ブログ - 20140307のエントリ

散るサクラ、残る桜も散るサクラ

カテゴリ : 
日記
執筆 : 
nakamura 2014-3-7 2:20

 およそ30年前のNHK福岡でのことです。当時はBS放送が立ち上がり、その普及活動と料金を払ってくれるだろうかという危惧もあり、バブル時代もまだ残っていて活気があり賑やかでした。奨励旅行(仕事をがんばっれ奨励金をもらい慰安旅行に行く)も月に一度はあり、沖縄から北海道までバスを連ねて行きました。みんなでバイクに乗って行く合宿対策などありました。地域に契約対策に行くわけですが、(エイエイ、オー)などと歓声をあげて現地に向かったものでした。管理職も加わりました。

 外務職員という地位があって、依託集金人から出世した人です。我々新入りの集金人に仕事やストレスの解消についてよく教えてくれ、いっしょに合宿して酒を飲みました。

 川原さんという、気さくで面倒見の良い外務職員がいました。30年勤めあげて定年を迎え、局の大広間で送別会が開かれました。100人もの仲間があつまり、壇上に上がった彼は女子職員から花束をもらい満悦でした。

 さて彼のスピーチです。

 (散る桜、残る桜も散る桜)という良寛の句があります。わたしはこうして去っていきますが、つぎは皆さんの番なのです。わたしはこの職場にいて良い仕事をさせていただきました。ありがたいことですが、今日で去ります)

 ここで息をつき、感無量という間を置きました。

 いろんなお客さんに会いましたが、NHKを理解してくれない人には理解していただけるまで無理にお金をもらわないことにしていました。これからは双方向の通信の時代です。パソコンのような通信の分野が伸びるのでNHKはそれに食われてていくでしょう。NHKはCSの中の一チャンネルになるかもしれませんし、口座払いも増えていくでしょうが、集金という私達の仕事はなくなりません。どんな仕事でも最期は人と人の出会いになるのです。

 と話すうちに感極まり、目の涙をハンカチで拭きました。

 わたしたちも胸を打たれていました。

 ところが次の日、NHKからファックスで流れて来ました。訃報でした。おどろいて事態の把握が出来ませんでした。川原職員が心筋梗塞を起こして亡くなり、翌日が告別式ということなのです。

 わたしは唖然としていました。

 次の日に川原職員から送別会のお礼状が届いたのです。死んでるはずの者が、お世話になりました、体に気をつけてください、今後のお付き合いをよろしくお願いします、と書いているのです。

 しばらく考え込みましたが、わかりました。彼は送別会の夜帰宅してお礼状を書き上げ、投函した後に心筋梗塞を起こしたのです。ファックスのほうが先に届いたということなのです。

 良寛の言葉が切実な洒落をおびてよみがえってきました。

 (散る桜、残る桜も散る桜)

 福岡市の彼の家に行き、告別式に出ました。

 その時、わたしも(散る桜)だったのですが、若さのあまり考えつくことは出来ませんでした。

 30年後にわたしは河原さんの年齢になりました。心筋梗塞を起こし、バイパス手術で助かりました。

 人生に感無量をおぼえます。

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