ブログ - 201202のエントリ
15年ほど前に女とラブ・ホテルに入りました。その時、彼女がつぶやいた言葉がこのタイトルなのです。今頃になって、その言葉が時々想い浮かんでくるのです。彼女は40歳にちかい主婦で、息子の大学進学や亭主の仕事のことで悩んでいたようでしたが、セックスをする時にすべてを忘れることができたのです。出会い系サイトで知り合い、一度だけの出会いでした。
若ければ集中力もあるし、何かに夢中になる時間はいくらでもありますが、年齢を重ねていくうちに(すべてを忘れることの出来る時間)は短くなっていきます。けれどもその時間を持っている者が本当の幸せ者なのです。金があるとか無いとか、地位や名誉やその他常識的な優位性を度外視して、その時間を持っているかいないかで幸福度がきまるとすればこれこそ真の平等性なのです。
私にとってすべてを忘れることの出来る時間はいくつか残されています。今であれば道路わきの温度計が0度を点滅させてる、その中をバイクで帰宅する時、ほとんどすべてを忘れています。一時間ちかくもすべてを忘れて走りつづけます。(寒くて大変でしょう?)といわれたり、後に(バイクで一時間も走って大変なのですよ)と自分で言ったりしますが、まったくすべてを忘れている時間なのです。その時間に対してなんの言葉もいりません。
戦後50年間、人権・民主主義(金権主義)に酔わされてきた私達です。皆が幸せになり、ならなければならないという幻想にふりまわされ、それがあたりまえだと信じ込まされてきた私達に落ちた雷鳴はあの東北大震災です。東北の人々がその犠牲にされてしまったわけですが、私が日本人いや人類すべてがその犠牲になってもなんら不思議でもなかったのです。
(最大多数の最大幸福)を追及したあげくそしてその反動は(最大多数の最大不幸)の方程式であったのです。寒さがあるから暖かさがあるのであって、年中が適温であれば寒さも暖かさという言葉さえなくなる。寒さにがまんし、身の丈にあった生活に満足していればよかったものを文明の甘い蜜を際限なく貪欲に食いつくそうとした結果があの地獄だったのです。
わたしは自分の寿命と生活の行く末を考えると、あと10年生きて・・円の金がいるなんて計算をしたりしました。それはおこがましくただ馬齢をかさねていくのならば早く致死細胞になって消え、若い細胞と世代交代し、エネルギーをかれらに提供すべきだとも考えます。
ただ、私はこのホーム・ページを遺書として書き続けたいと思います。
2月2日のことです。知人といっしょに竹の子山に竹の子を見に行きました。うちの所有する山です。二千坪ほどの広さですが、ツマヨウジの先ほどに顔を出した竹の子を探しましたが、見つかりませんでした。
予想通りイノシシが竹の子を掘った跡が見つかりました。私は毎年のことなので彼らは匂いに敏感なので今年も先を越された、というと知人は(山に詳しい人です)、イノシシは結局見つけられなかったんだよ、だから食べ残した皮も芽もないじゃないか、というのです。わたしはそうかと納得し、二人して手ぶらで帰宅したわけです。彼が言うにはイノシシは前足、後ろ足のケズメで地面を引っ掻き竹の子を探し、掘り出すというわけです。わたしの判断では彼らは牙で掘るのです。人間が掘るとクワの跡が残りますが、彼らの場合は草の根がむきだしになっているだけできれいなものです。
今になってわたしは知人と違う解釈をするのです。掘った跡があるということは彼らが竹の子を見つけたということじゃないかということです。ふつうはかれらが掘って食べた跡の皮が必ず残されていましたが彼らはあまりに空腹だったので皮まで食べたのではないか、と推測します。
いずれにしてもイノシシにきいてみなくてはわからないことですね。かれらは夜行性ですから、暗闇の中で竹の子を見つけ、掘るわけですね。
そんなチャンスがあればぜひ写真かビデオに撮りたいものです。
あるいはイノシシに首輪をつけて竹の子を探させるとか?
宗像市の農村で首輪をつけられて散歩をさせられているイノシシを見たことがあります。首輪の鈴が鳴っていましたがあまり良い光景ではなかったですね。やはり彼らは野生でないと魅力がない。
日本がどうなるかどうすべきか、政治家および国民は悩んでいますね。
私が東京で遊学していたころ、不良学生でしたが、政治や文学、格闘技には興味がありました。政治学科に属していました。大学で政治学原論のテキストを読み、その中に国家のとらえかたとして(国家有機体説)(国家法人説)があったのを思い出します。国家有機体説とは国は生き物であり、国民はその細胞だというもので、わたしはこれがかなり真実にちかいと考えます。その観点から今の日本をとらえると老化して元気を失った生き物です。この生き物が衰弱死せずに生きるには細胞の再構成が必要なのです。人間の細胞は毎日入れ替わっています。致死細胞が消え、新しい細胞が産まれ、入れ替わっていき、エネルギーが保たれているのです。今の日本は人権のもとに延命治療を行い、平等に長生きし、衰弱した細胞が増えているのです。
その体制をかえねばなりません。年齢、職業、性別、障害度など度外視してヒタムキに生き何かに取り組んでいる者はサポートし、それ以外はサポートすべきではないと思います。
これは政治家も国民も分かっているのですが、口にはだせないタブーなのです。特に、これが重要なことですが、政治家がこれを口にすると票を失い政権を失うことを知っているから絶対にいえないし政治に実行できないのです。多数決原理ですからかれらは自分の生活と職を失うことはいえません。自己の利益と党利しか頭の中にはないのです。
トイレの神様、という歌がテレビで流れ、妙に新鮮な印象をうけました。その歌に影響されたわけでもありませんが、布団の神様、という言葉が思い浮かんだのです。考えてみればほとんどの人は布団の中で産まれ、死ぬわけですね。田山花袋に同名の小説がありますが、昔読んで官能的な印象があります。恋する女へのつながりを布団に象徴していたように思います。
睡眠時間を8時間とすれば人は三分の一の人生を布団のなかで過ごすわけですね。熟睡は仮死の状態です。布団の中で夢をみたり、寝言をいったり、いびきをかいたり、セックスをしたり、オナニーをしたり、考え事をしたり、暖かさに気持ちよかったり、まさに第二の人生ですね。幼い頃は寝小便をしたこともありました。
その人の裏面の人生でもあるわけですね。
母が亡くなった時、彼女の布団の処分に悩みました。そのまま置いておくのは彼女が存命してるような感じがし、捨てるのは忍びない気になりました。いつの間にか身内が処分してくれてました。
布団の中にはきっとその人の神様が宿っているにちがいない。主が亡くなって火葬する時には棺桶の中にいっしょに入れてあげたいと思います。
私の部屋のそばで樋から落ちる雨音がよく聞こえてきます。樋からこぼれた雨音が激しくあるいは楽しげにわたしの感情と同期して落ちているのです。この時間、眠れなくて書いているわけですが、人の感情と天候が同じであると考えました。しばらくの間、雨が降らなかったのですが、寒気と暖気がひさしぶりに混じりあい、雨露に変化して雨が降るのでしょう。
躁うつ病の人は欝の期間にエネルギーを蓄え、その反動を操の期間で発散するのです。つまり、化学反応なのです。人間の感情も化学反応、天候も化学反応だと思えばわかりやすい。そこで無理をして(悩んではいけない、苦しんではいけない、そんな時にはどうするこうするして治すべきである)ととらえるほうがおかしい。
自然にまかせて生きていく、という東洋思想を持ちたい。
もとより私は物欲の強い、灰汁の強い男なのですが何年か前から(喜捨)という言葉に魅力を覚えるようになりました。そんな自分が改心をしたとか立派とかいうのではなく自然にそうなったのです。仏教用語であることくらいはわかりますし、それは仏に喜捨することから発生した言葉でしょうが、わたしの捉え方は自然界や社会に喜んで自己を捨てる、ということなのです。
資本主義は欲望を根源にしていて上記の考えとは正反対ですし、喜捨の精神がまかりとおれば資本主義は成立しないわけです。しかし、もし若い頃から自分が喜捨と言う言葉に関心を持ち、生き方もそれにそっていればもう少しは楽な生き方になったのではと後悔するのです。
(馬車馬のように働いて得たものは破壊された自然と空虚な心)
このキャッチ・コピーは40年前に耳にしたものですが、3・11震災以降つよくよみがえる観がします。強く生きながら、他方では(喜捨)の心を持つ、一見矛盾しますが強い者は喜捨の余裕があるのだと考えます。
(損して得とる)という言葉もあります。
新聞やテレビは大学卒、高校卒の就職率を数値化して公表する。それ以外の観点はないのか?と、わたしはいつも首をかしげる。
わたしは自分が入った大学を卒業してるのかしてないのかわからないのです。大卒でなければ勤まらない職についたことはないし、もともと正社員として入社したことは一回しかなかった。卒業して臨時雇いの仕事をしながら、大学にかってにもどって講義を聴いていたこともあった。つまり、就職することよりも自分の生き方、社会、世界、人間、自分自身への好奇心と興味があり、研究の対象であったから、どんな仕事でも生き方でも良かったのです。
このことを知人に話すと、(やはり、レアですね)と言って笑い、わたしも満足した。就職出来ない人やヒキコモリ、ニートの先端をわたしは行っていたのでしょうが後悔はないし、満足です。多くの人が世俗の代表であるマスコミに引っ張られていることは情けないし気の毒だと思う。新聞は紙面に人物を紹介するときに何故学歴を出すのでしょうかねえ。それにどんな意味があるのでしょうか?学歴信仰のご本尊みたいなことはそろそろ止めてもらいませんか!
こんな俺の人生にとやかく言われる筋合いはない!やりたいことをやってきた。
就職できない人がいたら、そう言って胸を張ろうじゃあありませんか!
(棺桶に片足をつっこんでるのにいつまでそんな集金の仕事をするつもりか!)
とレア仲間から叱咤を受けました。驚きながらそんな目で自分をみてくれていたのかと、有難くもなりました。確かにそのとおりです。道路上の温度計が0度を現してる中、50分もバイクで走り続けるわけですからね。心臓の一本の血管は風船治療をして逆に血管がせばまり、もう一本はステントを入れたがおもわしくない、(2月まではだいじょうぶでしょう)と手術をした医者に言われ(それから先はどうなるの?)と聞き忘れてました。
自分の自覚では体調は悪くないし、仕事を辞めてもなんとか食っていけないわけではないのです。野菜作りをし、家を人に貸せば飯は食っていけるわけですがそうはしたくない。命の次に大事なお金をもらうという真剣勝負、ノルマの圧力、これらに対する反作用が自己の内部から起こってエネルギーを強める、そのエネルギーで生きる、被写体を探し画像を撮る、小説を書く、この原動力を失いたくはないのです。
棺桶に片足をつっこんだまま走り続けます。