ブログ - 20151219のエントリ
政治世界、民間会社などの各種団体は仲間を増やそうとする反面、同類の集団に対しては排他性を持っている。会社を退職して以来、障害者の会、英会話教室、カラオケ会、パソコン教室などに通っているが、そこでの経験・見聞を通してよくわかる。昨日のカラオケ教室での会話の中でこんなのがあった。町内には十以上のカラオケ教室があり、わたしの属するP会は来年の一月に発表会を開くことになっている。他の教室にも参加して歌うように声をかけ募集をしていて、150人もの参加者が申し込んでいるが、中には生徒は参加したいのだが先生同士の関係がうまくいってないから参加できない、という現象が起こっている。女の世界であるから、先生がピンクのドレスを着て出場したからあわてて違う色のドレスに着替えたとか男にはわからない感覚がある。つまり上下関係を意識しているのである。カラオケ会も他の集団と似た封建制が残っていて、指導の仕方ににしても、この歌は(裏から入りなさい。この歌は表から入りなさい)などと一般人にはわからない秘儀を持っていて、(あの歌手の歌い方を盗みなさい)などと、家元制度に近い習慣が残り、世襲制さえないものの生け花や茶道、日本舞踊などの世界に近い体質である。そのことが(相撲)に似ていて、日本の伝統文化を抱いているが、世界に広がらない要因でもある。相撲界には多くの外人力士が登場し、開かれているように見えるが、一つの相撲部屋には一人の外国人しか入れない、女人禁制である、部屋同士のスカウトは出来ないなど古い体質を持っていて、この伝統をこのまま守っていけば無形文化財に近いものになるかもしれない。歌舞伎の世界もそうである。排他性は逆に希少性を生むことでもある。
集団には必ず、ボスがいて、彼が最大派閥を持っている。彼の気にいられなければ新参者は排他的攻撃を受け、追い出されることになる。