ブログ - 20150618のエントリ
発達障害は4,5十年前までは精神的未熟と呼ばれていたが、何故障害者と名付けられたのかわからない。障害者として区別し、度数をもうけることで度合いを判断し、社会保障をつけて援助し、国家への反乱者になることを防ぐためであろう。
わたしも若い頃は発達障害者であった。東京のラーメン屋でバイトをしていた時に、客に冷えたご飯を出してしまい、あんたを大人として見て良いのか、子供として見て良いの、かわからない、と店主に言われたことがあるし、それに似たことはたくさんあった。母親が過保護で過干渉だったことが原因だが、68歳の今でも発達障害者であるかもしれないし、それはそれで良いし、世間の秩序に従った言動をとることなどは俳優ほどの技量を必要ともしないものだ。
身の回りには発達障害者や認知症患者が増えている。周りの者に迷惑をかけるし、マスコミにも絶えず報道されている。わたしは自己分析も含めて彼らの肉体的(=精神的)に理解出来るようになった。彼らに共通しているのは身勝手、自己中心的であるということだ。以前であれば人間性とか人格という言葉で取り上げられたが、彼らはそれらの言葉を理解できなかったし、効果も出なかった。
人間機械論、という考え方があるが、彼らの脳の一部が故障し、回路が出来ていないか故障していて電気信号が送られないのである。そこで精神的未熟だとか人間性が悪いなどと言ったところでまったく効果はない。回路を修理するか物質を補給して、相手の立場に立って考えられるように修理するしかない。やがて、そんな時代が来る。
人が三人集まれば派閥が出来る、という話を聞いたことがある。
私の人生経験を照らしても組織や秩序には平衡状態があると思う。人間関係においても対外的な関係においてもそれは覆せないし、ヤジロベエのように平衡状態を保とうとする力学がある。普遍的な真理である。まず、ボス(統率者)が出来る、パシリ(指示されたとおりに動く者)という従者、運営や理念に無関心な者、反抗者、イジメル者、イジメラレル者などの差異が出来て自然な釣り合いがとれ、秩序が出来ていく。
組織が外部の団体によって崩されようとすると、一丸となって闘う。組織の利益・防衛のためにも戦う、これが内乱、戦争である。日本が太平洋戦争後、戦争を70年間もしない、ドイツもそうであるのは戦争の被害や加害が大きすぎて、その反動が出たにすぎない。山高ければ谷深し、である。その位置エネルギーと波形を探れば戦争の周期が数式化できるはずである。戦争はある意味で平衡力を保つために生じるのである。
組織の化学式がH2SO4(数字は小文字です)みたいに現され、崩壊と再生の数式化も出来るはずである。次の崩壊はいつになるであろうか?