ブログ - 20151209のエントリ

人間業の終わりの時。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-12-9 20:26

 毎週通っている・・教室の先生から、彼女の母親が亡くなったという電話があり、すっかり消沈した口調であった。・・仲間の一人から、今朝、電話が入り、お通夜が今日あるけど、あなたは入会して間もないから無理して参加しなくても良いけど、と親切な言葉をもらい、結局参加しなかった。

 わたしの母親が亡くなった時は家族葬であった。わたしは参加者へお礼の言葉を述べながら、泣き出してしまった。だから、先生の気持はじゅうぶんわかるのであるが、いつまでも悲しみの儀式を繰り返すのもどうかな?と考えた。人間業(にんげんぎょう・にんげんごう)とのお別れの日が来る、喜びの日であってもいいのではないか?わたしは自分のの葬式なんて要らないと考えているが、もしやるとしたら、カラオケ発表会みたいに皆で歌って、酒を飲んで祝って欲しい、と思う。

日本人は冷たい。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2015-12-9 20:11

  今日は福岡教育大学の公開講座・日本事情Bに参加して、意欲がわいた。来年一月に発表会があり、それに向けての自由討議であり、参加・不参加が自由だったので、参加した学生は積極的なタイプが多かった。

 ある韓国人男子留学生の言葉がわたしの気持に通じた。日本人は人前では笑顔を見せるが、場所が変わると、そっけなくなるなることが多い、という彼の言葉であった。わたしは変わり者であり、会社勤めの頃に、外国人みたいだとか、今の時代に産まれてくる人ではなかった、などと言われ、わたしはその言葉に同意していたが、日本人でありながら異国に住んでるような気分を覚え、韓国人留学生が言った言葉のように日本人に不審感を抱いていたし、今も抱いている。二十年も毎年年賀状をくれる男達がいて、こんど会ってゆっくり話したい、と手紙を出すと、会うのをしぶる内容が二人から来たり、会合で話を交えた者に偶然出会ったので、今日は!声をかけるとそっぽをむかれたことがあり、嫌われたのか?と考えたりしたこともあったが、韓国人留学生が感じたように、それは日本人の内面と外面であったのだ。

 だが、日本人の曖昧さ・無視精神が、国内で内乱を起こさなかったり、外国との戦争に発展しなかった原因でもあって、それはある意味で(日本事情)である、と彼に話した。島国であり、一民族であり、一宗教であり、一言語であるという世界にも稀な特殊性を持っているとも話し、韓国が置かれた地政学的な違いを説明した。

 彼がそれを理解したかどうかわからないが、独居老人、孤独死、若者の自殺の多さなどを振り返ってみると、この国はメディアやネットの発達のわりには孤独な国民が多く、それがネットの交流、イベント、お祭りを盛んにしているのである。

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