容疑者になにをしたか?これだけは最後まで隠し通すであろう。なぜなら、自分達の人生を投げうってまでして果たした事件であるから。
致命的な秘密なのである。
毎日が暑さにぐったりしている。庭の草を草刈り機で刈れば、五分もしないうちに体が暑さにいうことをきかなくなる。それでもほぼ九割(3百坪)を刈り終えたが、一か月前に刈った所は二十センチほどにも伸びている。お盆過ぎにはそこからまた刈らねばならない。
部屋で扇風機をあたりながら、リクライニング式座椅子にの転がっているのもつらくなる。
とまと、ピーマン、なす、ジャガイモなど出来ているが、店に出せるほどきれいな物はない。幸福なことにスイカはアナグマに食われず、成長していた。ところが一個を友人に千円で売り、はんぶんほどが熟していなかったと言われ、ショックであった。そのまま放置するのはもったいない。今朝、二個の小玉スイカをスーパーに持って行った。店頭の西瓜の値段を見ると、小玉でも千四百円の値札が貼ってあった。考えた末、一個を千三百円で出して来た。今日、売れなかければ、明日は半額にされるから売れ残りは出ないであろうが、お客さんが割ってみてもし熟してなければ返品するだろう。が、申しわけなくなる。自分には12時、15時、17時とメールが来る。
今日の楽しみはそのメールを見ることくらいである。
台風が来る前、クマゼミが激しくないているが、もうすぐお盆である。短い命だから激しく鳴くのであろう。
報道機関は熱中症を避けるためにエアコンを使うようにいつも言っているが、本当にそうなのであろうか?逆なのである。科学が快適さを生み、資本主義が発展し、エアコンを使い始めたから熱中症が起こったのである。それまでは熱中症という言葉はなかった。
地球は大気圏につつまれ、蓋をされている状態である。そこでエアコンをすべての世帯がつかいはじめればどうなるか ?室内は冷えるが熱気は外に出され、そこが高温になってしまう。これが熱中症をおこし、またエアコンを使うようになる。イタチごっこなのである。
現代文明はすべてこの構造の中に取り込まれているが誰も批判をしない。本来、病気にならないようにすべきなのにそのことより薬を生産し、治療をすることに重点を置いている。戦争は起こらないようにすべきなのに戦争が起こり、軍需産業が儲かるようになっている。命より金儲けが優先するのである。本末転倒である。
いつまでも反省もせず、破滅の方向に向かっていながら、そのことを指摘しない。そろそろ、このパラドックスに気づくべきではないだろうか?
死体損壊容疑で逮捕された瑠璃容疑者の家から、殺された被害者の衣服や携帯が発見されたというニュースが昨日、出ていた。衣服に血痕がついているか?スマフォにどんな会話やメールが入っているか?などすでに調査が始まっているはずである。犯人は迂闊である。殺害行為の事前から計画し用意周到に実行したように見えて、足元を見せてしまっている。そんな所持品などは初めから処分しておくべきものなのである。
これで死体損壊から殺人容疑に切り替えて逮捕されるであろう。
事件の全貌は見えてきたが、3時間の間で男を殺し、首を切り落とし、血痕や男の指紋を拭きとって部屋から出て、迎えに来た父親の車で逃走するなんていう早業が女一人の手で出来るのであろうか?不可解である。容疑者は多重人格で自分ではない者がやったとほのめかしているようであるが、それがわかるような気もする。冤罪事件などで何十年たっても自分はやっていないと主張する者がいるが、自分に他人がのり移り、凶行に走らせ、自分は一切おぼえていないということはあり得ると思う。一般の生活の中でもたまに、なぜあんなことをやったかわからない、場合は一生の内何度かはあるのである。人の一生のうち、すべてを意識しおぼえているなんて言うことはあり得ない。歳をとって認知症になっていけばそのことが良くわかる。
この事件のもう一つの謎はなぜ殺害しなければならなかったか?である。事件が発覚し、家族も父親の社会的命も失われることはわかっているはずである。瑠璃容疑者が不同意性交をさせられ、その動画がどうのこうのという情報は出されているがどんな動画なのか?はっきり言っていないのである。
たぶんこれがポイントなのである。自分の娘がレイプをされて殺したくなる理由はわかる。警察に被害解けを出したり、加害者に損害賠償をさせたりすることも出来たはずであるが、殺す方を選んだのである。そこには世間には絶対出されたくない情報があったのではないか?
しかし、これから殺される被害者が心を踊らされて、加害者の女とラブホテルで向き合った時、女が7月と言う暑い季節に手袋をはめ、大きなスーツケースを持っていたのである。それは何にするの?とたずね、瑠璃容疑差はなんとこたえたか?大いに想像力を刺激する瞬間である。
自分は小学校に入る前、父や母の部屋に入ってあらさがしをするのが楽しみであった。高校の教員を務める父の部屋の、引き出しの中からエロ雑誌を発見し、黒い陰毛を見せた裸女の白黒写真を見て、興奮したものであった。母の部屋の引き出しからは乾いたゴム状のものが出てきて、幼いながらそれが避妊具(ペッサリー)であることを知ったのであった。また、婦人公論と言う雑誌があって、そこには性行為について詳しく書かれていて、夢中になって勉強したものであった。
母の引き出しの中に口紅を発見し、口に塗って自分の顔を鏡で見たこともある。女みたいですごくかわいかった。小学校に入る頃には男と女の生理がわかり、夜中になると家を出て近所の若夫婦の部屋を覗き込んだりするようになった。友達からは、女みたいだ、といわれ、高校では女と呼ぶ者もいた。
オカマと呼ばれる世界があることもわかってきたが、積極的に参加しようとは思わず、女にだけ執着していた。
今の時代、LBGTという言葉があらわれ、性について過敏になり、男女のトイレの仕組みをどうするか?が論議され,その法案まで作られ始めている。性差についてのおうようさがまったくなくなり、デジタル的な解釈しか出来なくなっている。すごく住みにくく、言葉のだすのにもすごく慎重でなければならなくなった。
量子力学の学者・シュレディンガーの言葉を思い起こしてみたい。毒ガスの出る箱に閉じ込められた猫は死んでいるか?生きているか?を問われて、生きてもいるし死んでもいるとこたえたのであるが、物理学者がどちらともつかない言葉を出したこと自体が驚きである。
物事は白か黒か?ではなく、白でもあり黒でもある、それは灰色とものではないという分野があっても良いし、無ければこの世の動きや人間心理なんて説明できはしない。北海道・ススキノの殺人事件であっても加害者も被害者も、どちらも加害者であり被害者なのである。
修容疑者と警察側はこの暑さの中で、知能戦を繰り広げているに違いない。修容疑者は娘が殺人容疑で逮捕されたとしても彼女が精神障がい者である、つまり心神耗弱者であることを理由に不起訴になり、刑を免れることを想定しており、娘も自分が多重人格であり、ちがう人格が行為に走らせたと言っているのである。逮捕後のストーリーをあらかじめ組み立てていたのであろう。修容疑者が殺人の共謀共同正犯として刑を受けたとしても初犯であり、直接手を下していないから執行猶予になるであろう。そして、事件が世間からさめ始めた頃に出所し、社会復帰をすることも考えているるに違いない。
でもなぜ、首を切り落とし、自宅の浴室に保管するkとになったのであろうか?
娘が被害者に襲われ、動画にとられたことが情報の中に混じっているが、娘のプライバシーがからんで事実は伏せられている。
被害者は憎しみではなく、口封じのために殺されたのではないか?世間に絶対知られてはいけないことを娘の口から知り、修容疑者はそれを封じるために殺人を意図したのではないか?
被害者は女装趣味があって、化粧や服装も女装していたというが、これは女装が趣味だというのではない。異性の下着や服を身に付けることで相手とセックスをし、相手と一つになる快感を得ているのである。。女性にもその趣味はある。
それに娘は被害者から襲われたと言っているが、逆に好意ももっていたにちがいない。だから、ホテルに行き、殺し、殺すことで自分の物にした。そして、三週間近くも浴室に置いて、同居したのにちがいない。この事件をいろんな角度から想像してみると、まさに事実は小説より奇なり、で想像力を膨らませてくれる。
札幌のラブホテルで、男が首を切り落とされて殺された事件を興味深くみているが、興味がつきない。同時に自分がホラー小説を書き上げ、完成まじかになっていることも創作意欲を刺激している。この暑い夏の日々にぞーっとするようなスリルを与えてくれる事件であり、人間と同時に自分の深層心理をも解剖してもらっている。
父、母、娘の共謀しての事件だとわかってきたが、まだまだ謎は多く残っている。首を切り落とした娘は殺された男と深い関係にあった。一緒になりたかったが相手には妻子がおり、それが出来ない。やむなく衝動的に男を殺してその顔を自宅に保管し、同棲を始めるつもりであったに違いない。殺された男の所持品、衣類は取り上げていたので身元がわからないはずだと考えていたが、殺された家族が警察に捜査願を出し、身元不明の死体と照合しあったのであろう。クーラーボックスが女の家の玄関に何個も置かれているのはなぜか?それはオトコの顔が腐っていくので骸骨になるまで入れかえるつもりであったのか?だが、それなら冷蔵庫に入れた方がよかったのではないか?などとそんな事を考えた。
これは死体愛好というより、フェティシズムである。ヒッチコックの(サイコ)には母親をミイラにして、会話を交える息子が登場するし、日本の阿部定事件では男性器を切り取って持っていた女が登場し、これは実際にあった事件なのである。
フェティシズムは珍しいものではないか、男の顔を家に置いていっしょに生活する、そこまでする女はめったにいない。
さて、自分の小説は夫婦仲の破綻した生活を題材にしているが、この事件にヒントを得て、夫が洗濯機を開いて妻の下着に興味を寄せる場面を登場させてはどうか?下着趣味は男だけではなく、女にも平等にあるのである。
心だけではなく、物質の引力をテーマにしたいのである。