ブログ - 20160319のエントリ
わたしは吃りです。68歳になる現在までトモダチ?として仲が続いていることは強い友情があるとしか考えられません。日常生活や仕事の面で障害になり、悩んだこともありますが、他の障害者や健常者の苦労・悩みなどと比較し、客観的に捉えられるようになりました。
毎日新聞の朝刊に三度にわたって、吃音について連載され、興味深く読みましたが、肝心な点が不十分でした。それは吃が機能障害であって、器質障害ではないということです。歌を歌う時や独り言、皆でなで発声する時などは絶対にドモリません。機能障害とは働き方にトラブルがあり、器質障害とは仕組み・構造自体に問題があるのです。器質障害であれば歌や独り言、皆での発声の時にも吃るはずです。
わたしの身内に軽い吃りの人が三人いましたが、ほとんど目立たない症状でした。わたしの母もその中の一人でした。私が三歳くらいの頃、言葉を覚え始めた頃です。誰もそうなのですが、お母さん、と言うべき時に、オッ、オッ、アカアサン、と言ってしまったのでしょう。他の人であれば、少し怪訝な顔をし、放置するのですが、母は吃の血統があることを知っているので、そんな言い方はいけません!、と叱ったのでしょう。それが繰り返され、言葉がしばらく出ない(難発)癖が出来てしまったのです。それが一生、続くことになったのです。条件反射の一つです。
言葉がすぐに出ないことは思考力を養い、慎重さを身につけさせました。表現力も豊かになり、議論が得意になりました。このホームページのブログの数は500近くにもなっています。全部、わたしが書いています。
一つの状態や出来事には良いことと悪いことが必然的に混じっています。良いほうに取るか悪い方に取るかはその人の判断次第です。悩むことがあったら、眞反対の面から観察してみましょう。すると、この世には良いことも悪いこともなく、それは常識に囚われた自分が決めてることがわかります。