ブログ - 20120330のエントリ
3月26日、仕事のために古賀市千鳥6丁目に入った。一戸建ての静かな住宅街である。バイクを家の外壁のそばに停め、住宅地図を片手に持ち集金かばんを肩にかけて訪問先を訪ねていった。訪問先は10軒に一軒くらいしかなかった。3軒に出会えた。一軒は主婦がドアを開けて現れ(主人に相談しないとわかりません)と言った。二件目は庭先で主婦が洗濯物を干していたので用件を伝えると、(わたしはこの家の者ではありません)と応えた。3軒目は外から帰ってきた主婦に用件を伝えると怪訝な顔をして家の中に消えた。
その日は昨夜食べたインスタント・ラーメンが胃にもたれ、むかつき、すごいウツ状態であった。3軒の主婦に拒否され、仕事がまったく嫌になっていた。
バイクを置いた場所に戻ると唖然とした。カゴに入れていた弁当、手袋、ペット・ボトル、ヘルメットが空き地に投げ出され、散乱していた。個人的な攻撃を覚え、やられた!と直感した。バイクは消えていた。盗まれたのだ。
交番が近くになかったので、110に電話した。軽のワゴンにのった警察官が到着した。被害届を書いて、JR駅まで送ってもらった。帰宅して、中古バイクを注文した。
翌日、JAに保険の再発行のために訪れた。ケイタイが鳴った。警察官の声でバイクが見つかった、という。うれしかった。バイク屋のオジサンの軽トラで交番にバイクを取りにいった。壊されたカギをなおしてもらい、もとの仕事に戻った。
犯人を想像してみた。夕方の明るい時間、止まっていたバイクの鍵穴にドライバーを入れ、こじあけている男。そばの家からバイクの持ち主が戻ってくるか気にかけただろうが、そんな不安を吹っ飛ばすほどのエネルギーの持ち主。バイクのエンジンがかかり、証拠物を投げ捨てて、走り去った男。一点に収れんされた危機感と緊張に快感を走らせていた男。
(怖いもの知らず)のその男のエネルギーに恐怖を抱き、また若い頃の自分を思い返した。私は被害者でありながら加害者に反転していた。
(切腹)をはじめとして日本人は死を肯定的にとらえていた。が、太平洋戦争で(死)を美化しすぎたせいか、西欧の人権民主主義に洗脳されすぎたのか(死)はあってはならないものとするようになった。そこで逆に悩みが高じてしまい、うつ病が蔓延してるのである。
(死んで良いのですよ)とか(今日は死ぬのに良い日だーアメリカ・インディアンの言葉)などのように自然体でうけいれるようになればかなり楽になると思う。けっして悲観的な意味ではなく、(終わり)をひきうけることはどんな人間にも待っていることである。そして、異次元世界へ旅立つのである。
こういう私も10年以内に旅立つであろう。さてどんな世界が待っているか楽しみである。
我が家にはTVが三台、PCが三台あるが、近頃YVからすっかり遠ざかってしまった。なぜだろう?と考えると、番組の方向性がどの放送局も同じで見飽きてしまってるのである。例えば天皇陛下が心臓のバイパス手術をしたことをどの放送局も新聞も取り上げ、さも心配そうに書き立てる、また言い立てる。何故、天皇制なのか?などと正面からきちんと向き合おうとしない。一部の有識者からは天皇のルーツは半島にあり、学者達も知っているが怖くてタブーにしてるという。右翼に襲われるかもしれないのだろう。
時代が大きく変わり始めているのにメディアは自分の方向性を持たなくなった。持とうともせずいかに視聴率を稼ぐか、しかも短期的にであるが、いかに無難な番組をつくるかしかしない。これでは面白い番組ができるはずはない。知名度と権威を築きあげたものは保守的にならざるをえないのである。
ネットによる市民の放送局が出来ているというが、(レア仲間)も仲間が増えればその方向に進みたい。