ブログ - 20200115のエントリ

セクハラの産まれた時代。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2020-1-15 7:29

  セクハラとは、単純に定義付ければ、性的加害行為であろう。およそ三十年くらい前からひんぱんに使われ、メディアに登場しない日はない。それほど重要な反社会的行為なのであるが、被害者が加害者に好意を持っているか持っていないか、あるいは訴えられるか訴えられないかで決まる親告罪でもあるので判断がむずかしくなる。ただ、アナログからデジタルに変わった時代の落とし子みたいなもので社会の仕組みを大きく変えつつあることは間違いない。同性婚、性的少数者、障がい者を含め、人権意識と関わり、時代の転換を象徴している。これに反抗する者は排除されるしかない。 

 だが、デジタルの落とし穴も考えなければならない。曖昧さ、矛盾、対立を考慮に入れられない考え方は本質を見失い、本来のベクトルから外れてしまう。つまり、性欲とは本来、何なのか?という根源であり、否定できないものなのである。それは、正しい性行為、が基本ということなのであり、愛し、愛される関係から言動を起こすべきというべきなのであろうが、人間と言うデリケートで複雑な種族から読み取るのは難しいのでつい、うかつな言動を起こしてしまう場合が生じやすい。

 性欲はエネルギーの一つであり、否定することはできないし、否定すれば生物は絶滅するしかないのである。これを考えて、セクハラ問題はもう一度、検証されなければならない。つまり、余裕と幅を持たせ、男女関係、人間関係を潤滑のあるものにしないとぎくしゃく・びくびくし、表現や報道の自由が大きく制約され、社会の活性を失ってしまう。

 四十年前までは、痴漢、いたずらで片づけられていたものが、立派な犯罪にされ、社会的地位まで失ってしまうようになった。言論の自由や文化も制約され、たえず監視され、自らも自分を監視しなければならなくなった。

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