ブログ - 20140314のエントリ
昨日、岡垣町議会の傍聴に岡田君と行ってきました。(一般会計予算)(一般会計補助予算)などの審議でしたが、町長・執行部と議員はその中味を突っ込んで、町にとってそんな工事が必要なのかどうかを議論するのではなく、可決を前提にしてああでもないこうでもないと形上の無駄話をダラダラとしてるにすぎないのです。本気の度合いがまったくありません。彼らはそんな八百長試合で年収1000万ちかく取って満足でしょうけど、無職のわたしと岡田君は当然無償で、腹立たしいばかりです。
(私語をする傍聴の方は退場を願う場合がありますよ)と議長の曽宮議員が言ったので、わたしは驚くと同時に、(その言葉を待っていた。こんなバカくさい話にうんざりして出て行きたかったんだ!)と叫び、岡田君と立ち上がりました。曽宮も立ち上がり何人かの議員・執行部を隣室に呼び打ち合わせをし、戻ってきて退場を告げました。
(町の経費削減の話もでないし、住民の目線がまったくない!)とわたしが叫ぶと、(それはまた)と宮内町長は言い、(主権在民、と言う言葉がわかってるのか!主権はこっちにあるんだ!)と彼に問うと黙り込み、(そこは傍聴席ですから)とこちらを非難するような言葉を彼は吐いた。これが岡垣町の町長の姿なのです。(あなたたちの言い分もあるでしょうから別室で話ましょう)などという配慮も人徳もない。だから町民から慕われている金比羅山をハゲ山にして平気なんだよ。
話は飛んで以前に読んだ(働かない蟻に意義はあるか)の本を思い出し、(働かない人間に意義はあるか)を考えてみた。わたしも岡田君も働いていなくて、畑作りや散歩、政治活動をしている状態である。その本の中では次のように書いてあった。蟻の集団生活の中で働かないのは2割くらいいる。その2割を排除したところ、本来働いていた蟻の2割が働かなくなった、という内容であった。
わたしの周りを見回しても、ここは田舎だということもあって半分の人間は働いていない。全国的にも就労者人口はそれくらいだ。老齢化して働けないものが多いが年金をもらっている仕事が見つからないなどいろんな理由があるが、彼らは飯を食って生きている。わたしと岡田君は毎日山の中を散歩し、自然大好きの人間である。勤め人だったら通勤の車の中から見て、山が崩されて道路工事がはじまったな、というくらいしか思わないのだが、私達はここに住んでいたカブトムシやセミなどの昆虫が殺され、PM2.5を吸い取ってくれていたヒノキの葉も殺され人間が吸わされる自然破壊だと考える。(開発)を主張する町長・職員・議員の利権を許してはならないと考える。勤め人たちの口座からは何にに使われてるか分からない金が町の行政に落ちているだけだが、わたしたちは無駄な使い方を許しはしないし必要のない工事は断固として反対していく。
ここに働かない人間の意義があり、世の中の変革は岡垣町議員の一部が言う(不逞の輩)の中から出てくるのである。蟻の社会に戦争や災害が起こって働く蟻が減れば働かなかった蟻は働くだろうし、餌が間に合ってるから働かない蟻がでているのだ。予備的な構成員だろうが、多様性とい幅を持たせているとも考えられる。わたしと岡田君は少数派・異端者として町政の中に存在している。町の運営を変える可能性を持ち、町民たちに内情を知らせる者という多様性の中の一員である。