ブログ - 201512のエントリ

ウイルスの知性。

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日記
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nakamura 2015-12-27 21:19

 毎年、インフルエンザが流行りますが、今年の冬はどうでしょうか?そんなこと聞いたってわかりはしないのですが、インフルエンザ・ウイルスの方ではきちんと計画を立てているのです。昨年は・・型インフルエンザを流行らせ、人体の細胞に住みついてどれだけの仲間を増やせたか?どれだけの仲間が犠牲になったか?人間の医者たちは今年はどんな菌を使って予防接種をしているか?など、一寸の虫にも五分の魂、なのです。一寸の虫よりはるかに小さいウイルスが頭をひねくり回しながら考えて対抗策を練っているのです。かれらは自身では増殖能力がないので他の細胞に寄生して生きるしかないのです。ウイルスにもたくさんの種類があり、個性を持っています。口唇ヘルペスなどは日頃は人体の皮膚の奥底に潜んでいるのですが、人体の抵抗力が弱まった時には皮膚に現われ出、細胞を犯して増えていきます。エイズは熱には弱いのですがほとんどの人類は免疫力を持たず、感染します。癌は通常細胞が変身して出来、増えていきます。前立腺炎は菌の特定が出来ず、そのためか精神的な原因だとも言われています。淋病や梅毒は感染力は強いのですが抗生物質にすぐにやられてしまいます。その中でインフルエンザ・ウイルスは毎年、型を変え武装して襲ってきます。人間の知性との闘いを挑んでくるのです。裸眼では見えないほどの菌が数十万倍も大きな人間に向かってくるのです。

 ウイルスは自己増殖能力がないので生命と非生命の中間に存在していますが、DNAも持っています。分子だという説もあります。つまり、物質に近いのです。

 物質が知性をもっているのです。知性とは原子核の周りを電子が回る運動ではないのでしょうか?だから、人が死に焼かれて灰になってもその元素に魂が残っている、植物に吸収されそれを人が食べて魂を吸い込む。それを繰り返し循環していく。(輪廻転生)とは科学的にも証明出来るはずです。

サトイモのサラダは美味しい。

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日記
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nakamura 2015-12-26 15:26

 わたしの畑にはサトイモがたくさん伸びて、三畝ほども埋めています。小指ほどの子イモが多く、産直店に出しても売れません。考えました。サトイモのサラダです。皮を剥くのが大変なので、鍋に水を入れて全部湯がきます。柔らかくなったら指で皮を剥きます。意外と剥きやすいです。ボウルの中に入れてすりこぎ棒でこねます。トマトケチャップかマヨネーズを入れて掻き混ぜます。キュウリを細かく輪切りにして塩でもみ、二十分くらい漬けておき、水洗いして絞ります。それを中に入れて掻き混ぜ、ハムかチリメン雑魚をいれて混ぜます。最近、わたしはトマトケチャップとチリメン入りのが好きになりました。

 どんな材料でも作ってみると楽しいものです。今は大根のベッタラ漬けに挑戦しています。

国がやれば合法、民間がやれば犯罪。

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日記
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nakamura 2015-12-26 9:24

 二人の相場師が株価操縦の疑いで書類送検された。ある銘柄の空売りが増えたので、買戻しのために買われ、値上がりするという虚偽情報を流し、数十億円の利益を得た疑いであった。今年も政府が年金運用を株式投資に回すようにした。その結果日経平均は二万円まで上昇した。これは株価操縦である。四、五年前には運用に失敗し、年金預金が減り、国民の受け取り分が減った。政府は誰も責任はとらず、それどころか株価操縦で逮捕されることはなく、懐はまったく痛まない。来年、国民に三万円を支給するとか消費税の食料費を一部あげないとか言っている。来年の選挙を前にして票獲得の対策を練っている。買収行為であるが、マスコミも追及しない。国が他国の民間人も含めて軍事攻撃しても殺人・器物損壊罪にはならない。アメリカではCIA要員が敵を殺しても殺人罪にはならない。日本では水俣病、ハンセン病患者虐待、東北大震災、辺野古移転など数え切れないほどの(未必の故意)的な犯罪を起こしても、担当者の職員さえ罰せられない。

 これが民主主義である。

ロボットの友達が出来る日。

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日記
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nakamura 2015-12-23 5:34

 カラオケ教室が始まる前にカラオケ・ボックスに行く。一人で歌い、練習するのが楽しく、時間がたつのを忘れてしまう。一人カラオケ、と言われてけっこう流行ってるみたいである。タブレットに採点項目を入力して、自分の歌の採点をしてもらうと驚くべき内容が出てくる。コブシが何回入ったとか、ビブラートの調子、リズムがあってるかとか、メロディに合ってるかとか、音階に合ってるかとかなどの判定表は機械で判断出来るとしても、色っぽい歌い方ですね、とか、どっしりとした歌い方ですね、などという全体的な分析レポートが出ると、機械のくせにどのようにして、そんな印象を感じ取るのか首をかしげてしまう。まるで人間並みの感性ではないか?でも、カラオケ教室で先生が親切に指導してくれるのに近い満足感を得て、何回でも通いたくなる。機械が注意してくれる内容はカラオケ教室で先生や生徒達が指摘するのと同じなのであるし、主観が入っていないので逆に信用度が高くなる。

 わたしの知人に統合失調症のため、15年も授産施設に入っている人がいる。発病期から計算すると30年にもなる。夕方、時々わたしを訪ねてきたり、車に乗せてご食事をしに行ったりする。すると、施設からわたしの携帯電話に電話がかかってくる。本人が連絡をしないまま外出してるから心配してる、というのである。本人は連絡するのを忘れてたと言う。そんな病気のためか運転免許の更新はせずに失効になり、ケイタイの電話料金は溜め込んで再契約は出来なくなり、日常生活が出来ない。このままだと死ぬまで施設の個室に入ってることになるであろう。心臓の鼓動を調節するペース・メーカーというのがあり、この機械のお陰で健康になって長生きしてる人は多い。(マインド・メーカー)という機械が出来るにちがいない。カーナビみたいに動きを指示してくれて、外出願いを出しましたか?朝の薬を飲んでいませんよ、お酒は飲んではいけませんよ、今日は良い天気ですね、外出願いを出して池の周りを散歩してみませんか?など、友達がいつもそばにいて声をかけ、見守ってくれるのである。

 わたしもこんな友達または彼女が欲しい。今日の夕ご飯のおかずは何にしようか?と訪ねると、しばらく海老の掻き揚げを食べてないわね、それにしようよ、などの話が出来るとすごく楽しくなるにちがいない。

集団が持つ排他性。

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日記
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nakamura 2015-12-19 5:45

 政治世界、民間会社などの各種団体は仲間を増やそうとする反面、同類の集団に対しては排他性を持っている。会社を退職して以来、障害者の会、英会話教室、カラオケ会、パソコン教室などに通っているが、そこでの経験・見聞を通してよくわかる。昨日のカラオケ教室での会話の中でこんなのがあった。町内には十以上のカラオケ教室があり、わたしの属するP会は来年の一月に発表会を開くことになっている。他の教室にも参加して歌うように声をかけ募集をしていて、150人もの参加者が申し込んでいるが、中には生徒は参加したいのだが先生同士の関係がうまくいってないから参加できない、という現象が起こっている。女の世界であるから、先生がピンクのドレスを着て出場したからあわてて違う色のドレスに着替えたとか男にはわからない感覚がある。つまり上下関係を意識しているのである。カラオケ会も他の集団と似た封建制が残っていて、指導の仕方ににしても、この歌は(裏から入りなさい。この歌は表から入りなさい)などと一般人にはわからない秘儀を持っていて、(あの歌手の歌い方を盗みなさい)などと、家元制度に近い習慣が残り、世襲制さえないものの生け花や茶道、日本舞踊などの世界に近い体質である。そのことが(相撲)に似ていて、日本の伝統文化を抱いているが、世界に広がらない要因でもある。相撲界には多くの外人力士が登場し、開かれているように見えるが、一つの相撲部屋には一人の外国人しか入れない、女人禁制である、部屋同士のスカウトは出来ないなど古い体質を持っていて、この伝統をこのまま守っていけば無形文化財に近いものになるかもしれない。歌舞伎の世界もそうである。排他性は逆に希少性を生むことでもある。

 集団には必ず、ボスがいて、彼が最大派閥を持っている。彼の気にいられなければ新参者は排他的攻撃を受け、追い出されることになる。

 

クリスマス会。

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日記
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nakamura 2015-12-14 11:54

 部屋の中は暖かかった。天井からは桃色、銀色、金色、緑、青色のツリーが垂れ、舞台の上に伸びていた。舞台の上の壁にはサンタクロースをくりぬいた絵が貼られ、彼は白い袋を担いでいた。プレゼントが詰まっているのだった。星が金色と形をなして、参加者たちの頭上に降りていた。

 彼らはテーブルの上に置かれた菓子を食べ、お茶を飲んでいた。周りの仲間たちとおしゃべりをし、仲間たちを見回し、頭を下げたりしていた。障害者のクリスマス会の催しであった。

 小さな舞台に二人の老婦人が笑顔で立っていた。一人が話しをし、もう一人が紙芝居の絵をめくり、芝居が始まった。

 「このコートはとても暖かくて、体を温めてくれます」

 老婦人の一人が言い、赤いコートの絵が出てきた。それは参加者たちの方に向いていて、きちんと畳まれ、襟が少し開いていた。

 「ところが何年も使ってるうちに擦り切れてしまいました。さて、どうしたら良いのでしょうか?」

 彼女は四十人ほどの参加者たちを見て言ったが、誰も答えることが出来なかった。参加者たちには町長、町会議員、町役場の職員、福祉団体の関係者がいた。

 「切ったり縫ったりして、ジャケットに変えたのです」

 赤いジャケットの絵が出されました。

 「ところが何年も使ってるうちにまた擦り切れてしまいました。さて、どうしたら良いのでしょうか?」

 彼女の向けた顔に皆考えたが、答えは出なかった。

 「チョッキにしたのです」

 チョッキの絵が出ました。

 「チョッキも擦り切れたしまいました。さて、どうしたら良いのでしょうか?」

 首をかしげたり、笑ったりしながら、誰も答えられなかった。

 一人の若い男は顔を天井に向けて笑い、違う世界にいました。一人の若い女は子供じみた笑いを浮かべて、白い歯を見せていて、話の内容がわかってるかどうかわからない感じでした。歌うためのマイクを握らされたのですが、スイッチを入れることも知らず握ったままでした。

 わたしはマフラーに仕立て直したのではないかと考えていました。

 「帽子にしたのです」

 赤い帽子の絵が出ました。

 なるほど、とわたしは思いました。

 「帽子も擦り切れてしまいました。さて、どうしたら良いのでしょうか?」

 誰も答えられません。

 「蝶ネクタイにしたのです」

 蝶ネクタイの絵が出ました。

 「蝶ネクタイもぼろぼろに擦り切れました。さて、どうしたのでしょう?」

 ここでわたしはまったく予想が出来なくなったのです。

 老婦人はしばらく黙った後に言いました。

 「このお話を作ったのです」

 意味のある沈黙にみんな満足しました。

(人間失格)で知る人間業。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-12-12 4:31

 太宰治の小説(人間失格)を読んだ。彼の遺稿・遺書でもあるこの作品は高校時代に読み、わたしには人間の生き方というのがわかりません、という個所や、主人公の道化を白痴男に指摘された箇所に強い印象を受けていた。主人公のアルコール中毒、女との三度のわたる心中、結婚していながら女房の着物を質草にしてまで酒を飲む、妾を持つといった放蕩・無頼・ニヒリズムがわたしの父親に似ていて、わたしの父に見る様な強烈な印象を残した作家であった。東大を出、名家に生まれ、酒を飲み、タバコを吸う、女の方から寄って来て心中までしてくれる、そんな恵まれすぎた男が何を悲観し、自殺までしたのか?今のわたしには全く理解出来ないが、彼は純粋過ぎた男なのだ。共産主義活動をして、名家に生まれたことが恥となり、東大という権威のシンボルの大学が恥になり、戦争で多くの同輩が死ぬ中で兵役検査で不合格になったことを恥じ、女がウジウジ寄って来ることを恥じた。その時代に生まれてくる男ではなかった。

 わたしも言われたー今の時代に産まれてくる男ではなかった、と。

 余命を控えた今にこの作品を図書館から借りて読もうとしたわたしは太宰治に近い心境であった。持っている株は下がり、貯えも減るばかり、歳はとっていく、親しい者たちも去っていく、四拍子揃った不幸は(遺書)という方向へ進ませていた。太宰治の作品は世界的に読まれ、読者はまるで自分のことを書かれているような共感を得た、と、あとがきに奥野健男さんが書いているがまさにそのとおりである。常識人たちが言えない真実をこの作家は精神病院に入れられるという屈辱を最後にして、書き上げ、三度も失敗していた女との心中を成功し終えた。なんとも凄い、の一言でしかない。

 ここまで自己を追求した小説家はいない、と考えたが、居た。三島由紀夫氏である。彼は太宰治に近親憎悪を覚えながら、森田必勝と心中をしたのである。切腹しながら、森田に首をはねさせたのだ。

 わたしが書くとしたら、(人間業)というタイトルになるかもしれない。わたしがこのブログで書いてきたことは自分の人生の十分の一くらいでしかない。モデルが生きている限り、絶対に書けないものがある。人間失格、以上にすさまじい体験であるが。

人間業の終わりの時。

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執筆 : 
nakamura 2015-12-9 20:26

 毎週通っている・・教室の先生から、彼女の母親が亡くなったという電話があり、すっかり消沈した口調であった。・・仲間の一人から、今朝、電話が入り、お通夜が今日あるけど、あなたは入会して間もないから無理して参加しなくても良いけど、と親切な言葉をもらい、結局参加しなかった。

 わたしの母親が亡くなった時は家族葬であった。わたしは参加者へお礼の言葉を述べながら、泣き出してしまった。だから、先生の気持はじゅうぶんわかるのであるが、いつまでも悲しみの儀式を繰り返すのもどうかな?と考えた。人間業(にんげんぎょう・にんげんごう)とのお別れの日が来る、喜びの日であってもいいのではないか?わたしは自分のの葬式なんて要らないと考えているが、もしやるとしたら、カラオケ発表会みたいに皆で歌って、酒を飲んで祝って欲しい、と思う。

日本人は冷たい。

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執筆 : 
nakamura 2015-12-9 20:11

  今日は福岡教育大学の公開講座・日本事情Bに参加して、意欲がわいた。来年一月に発表会があり、それに向けての自由討議であり、参加・不参加が自由だったので、参加した学生は積極的なタイプが多かった。

 ある韓国人男子留学生の言葉がわたしの気持に通じた。日本人は人前では笑顔を見せるが、場所が変わると、そっけなくなるなることが多い、という彼の言葉であった。わたしは変わり者であり、会社勤めの頃に、外国人みたいだとか、今の時代に産まれてくる人ではなかった、などと言われ、わたしはその言葉に同意していたが、日本人でありながら異国に住んでるような気分を覚え、韓国人留学生が言った言葉のように日本人に不審感を抱いていたし、今も抱いている。二十年も毎年年賀状をくれる男達がいて、こんど会ってゆっくり話したい、と手紙を出すと、会うのをしぶる内容が二人から来たり、会合で話を交えた者に偶然出会ったので、今日は!声をかけるとそっぽをむかれたことがあり、嫌われたのか?と考えたりしたこともあったが、韓国人留学生が感じたように、それは日本人の内面と外面であったのだ。

 だが、日本人の曖昧さ・無視精神が、国内で内乱を起こさなかったり、外国との戦争に発展しなかった原因でもあって、それはある意味で(日本事情)である、と彼に話した。島国であり、一民族であり、一宗教であり、一言語であるという世界にも稀な特殊性を持っているとも話し、韓国が置かれた地政学的な違いを説明した。

 彼がそれを理解したかどうかわからないが、独居老人、孤独死、若者の自殺の多さなどを振り返ってみると、この国はメディアやネットの発達のわりには孤独な国民が多く、それがネットの交流、イベント、お祭りを盛んにしているのである。

死なない人生。

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日記
執筆 : 
nakamura 2015-12-5 13:10

 先日、英会話教室に行った時、八十歳ちかい女生徒が次のようにしゃべっていた。「お父さんは病院を出たり入ったりで先は短いけど、わたしは医者に診てもらったら心臓は三十歳の若さだって。どうしようかしら?長生きして」と悩むふうであった。「毎日、一時間の散歩をしてるかしら?」と付け加えた。

 わたしは自分の心臓が弱ってることを知ってるので羨ましさと同時に彼女の心境も十分にわかった。一ヶ月ほど前のニュースで、頭の交換をする手術の実験が始まった、と伝えていた。首から上をすげ替えるわけだが、臓器移植が可能になった今、認知症のひどくなった者が脳を変えるることで正常に戻ることなどさまざまな効果が期待できる。寿命が百年も二百年も伸び、最終的には死なない人間が現れることが考えられる。ペース・メーカーは心臓の鼓動を規則的にする機械であるが、患者の体に埋め込まれていて、バッテリーは十年以上もち、患者を元気にしている。

 鍋をガスの火にかけて忘れたり、鍵をどこに置いたか忘れたり、大事な用件を忘れたりする場合、携帯電話から、ガスの火が付けっぱなしですよ、とか、鍵は助手席のシートのしたですよ、とか今日は旅行に行く日ですよ、などとペース・メーカーみたいに指示するシステムが出来ると思う。怒った場合などそれを抑制する機械だって想像出来る。

 死なない人生を選ぶか、拒否するか、申請するようになるかもしれない。

 

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