ブログ - 201603のエントリ

文学賞、落選の喜び。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-28 21:13

 本屋で(オール読物)という文学雑誌を立ち読みし、松本清張賞に応募していた(ガラパゴスの女)が予選で落ちていたことを知りました。かすかな落胆がありましたが、懸念材料が消えて安心しました。障害者仲間でのイジメがテーマだったのですが、彼女らの障害を生々しく表現しており、登場人物のモデルが誰なのかすぐにわかる小説でした。間違って賞でも取って、本が発行されたりすればわたしが非難されることは確実でした。わたしたちの恥部を材料にして、金(賞金は500万円)を取った、と噂されたでしょう。数年前に芥川賞を取った女作家がモデルから名誉毀損で訴えられ、自殺しました。

 マスコミに顔写真を出されることも出版社から原稿の依頼を受けることも無く、従来通り、この場で自由に書けるのです。無名であることの自由度は有名になった人にしかわからないでしょうが、無名であるわたしには十分わかります。このホームページは独断で無償で運営しているので実名を出したりしない限り心配はありません。多くの人に興味を持ってもらいたいと思いますが、閲覧者数に惑わされることもありません。

 落選したからにはこのホーページに掲載することを考えています。その時には是非、読んでいただきたいです。

植物の気持は人の気持。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-28 12:58

 小春日和に誘われて、散歩に出ました。いつものコースですが、人と出会うことのない山中です。スマホで(面白山の滝)という新曲を聴きながら、上り坂、下り坂、つまずきそうな石ころ小道、清流のせせらぎ、小鳥のおしゃべりなど交えながら、すごく良い気分になりました。吉幾三さんの(ひとり北国)の歌になると声を出して思い切り歌いました。5月の発表会で歌おうと考えている歌ですから、力を入れました。

 小道のそばで(マムシ草)に会いました。昨年は赤い実をつけていましたが、枯れて、新芽が出て伸びていました。マムシのような鎌首を伸ばし、まだら模様の茎で体を支え、(おれはマムシなんだから近寄ると怖いぞ!)と威嚇しているのです。秋になると赤い実をつけて、寄ってらっしゃい!私って、きれいでしょう?と訴えるのです。まさに人間の心です。マムシ草のラッパ状の花は緑色のままで花らしくありません。一匹のハエが花弁に止まっていました。花弁の中を覗きこんで見ると、小さなハエが落ち込んでいて、上ろうとしていますたが滑って上れません。この植物は食虫花でもあるのです。小さなハエは何度も足で花弁を掻くのですがすべるばかりです。

 わたしは楊枝ほどの枯れ枝を拾って小さなハエの前に差し出しました。小さなハエはなんのことかわからず足を滑らせ続けていましたが、小枝に足をかけ、上ってきました。わたしの指まで来ると、羽根を広げ、飛び立ちました。

 人間社会にも騙したり、脅したりしたりして生きている人がいます。自然界も同じですが、自然界ではずるいとか悪いとかいう考えはありません。マムシ草は野生動物や人間を脅すので、嫌われ警戒されます。それが繁殖力の弱さになっています。人間の場合もそうです。白菜やキャベツなどは美味しい味を出して人間に好まれ、庇護を受けることで繁栄していますが、人間界での嫌われ者や怖がられる者たちは女も近づきにくく繁殖力が弱くなります。

ガラパゴス国家としての日本。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-27 7:35

 今、国家や和食、文化、工芸、電気製品などの分野で日本は世界的に見直されてきている。アメリカとの戦争で大敗し、何百万人の戦死者を犠牲にした日本はすべての分野において自己否定をしてきたが、経済復興をし、戦後70年にしてやっと自己回復を始めた。一民族、一言語、孤島という環境はまさにガラパゴス国家である。孤立は家元制に見られるように自己培養を育て、純粋さを生んだ。先日、公開講座でベルギー人留学生が次のように言った。ー相撲の世界では一つの相撲部屋に外人は一人しか入れません、これは差別です、と。わたしは初めて耳にした話しに驚き、返事が出来なかった。多くの日本人はこのことを知らないし、マスコミも報道しない。

 わたしはカラオケ教室に通っている。2ヶ月おきくらいに各教室の発表会があり、誘い合って140人くらいがステージで歌うが教室の先生との関係によって参加できない生徒が出る。先生どうしの関係が悪い場合には生徒も参加してはいけないのである。

 お茶、生け花、日本舞踊、古武道の世界においては世襲制が強く、閉鎖的である。外人は師匠にはなれない。この事実は良い悪いのレベルではなく、逆に純粋培養というレアな効果を生んできたのである。グローバリニズムはガラパゴス国の国境を取り払っていきながら、フラット(平面)社会を作るのだが、また新たな段差、落差が重力の法則によって出来上がるのである。

未来を作ることは過去を作ること。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-22 18:27

 今日は(ラヴィ)と言う会社のセミナーに誘われて行ってきました。健康食品や化粧クリームをウコンから作り、製造販売してる会社で、紹介販売というシステムを持っています。ネズミ講、マルチ商法だろう、と予想し、ネットで調べて、実態を質疑で暴こうと考えていました。20人ほどいましたが私以外はすべて初老女性でした。一時間半の時間の中で会社概要、システム、成功談(年間収入が2億円の女性)もあって、日頃知らない世界と出会いました。営業部や人事部などがなく、コマーシャルも出していないのでその分経費が節減できるのです。

 セミナーが終わり、会員を交え十人くらいの女性たちと昼食を取りながら、質問をし、話をしました。連鎖取引法に抵触するところはまったく見出せず、自然な雰囲気でした。沖縄産の秋ウコンは貴重な成分を含んでいるから他社のウコンとの差別化は図られている、ことなどわかり毎月6千円ほどで購入することにしました。その会話の中で(過去は作り変えれないけど、未来は作れる)という言葉が印象に残ったのです。

 なるほど、その通りだな、と考え、自分の未来について考えました。株式投資で設けて、青春の地である東京に旅行する、英会話教室に通っているので外国に行ってみたい、など空想しているのですが、株で設けられないので未来は眠ったままです。

 そこで考えたのです。未来は近づいてきて現実、現在になって流れ、過去になるのではないか?すると未来を作ることは過去を作ることではないか?と。

 つまり、過去は作れるということでもあるのです。

  同時に作り変えれないことも確かです。

吃りの人生。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-19 10:20

 わたしは吃りです。68歳になる現在までトモダチ?として仲が続いていることは強い友情があるとしか考えられません。日常生活や仕事の面で障害になり、悩んだこともありますが、他の障害者や健常者の苦労・悩みなどと比較し、客観的に捉えられるようになりました。

 毎日新聞の朝刊に三度にわたって、吃音について連載され、興味深く読みましたが、肝心な点が不十分でした。それは吃が機能障害であって、器質障害ではないということです。歌を歌う時や独り言、皆でなで発声する時などは絶対にドモリません。機能障害とは働き方にトラブルがあり、器質障害とは仕組み・構造自体に問題があるのです。器質障害であれば歌や独り言、皆での発声の時にも吃るはずです。

 わたしの身内に軽い吃りの人が三人いましたが、ほとんど目立たない症状でした。わたしの母もその中の一人でした。私が三歳くらいの頃、言葉を覚え始めた頃です。誰もそうなのですが、お母さん、と言うべき時に、オッ、オッ、アカアサン、と言ってしまったのでしょう。他の人であれば、少し怪訝な顔をし、放置するのですが、母は吃の血統があることを知っているので、そんな言い方はいけません!、と叱ったのでしょう。それが繰り返され、言葉がしばらく出ない(難発)癖が出来てしまったのです。それが一生、続くことになったのです。条件反射の一つです。

 言葉がすぐに出ないことは思考力を養い、慎重さを身につけさせました。表現力も豊かになり、議論が得意になりました。このホームページのブログの数は500近くにもなっています。全部、わたしが書いています。

 一つの状態や出来事には良いことと悪いことが必然的に混じっています。良いほうに取るか悪い方に取るかはその人の判断次第です。悩むことがあったら、眞反対の面から観察してみましょう。すると、この世には良いことも悪いこともなく、それは常識に囚われた自分が決めてることがわかります。

常識とは新興宗教みたいなもの。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-18 6:32

 何時の時代もどの国の人々も常識にもてあそばれて生活している。隣の家より金があるから幸福だとか、隣の家の娘より自分の娘が美人から自慢だかとか、亭主が立派な会社に行っているから嬉しいとかとか常識に絶えず左右され、比較しながら生きている。他人の眼や噂に振り回されて一生を送り、葬式の時にだって多くの人が参列してくれたから良かった、と死んでまで振り回される。常識は普遍的なものではなく、国家や社会の動きによって絶えず、左右されている。衣服や髪型、思考、ファッションが変わるのと同じである。戦争中に敵をたくさん殺した者が英雄であっても戦争が終ると殺人者のレッテルを貼られる。

 権威、学歴、家柄、良い顔、会社などが人の評価の基準であり、新聞社でも人を紹介する時に必ず学歴を書き、評価の基準にしている。作家であれば顔写真を出し、物書きのくせにしてまるで美男・美人コンテストではないか。

 だが、若くしてすごい評価を受け、絶頂に達した者には耐え難い悲劇が待ち受けている。元巨人軍の清原氏が覚醒剤所持、使用で逮捕され、釈放されたニュースなどは良い例である。若くして人生の絶頂に達した者はそれ以上の絶頂が周りから求められ、当人も求める。絶頂であったということはすでにそれ以上のものがない、ということである。下降に落ち、うらぶれていくしかない。王さんや長島さんみたいに監督になり、後継者の育成という地味な仕事につけば良かったものを彼はそれ以上の名声を求めてしまった。それが彼の悲劇である。逮捕・拘留の期間で彼が変身できるはずはない。罪をきせられたからにはこれまで以上の悲惨な生活が待っている。

 世間や常識に惑わされない自分独自の生き方を少しでも身につけるべきであった。

不倫と所有欲。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-16 5:28

 ほとんどの男女は自分の好きな異性(性同一障害者もいるのでこの言葉も今後は変わっていく)を自分だけのものにしたい、と望んでいるし、そうでなければならないと考えている。不倫はタブー視されている。これは一婦一夫制に基づいているわけで、わたしもその観念に支配されている。不倫は許されないことである、と言う考えは一妻多夫、一婦多妻、乱交の世界では通用しない。現在でもその制度を残してる国や所もある。

 88歳の老女はこんな話をしてくれた。亡くなった夫は特攻隊員であったと言って、白黒の顔写真を見せてくれた。眉の濃い、目線の強い、武士の魂を残した顔であった。わたしは自分が彼に見つめられている気分を覚えた。太平洋戦争前後の日本人の表情は素晴らしい。生き生きとしていて、これから命をかけて闘う、負けてしまったがこれから国づくりをする、と言う精神が宿っている。

 老女は話し続けた。あの頃、お父さんは防空壕の中に隠れる生活をしていた。で米軍の爆撃攻撃から身を護る為に女学生と抱き合って隠れていた、と言う。戦争が終って彼が仕事について働き始めた頃、、夜勤の時には駅までわたしが見送りに行ったわ。そしたら、電柱の影にもう一人の女が毎日、立っていて、主人を見送っていたの・・。

 (わたしは驚いたけど、主人には何人もの女がいて、交際してる話しをしてくれた。わたしは主人も青春を戦争で失った人だから、許してあげた。私たちの家庭を壊さなければ何人の女とつきあってもかまわない)、と。

 彼女の気持はじゅうぶんわかったが、わたしは次のような老女とも出会い、話しを聞いた。主人に愛人が出来て、外泊を繰り返し、殺してやりたいほど女が憎かった。それはわたしが主人を愛していたからなの。

 この二つのケースはまったく矛盾しているがある点では一致している。亭主を愛していた、と言う点である。愛憎は裏腹であるが、許してあげる、と殺してやりたいほど憎い、も単に重なり合っているに過ぎないのであろう。

文化は物理化学で分析できるか?

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-14 4:28

 わたしの考えは政治、思想、宗教、自然、社会などすべて分野、その動きが物理化学的に分析され、統一され、また統一されるべきであるということです。専門分化しすぎてたがいの業界、既得権、生活権を頑なに守っている現在は人間の知力を結集しても同じことの堂々巡りでありもぐら叩きの繰り返しにしかすぎないと考えるのです。物理学の教授がエネルギー保存の講義をした時に、人間が老化して元気がなくなるのはその法則に照らしあわせてみて何故ですか?とたずねても、専門外のことですからわかりません、と返事をしたり、心臓のバイパスあ手術を終えた後に、先生、いつ退院出来ますか?と尋ねても、内科の先生と相談してみます、と言う答えがあったりしたのです。すべての分野が物理化学の威力によって凄い発展を受けてると同時にに矛盾を抱え込んで、行き場がなくなっています。東北大震災が典型的な例です。待機児童が増えて保育園に入れなくて、日本死ね!、などという書き込みが社会問題になっても、マスコミはそのことだけを取り上げて、原因の究明はしない。かれらは出来事や事件の報道が努めであると考えているからである。

 人間が感知しえなかったことが科学の力で可能になっている。見えないはずの電波が受信機(テレビ)で見えたり、見えないはずの心臓がレントゲンでに見えたり、日本の端に住んでる人と顔を見ながら話しが出来たり(パソコン、スマホ)、囲碁や将棋をコンピューターと対戦したり、カラオケで歌うと(色っぽい)声ですね、と採点機械が感想・評価をしてくれたり、信じられない時代が来ています。

 その状況の中で(文化)はどうなるのか?カラオケも文化の一つですが、この分野も物理化学に取り込めるのか?疑問を抱きました。芸術も文化の中の一つです。

 英会話教室で次のようなトークがありました。(先生、日本では夫が妻を母ちゃんと呼んだり、妻が夫のことを父ちゃんと呼んだ時代がありました)と言うと、オーストラリア人の女先生は、(わたしの国では、子供が両親を名前で呼ぶことがあります)と応え、おどろきました。母親の名前が光子だとすれば、子供が光子さんと呼ぶわけですが、わたしにはピンと来ませんでした。あるいは、(いやよ、いやよ)と言いながら、相手が好きである日本女の心理など、どのように自動翻訳するのでしょうか?矛盾・対立しながら同居してる状態は物理化学には取り込めません。

 若い頃の森進一さんの声は凄いかすれ声で、魅力的でした。カラオケの採点機械は(声がかすれていますね。ボイス・トレーニングをして練習してください)と答えるでしょうか?

 文系は本来、理系と同じであるべきです。あるいは文系が理系を取り込んで、思想・哲学の分野から理系を捉えなおすべきなのに役割を奪われています。人類が理系の利便性、快楽に目を奪われ、陥っているからです。

 

重力が性別を発生させた。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-10 6:27

 地球が火の玉の状態で太陽から吹き飛び、塊になって太陽の周りを回り始めた。地球は徐々に冷えていき、霧を発生し、水をはらんだ。酸素があったので物質が生命を生んだ。地球の回転力は重力を生み、ベクトルをつくった。水が高い位置から低いところに落ち(引力によって吸い寄せられている)、高気圧・低気圧の発生によって風が吹き、すべてのものに慣性とベクトルが出来、生物の体内もその法則に従った。心臓が鼓動を打ち、肺が呼吸をし、血液、リンパ液が流れ、神経に電流が流れて感知し、脳が活動を始めた。最初は単細胞であった生物の体内もベクトルが出来、変化していった。(ボールを投げる方と受け取る方の役割分担)が出来ていった。それが雄と雌の発生である。ボールが投げられるように雄は雌の方に行き、雌は待つだけで逆はありえない。人間の場合は逆もありえるがせいぜい女が男を誘引する程度であり、押しかけたりレイプしたりすることはない。これが雌雄、男女の法則になった。

 このように考えると男と女の違い、その発生が良くわかる。

元気いっぱいの初老娘たち。

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2016-3-8 7:31

 退職後の生活でまわりを見回すと、元気いっぱいの初老女たちの生活ぶりに驚かされる。亭主と死別した女、別れた女、不倫女たちが毎日元気いっぱいである。毎日、友達を呼んで美味しい料理をつくり、いつまでも続くおしゃべりをする女、週に二回、カラオケ教室に通い、大会で何度も優勝してトロフィーを部屋に飾ってる女、カラオケやパソコン教室を運営し、定年間近の亭主に早く実家に帰れ、年金の半分はもらうからね!と吹聴する女、退職した亭主に三つの仕事をさせて彼女の借金を返させてる女、次々に男を変えてホテルに行き、借金の連帯保証人にしてる女など、一昔とは立場が逆転している。

 初老女たちは青春まっさかりである。

 さまざまな教室に顔を出してみると、女たちが80%ちかくを占め、男が入会して来ようものなら、(なんでこんな男が入って来たの?)などとセクハラまがいの仕打ちを受けることがあるので注意を要する。男女共同参画社会などとうたう時代であるから女性の社会参加は大いにけっこうなことであるが、女ならではの欠点もある。好き嫌いの感情を出して公私混同をし、組織が未熟なまま成長しない場合がある。細々としたことに取り掛かるのは得意だが、視野が狭いために全体が見回せない場合がある。中心点を見失うことがある。それらの欠点は男にも見られるが女の方が顕著である。

 次代を背負う女性総理大臣が現れて、実力を見せて欲しい。

ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失

ブログ カレンダー
« « 2016 3月 » »
28 29 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 1 2
アクセスカウンター
2024/11/24:448/673
2024/11/23:468/752

2024/10/25より3742/16976