ブログ - 201309のエントリ

腐葉土の手触りは大地の肌

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-9-8 23:18

 庭の地面に、100枚ちかい畳が置いてありました。亡くなった母が雑草が伸びるのを防ぐためにそんなことをしたのですが、井草が腐って強い糸が何本もむき出し、歩く足に絡まったり草刈り機の歯に絡まったりしてすごくじゃまになっていました。8月いっぱいかけてすべて処分しました。クワで掘り出してビニールの糸をひっぱりだし、腐っていないハッポウスチロール製の畳はワゴン車の中に入れて焼却場に運びました。畑の土が舞い上がり、汗まみれになって気分が悪くなりましたが、やり終えてほっとしていました。

 畑のレイアウトをどうするか考えましたが、今まで作っていた畑はニラとサトイモだけを残し、あとは休ませることにしました。畳を取り去った跡地を耕し、そこを自然農法でやってみることみしました。地面を掘ってみると、畳の上にたくさんの枯葉がのって残り、あとは分解して腐葉土になっていました。カリフラワー、イチゴ、キャベツの苗を5本ずつ買ってきました。その畑に穴を掘り、苗を入れ、腐葉土で埋めていきました。枯葉が鳥の羽のようにやわらかく、子供を羽根布団の中に入れてやるような気分になって、すごく幸福でした。(お布団の中でゆっくり休むのよ。これからは店頭に出されてるばかりでなく、おじさんが育ててあげるからね)と心の中でつぶやき、赤ん坊を抱いている時の気持ちになっていました。中には細い茎が切れそうに弱っているのもありましたが、(がんばれよ!)と声をかけてあげました。ジョロに水を入れて、一本ずつの根に水をかけてあげました。暑気が去り、秋晴れの空にはウロコ雲が伸び、うっとりするような気候でした。

 苗はあの産室の中で育っていくだろう。

 だけどあの腐葉土の手触りはなんという心地よさだろうか?人類がアメーバだった頃、泥海の中で育った記憶にちがいなく、それを自分のDNAが思い出してるにちがいない。

 土葬で埋葬去をされていた頃、死体はあの腐葉土の心地よい夢を見ながら土に還っていったにちがいないと考え、感慨にふけりました。

藤圭子の自殺

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-9-3 7:58

 二日前、藤圭子が東京のマンションから飛び降り、自殺した。

 若くして絶頂をきわめた者の不幸をそこに、わたしは感じた。天才的な芸術家や芸能人は若くして才能を開花させてしまい、後はその花が散るのを待つしかない。(散る桜、残る桜も散る桜)の名スピーチを残し、送別会で仲間の心を打ち、その夜に亡くなった定年退職者が会社にいた。翌日に訃報が会社からファックスで流れてきた。心筋梗塞で亡くなったということだった。驚いていると次の日に本人からのお礼の葉書が家についた。送別会に出ていただいてありがとうございます。退職後もお付き合いのほどよろしくお願いします、という内容だった。時間のずれだったのだが、またおどろいた。

 こんなショックを彼女の死にわたしは覚え、(夢は夜開く)の歌がわたしの脳裏に流れるのだった。(15、16、17と私の人生辛かった)の言葉がわたしの青春に鳥肌を立て、今でも胸を痛める。

 (一から十までバカでした)これはまったくわたしの人生であり、現在もそうなのです。

(赤く咲くのはケシの花 白く咲くのはユリの花 どう咲きゃいいのさこのわたし)としんみり陰にこもって歌い、あの自殺がその咲き方だったのかと短絡させるとあまりにも辛い。

 絶頂を極めることは最高の幸福であるが、同時にそのレベルにひとしい不幸と重なり合っている。

 66才になって絶頂をきわめるどころか、ただ生きながらえているわたしにはすでに(どう咲きゃ良いのさこのわたし)などという言葉はないし、いつまでも夢を見ていればいいし、見る楽しみが残されているわけである。消化そして昇華しきれなかった青春がいつまでもあるのだ(笑い)。

自然界に汚れはない

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-9-2 11:30

 まさに、自然界に汚いものや汚れたものはないし、それは人間に植え付けられた一般常識というフィルターが感じ見ているにすぎません。それがなければ美しいとか汚いとかの感覚は存在しないのでしょう。たしかに自然界においてもきれいな花にはたくさんの蝶が寄って来て受粉をしてくれるでしょうが、他方、腐れた死骸や糞や葉っぱにはウジムシや団子虫、糞ころがしなどが集まって食べ生存の糧にしています。また分解して土中に返しています。自然界においては美と醜・汚の価値は等しいのになぜ人間界はちがうのでしょうか?地球上においては人間だけがキレイキレイを求め、求めるだけではなく自然を破壊していっています。

 東北大震災における福島原発事故は考えるたびに、その恐さがまざまざとよみがえってきます。当分、放射能は処理も分解も出来ないばかりでなく、発生をとめることも出来ないし、処理や発生を停めるには数百年もかかるということです。

 わたしたちの生活は(悪魔が産んだ天使の生活)なのです。

 資本主義は発展という冠をかぶった破滅教にすぎず、わたしたちの生活は利便性と快楽に酔った地獄への旅なのです。

 今の生活の価値観を考え直し、新しい価値観を育てていくべきです。

元素は物質になって安定する

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2013-9-1 2:37

 わたしの高校は進学校でしたが、大学進学の詰め込み教育の場でしかありませんでした。教員達は信念のない受験マシーンばかりで、若者の胸を打つような者は一人もいませんでした。これでは連中を税金で食わすよりは生徒達をラジオかテレビで受験勉強させたほうがましです。その分、節税効果が出るでしょうし、学校は私立校ばかりにして個性と方針を持たせ本当の教育をさせるべきです。今もまだ古い教育体制が残っていることにおどろくばかりです。文部科学省の役人どもは受験産業界とグルになって若者達の青春を食い物にし、名門校信仰の信者の増産体制を維持しています。新聞社も有名人を紙面で紹介する時にはかならず学歴を披露し、文部科学省・受験業界と利権を漁っています。

 わたしは高校時代は化学と物理が苦手で、赤点をとりました。追試でなんとか合格しました。

 こんな事情で、物理化学にたいしても学校生活にたいしても良い思い出はありませんが、今の歳になって世の中を観察すると物理化学の理論が思い出されて面白くなる時があるし、そんなものの見方で授業をやってくれたら少しは面白かったはずです。

 元素は一つの状態にあると非常に不安定で不安定な動きをしますが、人間もそれと同じで孤独な状態にあると不安定で危険な行動に走りがちです。友達、恋人、家族を持ち、社会の中に組み込まれて初めて安定します。逆に孤独である時に希少な精神を発達させ、すごいことをする場合もあります。どちらがいいかはその人の個性にあります。

 HとOは結合し、水になって安定します。

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