ブログ - 201912のエントリ
ある会の老女から、気持ち悪い、と言われた。彼女はよくその言葉を口にするので、誰のことなのか?と疑問に思っていたら、なんと、わたしを指していたのであった。彼女はどの病院に行って検査を受けても原因のわからない障害にかかり、二本の杖をついてやっと歩ける状態なのである。それで、歩きながらも、方向を変えようとすると、倒れ、起き上がることが出来ない。病名が分からないので障害者の認定もおりない。
ワゴン車の車から乗り降りする時、床から部屋に上がる時、わたしは抱きかかえ、支えてあげる。「どこを触っているの!」と叱られる。そんな態勢になると、どうしても胸や腰を触らなければ介護ができないのである。そのあげく、ついに、気持ち悪い、という言葉が何度も出たことがわかった。
それから、介護はいっさいせず、他の男がやっているが、彼を好きなのであろう、気持ちいい、と言う。
しばらく、頭に来ていたが、それで、解放された。
ある会では、ハンサムとか、声が好い、とか、才能があるとか、脚が長いとか、ともかく、褒められる。ところが、寄付をしてくれ、と言われた。金を入れる封筒を四つも出され、おどろき、ぼくは生活困窮者です、と言うと、いったん、手を引っ込めた。
この二つの例を考えてみると、嫌われることが決して悪いことではないことがわかる。
昨日の毎日新聞の人生相談の欄に、こんなことが書いてあった。二十六歳の息子を母親は溺愛していて、彼女の帰りが遅かった、という理由だけで息子から、「死ね!」と怒鳴りつけられた、という。相談にのった高橋源一郎さんは、その息子に、死ね!と言い返したら、良い、と書いていた。よく、そこまで、書けたと感動したが、わたしは息子からも離婚した妻からも声の一つもかかって来ないのでそんな悩みは一切ない。嫌われることは良くない、という風潮があるが、利点もあり、愛されることも同様の評価があるのです。
あと五日で、令和二年に入るわけであるが、来年はどんな時代か?想像するだけで、すでに読めてしまう。元年は平成の時代と混じっていたが、来年はは本当の令和の時代になる。セクハラ、パワハラ、人権など、細かいことまで書き連ね、同じ記事を繰り返したマスコミはまた、同じ道を歩み、暴力、反抗とは何なのか?と言う事に踏み込みはしないであろう。きれい、幸福、利便性、快感を振りまき、それは資本主義体制の大企業・政権与党と迎合するわけであるが、その方向で書き続けるであろう。
暴力とは、エネルギーの一つにしか過ぎない。良い悪いの次元ではない。否定出来るものではないし、全面否定されれば、パワーさえ失われてしまう。反抗や闘いをきれいな言葉で否定して、得をするのは大企業・政権与党なのである。反抗はダメ、革命はダメと言う事になるから、安部はいつまでものさばっているではないか?きれいごとで搾取されているのは一般国民なのである。
やられたらやり返せ!
三十年前まではこの言葉が通用していたが、今ではまったく通用せず、逆に暴力的だと、烙印を押され、政権や大企業は高級詐欺師としてのさばっていくだけである。この目に見えない巧妙な構造に目を向け、暴力とはエネルギーであり、それがどうなのか?考え直すべきである。
闘いや反抗を忘れたらどんなことになるか?それは奴隷の道に戻ることでしかない。
五十年後に食糧危機がやってくる!その時に、あなたちはだ黙っていられますか?闘わない者から死んでいくことはまちがいない。
食料争奪戦が始まれば、美容整形され、去勢された時代は崩壊するしかない。
この言葉はフランツ・カフカが書いているものである。今、母のことを、推理仕立て風に書いていて、その言葉を強く思った。カラオケ教室に通っている頃、歌うことは祈ることです、と女先生に言って、何妙法蓮華経?ですか?と言い返され、理解されなかった。
私の小説はほとんど体験に基づいているので、書くことは思い出して検証することでもある。心が複雑に屈折した男が主人公、つまり、わたしであるので忘れていたことを思い出し、創作が加わって新たな発見をしていくので、書いてる側の心の中はまさに(獅子身中の虫)にかき回されるような状態である。独りで、パソコンを打ちながら、涙をこぼす。
読者の数倍は笑い、泣くのであるから、作家と呼ばれる人々の心中がすごくわかる。まさに地獄と天国を行ったり来たりしてるようなもので、芸術家の中でもっとも自殺率の高いのが小説家であるという事実は納得できる。けれども、その心の動きは、祈りに近いものであろう。一昨日、洗礼を受けた日、その有様をスマフォで撮ってくれた人がいた。それをメールで観ると、勝気なわたしが、両膝を折り、頭を垂れて、神にひざまづいていた。
まさに、祈り、であった。
親しくなった信者達から、洗礼を受けたらどうですか?声をかけられるようになった。洗礼を受けると、自分の立場はどうなるのですか?義務が生じるのですか?など疑問が湧いて、積極的にはなれなかったが、引き受けてしまった。
昨日が、その式の日であった。おめでとうございます、と信者達から声をかけられ、賛美歌を歌ったり、牧師の説教を聞いたりしてるうちに、自分が神の子になることへの感動がわいてきた。創世記には、天地創造や生命の誕生など、それらが神の意思であったと書いてあるが、人の手による科学では地球の誕生さえ解き明かされていない。それを二千年前に、明かしたのであるから、聖書の力は二千年後も衰えていないのである。
三十人ほどの信者達があつまっていた。
わたしは、その前に立って、牧師の三つの問いかけに、従います、守ります、と大声で応えた。
あなたみたいな、自我の強い人がここに来たのは初めてよ、と女信者から言われた自分が頭を垂れて、自我を折ったのであった。でも、心の中では、私は,神をしっかりと観察させてもらいます、と同時に考えていた。
膝を曲げて、ひれ伏すと、牧師は私の頭に、冷たい聖水を、三度かけた。
女信者が寄って来て、タオルで持ち、拭くように言ってくれた。
令和の時代に入り、夜が変わろうとしている時に、自分が余命を考える時に、心を洗い、浄めて頂くことに感謝します。と皆に、述べ、あの世に逝く準備である意義を知った。
聖餐に入り、信者が一人一人にパン切れとぶどう酒を回しはじめた。洗礼を受ける前、それに手を伸ばすことは暗黙のうちに止められていたが、手を伸ばし、キリストの体と血を、体の中に入れた。
(物忘れ物が無くなる不思議さよ)
近頃、物忘れがひどくなった。今日が何曜日かは、わかる。それは日曜日が教会に行く日、水曜日が障害者のカラオケ会、金曜日がパソコン教室、ときまっているからであるが、日にちとなると、スケジュールに当てはまる日がないので必然的にわからなくなる。こんなことが考え切れるということはまだ、本格的な認知症には進んでいないと言うことであろう。
知り合いの婆さんは妄想が出て、屋根裏にドロボーが住みついていて、醤油や酒を盗み、屋根裏でスキヤキをやっているとよく言っていたが、近頃はそんな話もせず、黙ったままで話しかけると、ニッコリ顔になる。昼の弁当はコンビニで買って来ているのに、昼前になると部屋を抜け出して買いに行き、皆を心配させる。
今日の朝、いつもの山道を散歩していると、その婆さんと夫がイノシシノ箱ワナを見に、坂道を上って来た。私は彼に、イノシシが獲れたか?と話しかけ、四匹獲れた、という話をした。婆さんは、黙ってニッコリ笑っていたが、私のことを憶えているかどうか定かではなかった。
夫は婆さんが小学校二年生ほどの知能だと言ったことがあったが、目を離せない生活をしているから、大変であろう。食事は作って上げているし、目を離せば徘徊して回るのである。
でも、よく考えてみると、婆さんは幸福である。金の心配もなく、健康の心配もなく、死ぬことを案ずるわけでもなく、心配事はいっさいなく、だから、いつもニッコリ幸福顔なのである。彼女が不幸であるはずはない。いつか、わたしもそのような笑顔になって、この世から去るに違いない。
残り少なくなった一年の、九月から今月・十二月までの四ケ月間は、すごい速さで時が通過して行った。楽しかった旅行や出会いはもう戻ることは無く、記憶からも薄れ、消え去って行くしかない。思い出として、残るだけである。
今年の年頭に唱えた夢は,かなわず、列車の中に置き忘れられたまま、来年も走り続ける。たくさんの夢は、私の隣の席に座ったまま、わたしと手を取り合い、来年も、仲睦まじくおしゃべりを続けるのである。
新しい女と出会い、再婚すること、文学賞をとって五百万円の懸賞金を手に入れ、海外旅行をすること、チップ農法が成功して企業化し、名がとおり、金を稼ぐこと、キャンピングカーを買ってカラオケを出あった人たちと歌いながら、全国旅行をすることなどの夢は、来年にまた、持ち越された。
良いではないか!
(見果てぬ夢)として、死ぬまで私に付き添ってくれるのであるから。