ブログ - 201506のエントリ
秩序とは平衡状態を保とうとする仕組みであり、秩序ー無秩序(秩序の崩壊)?秩序、という変化の流れになる。秩序の内容物は変わるが、平衡状態に復元するという法則は変わらない。自然界、人の生活、社会・政治もその変化に従うが周期を考えれば時間軸が入る。変化のパターンが見つかれば周期があるということになるが見つかる場合と見つからない場合がある。戦争・内乱の周期、地震・災害の周期、株式の値動きの周期など非常に大事な項目があるが誰もまだ見つけてはいない。それは生命現象と同じであり、複雑すぎているし、突然変異的に動く場合があるからである。
(動的平衡)という本を読んでいるが(平衡)という現象に興味が湧いてきた。
あらゆる物質の構造には秩序があるので、人間は秩序にすがれなければ生きていけない。進化の過程で両生類から爬虫類に変わったが、不安定な水中から硬い地面に足を置いた時の安定感・快感は私のDNAの中にも残っている。
わたしが何故、(秩序)にこだわるかと言うとそれがわたしという人間を形成したからである。先天的素質が形成される原型になってはいるが、あなたもその秩序によってつくられ、すべての生物・物質もそのシステムの鋳型から逃れることは出来ない。一週間前、浜辺を歩いていて不思議な石を見つけた。親指サイズの小さな普通の石だが、ウズラの卵みたいに真ん丸いのだ。その石の流転の時間を考えた。何百年も波に揺られ、浜辺の石ころたちにもまれた人生だった。その石が特別に柔らかかったとかもっとももまれる場所にあったとかいろんな条件がからんでいるにちがいない。
家庭、学校、メディア、社会、会社、政治体制などすべての秩序が鋳型になり、人間を作り上げている。ほとんどの人は丸い石になるのだが、わたしはいつまでも尖ったままでまわりの石たちとぶつかり合っている。ほとんど(変わり者)と呼ばれる。それが良いとか悪いとかではなく、変わり者を作り上げ、存在させている秩序に興味があるのだ。今、福岡伸一氏の(動的平衡)を読んでいるがすごく面白い。生物化学の研究から人間への哲学的考察に踏み込んでいて、納得させられる部分が多い。蟻の世界には働かない蟻が必ず二割はいる、ということを前のブログで書いたが、その二割は他の八割との間で(平衡)をつくり、バランスのもなっているのだ。この世の対立物はすべてそのバランス状態の上で成立しているのではないか?と、考えた。
(秩序の発生)について考えてみた。参考にするためにネット情報をみたが載ってはいなかった。
すべての生物は肉体的、精神的(精神は肉体と同じであるが)に秩序を持ち、その構造に組み込まれている。物質もそうである。さきほどの丸い石も成分と組成の構造式を持っている。細菌もそうであり、その仕組みから逃れることは出来ない。チリが集まり固まりあって地球が出来、物質が出来たことで空間と時間の観念が出来た。
結論として無秩序というのは物質の無い世界にしか存在しない。
(エントロピーの法則)をネットで調べると次のように書いてある。ある若者が散らかり放題の部屋の整理を始めた。本やビデオを本棚に入れ、机の上のペンや鉛筆を鉛筆立てに入れ、ゴミを掃除機で吸い取った。丁寧にやったので12時間かかった。ところが排尿する時間がなく、部屋の中で漏らしてしまった。部屋は乱雑・不潔な状態に戻り、エントロピ-の数値が増えた。事物は放置しておくと無秩序に還ることを言いたいのである。
これに私は疑問を抱いた。
わたしの部屋は人が訪れることはほとんどないから、整理や掃除はしない。ゴミが溜まればホウキで外に掃きだす程度である。本や、チラシ、醤油や酢漬けにしたビンが置かれ、エロDVDが女の裸体を見せて床の上に置かれている。自分が通る道だけはスペースが空けられている。あるセールス・マンが仕事で部屋に入った時、おたくはやはり(レア)ですね、ビデオをこんな所に置いて、と言ってエロDVDに目を向けて言った。
無秩序のように見えるが秩序を持っている。わたしは肘掛座椅子に寝そべって本や新聞を読み、ビデオを観、考え事をしたりする。ポーの小説が手に一番近い位置にあり、タオル、目薬、ツマヨウジ、耳かき、血圧計なども近い位置に置いている。よく使う物を手元に置き、めったに使わないものは離れた場所に自然に配置されたのだ。これを一般的な整理の仕方でやると、興味のあるポーの小説やその他の本、DVDも本棚に入れられ、わざわざ立ち上げって歩き、取り出さなければならない。非効率になってしまう。合理主義、利便性、快適さなどという観念は良いように見えて実は悪い部分を持っているのである。
自然界は決して乱雑ではなく、人間が考える以上の秩序・役割を持っている。落ち葉の存在を考えてみよう。タンポポの種は風によって遠くに飛び、子孫をばらまくように出来ているが、落ち葉は周辺に刺状のものを作っている。遠くに飛ばせないためだ。また完熟堆肥になって親木に養分を吸収させなければならないからだ。枯葉は親木の下の地面の水気を保ち、雑草の種が飛んできても雑草が芽を出さないようにしている。
人間は自然界の秩序を見習わなければならない。
昨日、福岡教育大学の公開講座・基礎物理学の講習を受けた。講義は(熱と温度)の章に入り、(エントロピーの法則)が出てきたので、興味が湧いた。日頃、目に付いていた法則だったが、物理学という分野できちんと講義を受けると基本的な考えがわかり、うれししかった。(分子の運動はなるべく乱雑になる方向に一方的に進む事実)とテキストには書いてあった。そこで、こんな例を出していた。袋の中に10円硬貨をたくさん入れておいてかき混ぜる。床の上に全部ばらまいてみる。裏面になった硬貨と表面になった硬貨の割合はほとんど同じになる。何回繰り返してみても同じ割合である。その法則から日頃、疑問に想っていたことの謎が解けた。世界の人口における男女の割合、世界最高気温と最低気温の数値のほぼ同一性、世界で一番高い山の高さと一番深い海溝の深さの数値、世界全地域における平和と戦争・紛争の割合、金持ちと貧乏人,幸福と不幸、暑さと寒さの割合などすべての現象はこの硬貨の法則に当てはまる。反転対称形でもある。それらは対立していると人間は判断するが反対向けにすれば同じということで、割合の平衡状態が変わることも無い、ということである。蟻は働き者だというイメージがあるが、その二割は働かない、そのことを書いた本が出ていた。働かないニ割りを住みかから追い出してみる。すると、働き者だった蟻の二割が働かなくなったのだ。真理は一般常識を否定する。真面目だ、ナマケモノだ、金持ちだ貧乏だ、健康だ、不健康だなどという良い悪いの位置づけは誰かが決めている俗論にすぎない。