ブログ - 最新エントリー

干乾びし老婆の声音耳の奥

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-3-20 18:12

  250件ほどの家に、二年間ほど弁当配達してきたが、来月から受け持ち地域が変わることになった。自炊のできない高齢の孤老の家を一時間半ほどので回り、自分は運転はせずに、配達だけをしてきたが、思い出は残った。

 大声で、弁当です!弁当をもって来ました!と玄関で叫んでもすぐに返事が返ってくることはない。ほとんどの老人たちは耳が遠かったり、テレビのスポーツに夢中になっていたり、近所の家に遊びに行っていたりしている。そうかと思うと、オベントウデスネ?、チョットオマチクダサイ、と間の抜けた声を出し財布を探し始め、手提げ袋の中をよたよたと手を回す。見つかるまで寒い外で立って待たなければならない。または返事はするが歩けないために床を這って来るお婆さんもいた。どうしたんですか?たいへんですね、とはいうが長話をする時間はない。色っぽいお婆さんには花の球根ややったりしたが、次の週に行くともらったことをすっかり忘れている。

 返事がなければ安否確認のために家に上がり込み、家じゅうを探したこともあった。倒れていて、警察を呼んだこともあるらしい。自分の生活に戻って草むしりをしていても、あの声が聞こえてくることがある。丁寧なお婆さんで、自分が帰る時には門扉のそばまで見送りに来て、ありがとうございました、気を付けてお帰り下さいね、と深々と頭を下げるのである。

 今にも消えそうな干からびた声が、あの世から自分を呼ぶように聞こえてくる。もしかするとあの世で会えるかもしれないが、忘れられない声である。

生きてりゃイイことがある

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-3-15 7:49

  自殺者が増えているというニュースがよく出ている。特に、若者や子供が多くなっていて、気が重くなる。自分の若い頃、自殺しかけたことがあったので余計に気が重くなる。六十年まえ、家出し、箱根の山を彷徨した。別荘に勝手に入り込み、トイレで寝たりしながら死に場所を求めた。大学入試に落ち、父母はいつも口論ばかり、ドモリは治らないし、就職できるかも不安であった。どうしたらいいのかわからない。睡眠薬とウイスキーを飲み、トイレの鴨居にロープをかけて首を中に入れた。ところがいつまでたっても眠気は来ず、酔いはしなかった。

 仕方なく家に帰ったが、受験勉強をする気持ち人もなれず、家にこもったままぼんやりと過ごした。小説を読みながら人間に生き方を探した。太宰治の小説などは特に感動し、彼が二度も自殺を図り、三度目に成功したことも知った。それから自分はボロ大学に入り、卒業したかどうかもわからないまま、肉体労働をしながら金を溜め、結局何をやってもダメなまま帰郷し、NHKの集金をしながら稼ぎ、結婚したのであった。

 あの時死んでいればどうなったか?大食い、大酒、女狂いはできなかったであろう。それらは心筋梗塞を起こし、死にかける羽目に陥らせたが、あれだけの快楽は味わえなかったであろうし、文学に目覚め、神を知ることもなかったであろう。

 自殺を考えてる人に言いたい。その絶望的な状態はいつまでも続きはしないのです。必ず、変化がおきます。それを信じて、生きてください。七十五年間、人間業をつづけた私の言うことです。

 

可愛いから殴る

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-3-8 8:05

  この出来事は五十年間、悪夢となってよみがえり、夢に出て来たのである。

 「てめえら、チンタラチンタラしやがって先輩に対する態度がなっとらん!」その言葉が発せられると、ベランダに整列させられた13人ほどの新入生のみぞおちは、一人14発ほど、鉄拳で叩かれえていった。うめき声が連なり自分に近づく時の恐怖は殺されるほどの恐怖であった。空手の練習で体の筋肉を鍛えられていても、みぞおちだけは筋肉がなく鍛えようがなかったのである。

 そのシゴキは毎週行われ、自分は失神して倒れたが、それでも行事のように続けられた。五十年前の当時は多くの体育会で行われ、ワンダーホーゲル部で死者が出たり、左翼の政治運動でリンチ殺人がおこったりすることは日常茶事であった。

 今の人でその時代をおぼえている者は少なくなり、歴史からは消えていくであろうが、自分は忘れはしない。大学名と加害者をここで出すことはまだ控えるがいつかは出すつもりである。

 今の時代のニュースはほとんど毎日、暴力事件、レイプ事件に占められているが、暴力に対する深い追及はあまりされておらず、同じことの繰り返しである。

 ここで問題にしたいのは、可愛いから殴る、と言うことである。子供を持った親であればわかるはずだが、子供は子供の世界があって、親の言うことを聞かない。毎週毎週高校に遅刻して、車で送ってくれと言う息子をいい加減にしろ!学校が厭ならやめろ!といって叩くことは暴力なのであろうか?

 言葉でいくら言っても聞かない出来事を叩くことで目覚めさせようとする行為である。難いからではない。そんなことでは社会に出ても飯が食えないぞ!という警告なのでqる。

 

 

  この言葉は、太宰治の小説の中に出てくるのであるが、自分の遺言でもあることがわかった。

 昨日は人材センターで仕事の話し合いがあったので参加した。弁当配りの仕事をしているのだが、コロナの感染が問題になり、仕事のやり方が変わるという。来月からはお客さんに直接手渡すのではなく、指定された場所に置き、代金は振り込んでもらうようにするという。それは良いことであるが、何か意見はないですか?の言葉に自分は発言した。仕事中に事故が起こった場合の責任についてであった。対人・対物も含めて運転者が金を払うと従来から言っているがそれでは怖くて仕事ができない!私たちは週に一度しか仕事をしていないが労働者ではないか!と言った。すると、いつものように請負であるから個人事業主である。と言う。それは労基署が言っているのか?あんたたちが都合のいいように勝手に言ってるんじゃないか?

 と、自分は十年前に労働組合活動をしていた気分になった。つぎに、安心して仕事ができる職場を作るのがあんたたちの仕事ではないか?会員を増やしたいんだろう?そしたらそうすべきであろう?

 そこで、横やりがはいるであろう、と予測していたら案の定、入った。自分の嫌いな男が、中村さん、みんな責任を持たされることをわかって働いているんだから、そんなに興奮していうもんじゃない!

 誰も黙っていた。

 それなら、おれはもうこのことについてしゃべらないと、口を閉ざした。

  前の会社で活動していた時もこうやって梯子を外されたのであった。

 それから、雪の降った日の仕事についての話し合いになった。狭い団地などは一車線の車道で急な坂道が多くて、ハンドルを握るのが怖いのである。雪の日は、配達を止めるか、町役場の車で回りその保険でカバーするか?など意見が出た。

 そんな時運転手の車で配達していて大事故が怒ったらどうするのか?三年前、選定作業を終えた会員がその団地の線路に車ごと落ちてすごい事故になったじゃないか!想像もできない額の請求があって、運転手の任意保険を使ったそうじゃないか!

 そんなことを話し合っているうちに一時間の時間がきて、終わった。

 帰宅して自分の意見が持ち上げられなかったことに失望し、やはり、以前と同じことの繰り返しであったrと思った。そして、こんな大事なことに人ごとのように聞いている日本人にも失望した。

 やはり、わたしは人間の生き方というのがわからないのですね。

 

よぼよぼと歩きて落ちるズボンかな

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-23 8:48

  大手スーパーのカート整理の仕事を三年間やってきたが、今年から売り上げが減ったということで、一週間に九日間やっていた日数を六日間に減らされた。生活が苦しくなる。昔であれば賃金カット、といって管理職を叩いたのであったが、他のシルバーの会員と同じように仕事があるだけでも感謝と言う気持ちになった。

 話は変わるが、近頃その店に変わったオトコが通ってくるようになった。いつも一人で、背筋はきちんと立っているが部屋着のままで、サンダルに素足である。髪は背中まで垂れ、白い顔で、まっすぐ前を向いて一人分の食料が入ったビニール袋を持って人を待っているような気配である。この前は駐車場で両親の運転すると思われる乗用車に乗るのを見た。

 一昨日の事、彼がレジのそばに立っているのを見たが、驚いた。ズボンの股間部が濡れていたのである。尿漏れであろう。遠目にわかるほどびっしょりである。自分の肉親に精神病院に長年入り、尿漏れするからパンツを買って来てくれと頼んだ者がいるので、彼のことを思い出した。

 昨日、自分は部屋を出、郵便ポストを見に行こうとして下半身がおかしいことに気づいた。ズボンの紐がゆるみ、ズボンが落ちかけていたのである。

 笑った。

 情けないと思いながらもタイトルの句が思い浮かんだ。そうだ!俳句ではなく、廃句を作ってみよう!新分野が開けるかもしれない。ヨボヨボ爺さんの世界である。面白いことになるかもしれない。

小説の書き方

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-11 11:45

  (贖い)という題で三年前に書いたが、その作品に、また取り組んでいる。やっと小説の書き方がわかったように思った。これまで評価されなかったのは、何を書きたいかが読んだ者に伝わっていなかったからだとわかった。登場人物のキャラクターが現れていないという指摘があり、その原因もわかった。つまり、小説らしく仕上げようと意図していたことが障害になっていたのである。例えば中上健二さんの作品には、女のスカートからパンチィが見えた、という表現が時々出てくるが私に言わせればそくそんな下品な言葉が出るな?といぶかしく思っていた。逆に今では、土方一家の生活を描写するうえでは大事な表現なのであることがわかった。

 そんなわけで今度の作品は、歩き神、と言う題で、自由に言葉を表現しているつもりである。死ぬまでには公開できると思う。

負圧が魅力になる時

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-9 17:58

  十年前に、心臓のバイパス手術をしたせいで、毎月、病院に通って血液サラサラの薬をもらっている。一人の看護婦はこの町育ちで、あっけらかんとしていて、どこか面白い。ときどきふざけて私の肩を叩いたりするので、誘いの言葉をかけたことがあったが、まさか?冗談やろう?と軽くいなされてしまった。

 ところが先月、彼女から採血してもらい、血糖値と血液の濃淡を調べてもらう時、すごく雰囲気が変わっているのに気づき、どうしたん?と聞いたが答えず、顔を横に向けたままであった。毎日、寒いけ、気を付けないけんよ。脳梗塞やら心筋梗塞は怖いよ・・、と言いたげな気の配りようであったが、どこかしおらしくいじらしさを感じてしまった。これまで見せたことのない雰囲気であった。先月、診察が終わって、金を払う時、二十分近くも待たされたことに事務員にクレームを付けたことで彼女が気を使っているのかとも考えた。

 ニ三日たっても彼女のことが胸の中に残っていた。

 なぜ、そんな気持ちになったのか?もわからなかった。

 今、やっとわかるようになった。これまで何人かの女たちと、深い付き合いがあったが、三人ともその時、俗にいう不幸な状態であった。一人はわがままな被害妄想狂で誰からも嫌われ、行くところがなくなって、私の住むアパートに転がり込んできた。二週間ほどいっしょに生活した。そのアパートに子ずれの女が越して来た。離婚したばかりで夫は詐欺事件を起こして刑務所に入っているという。三歳の子は毎朝、目を覚ますと、寒いと言って泣くのであった。ストーブもエアコンもなかった。生活の面倒を看ているうちに夫婦の関係になってしまった。次は、東京生活をひきあげて、帰郷した年、身内の女が自殺をしに来て、私の住む家に住むことになった事であった。この出来事は今、小説に書いているが、三人の女と親しくなったのはすべて同情からであった。

日中相互不可侵条約を結ぶべきである

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-2-1 20:09

  メディアはその出来事を記事にするかしないかの自由を持っている。記事にすれば現実に起こった事であり、無視すれば起こらなかったことになるのである。取捨選択の権限を持っているのである。以前、メディアは第三の権力と言われたことがあるが、すでに第二あるいは第一の権力になってしまっている。この文章であってもわたしが主宰しているホームページであるからこうして記事になっているが、メディアの世界であれば没にされているであろう。

 新聞は読むか所がほとんどなくなったのでとっていない。もっぱらスマフォでニュースをみて世の中の動きを知っているわけであるが、近頃、メディアがどうもおかしいと思うようになった。まず、ウクライナ戦争についてであるが、ウクライナの善戦とロシアのぶざまさ、悪者扱いが多く見受けられる。その書き方は読者の目を引きやすいからであると思う。ロシアの立場そして、どうやったら戦争を終わらせることができるか?などの記事はあまり見うけられない。

 近頃の記事は中国が台湾に侵攻して日本と中国が戦争をする、と言うのが増えてきている。戦争研究所や有識者を動員してその記事を書いてもらっているが、おかしい?あなたたちは日本と中国を戦争させたいのか?と聞いてみたい。どうすれば戦争を避けるkとが出来るか?という記事はなぜださないのか?まさか戦争が始まれば自分たちのメディアが儲かるなんて考えてはいないだろうな?

 こんな方針だとガルシア・マルケスの小説・(予告された殺人の記録)と同じではないか?あの男が殺される、殺されると噂をされながら、誰も止めようとはせず結局はナイフでずたずたに切られて死んでしまう。実際に起こった事件を作者はドキュメンダリ―に仕立て上げたわけであるが、なんとも現実をとらえたすごい作品である。

 メディアで働いている人に言いたい。あなたたちの仕事は出来事を報道するばかりではなく、読者への啓発・啓蒙があるのじゃないですか?

背の高い低いは差別か?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-1-28 11:04

 今日のヤフーのニュースで、見た目の判断は差別か?と言う記事が載っていたのでこのブログを書く気になった。近頃は、差別やセクハラに対して過剰に反応する傾向があり、わたしは疑問に思っていた。このまま進んでしまうと何も言えなくなり、書けなくなるかもしれないのである。ドラマや小説が面白くなくなったのは出版社や読者が過剰に反応しているからでもある。

 背の高い低い、色が黒い白い、などの表現よりも、その下のひそむ意識、感情の問題なのである。ということは意識や感情を持ってはいけないのか?ということになる。そんなことはない。もしそうであれば人間であることも否定しなければならなくなる。

 それより、背が低いことはい悪いことであろうか?人間の体や自然一般そのものに違いが出来ることは当然であり、それを否定するならば単細胞の時代に帰るしかない。そこで皆身長の同じ人間が出来たとする。すると背が低いという判断基準さえなくなるのである。価値基準さえなくなり、衰弱してしまう。単細胞生物の世界がそうである。

 差異はエネルギーを生む生命の根源なのである。否定はできないし、優劣の基準で判断してはいけない。優劣で判断するから差別に通じるのである。

女親分

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2023-1-26 8:51

  その女の人とはカラオケ教室で知り合っただけで、深い関係はない。が、あなたは私の弟みたいで可愛い、心がきれい、といって援助してくれる。貧乏暮らしを見て気の毒になったのであろうが、嬉しい。以前の自分であればバカにされたと腹を立てたであろうが今は有難く思うだけである。野菜を売りに行けば千円ほどにしかならないものを三千円で買ってくれたり、スイカ畑にアナグマが出るので警報機を付けると言えば五千円の金を出してくれたり、それに彼女がもらったいろいろなものをくれたりする。彼女の庭に畑づくりに来ている老婆が泥棒に入られてい衣類まで盗まれたといえば買い置きのパンツをあげたりしている。その他に生活の苦しい女に金を貸したり、相談ごのったりもしているもしているので、彼女の家は人が寄り集まり、親分の家になっている。

 今の世の中を見回してみれば、こんな親分たちはどこへ行ったか?さっぱり姿を消している。暴力団の親分たちだって、子分が刑務所に入れば残された妻子の面倒を看たり、刑務所に差し入れに行ったりして、きちんと面倒は見ていた。暴力団が良いのか?悪いのか?は別にして、ここに古来からの共同体の精神があった。今では為政者が福祉という名目で面倒を看ているが、悪く言えば民主主義を個人主義が共同体を壊したのである。

  キリスト教会に日曜礼拝に通っているが、そこも女信者達が花や果物や菓子を持って来て、フードロスの活動をしている。やはり女の人が社会活動を始めると男にはできないこと手をかけているのがわかる。子育てもそうであるし、食材に関してもそうである。

  今、国会が開かれて審議が始まっている。岸田総理は物価の高騰や軍備の問題でくるしい立場に立たされるであろうが、基本は国民の生活である。このブログに書いた女親分や組長のような気持を持っていれば乗り切れるはずであるが・・・。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2024 11月 » »
27 28 29 30 31 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
アクセスカウンター
2024/11/23:204/304
2024/11/22:162/278

2024/10/24より3380/33960