ブログ - 20120325のエントリ

前回ー1の続きです。

人間の精神の作用、反応が化学反応だとすれば、善も悪も、善人とか悪人とかの区別はなくなり、平等になる。感情も悲しいから雨がふり、冷たいから雪が降り、楽しいから太陽が輝くというふうに自然の感情と一つととらえればわかりやすい。。ボランティア活動だって犯罪行為だって化学反応だと考えればどちらも一つの活動にしかすぎず、裏表にしかすぎない。温和な人物が経済的に破綻し、怖い人格に豹変するケースをわたしは集金業務の中で何度も見せ付けられた。逆に凶暴な人間が経済的な恵みを受けて温和になったケースも見てきた。

なぜ地球上に春夏秋冬があり寒暖のちがいがあるのだろうか?差異が風や雨、雪などのエネルギーを産み、生命体として生きているからである。地球、自然は生命体なのである。こう考えると自然を汚染してはいけない、傷つけてはいけないと思う。その地球で10万年たっても消滅しない放射線物質をつくってはならないし、ケロイドで地球の顔を醜くしてはならないと思う。

だからどうだって言うの?と尋ねられれば、人間の尊厳なんてありはしない、ということだ。(霊長類)なんていう言葉もおかしい、(霊)が特別な階級だと言いたいのだろが。

2,3日間の毎日新聞はイタリアの哲学者を登場させ、民主主義は宗教にすぎない、という主張をとりあげた。やっとここまできたかと私は思い、次に登場する言葉は上記のタイトルにちがいない。人間の精神が物質の反応だとういうことになれば、危機感をもつのはまず宗教界である。神、仏が宇宙の中心として存在し、(犬、畜生)たちは劣等だといっていたことはどうするのだろうか?

精神安定剤や抗ウツ剤で心が安定したり、元気になったり興奮が抑えられること自体、物質の作用で心が動いていることではないか。もともと地球には生物は存在していなくて水や泥、岩などの物質しかなかった。その中からビールスが現れアメーバが現れ、植物、動物と進化していったにすぎない。もとをただせば物質だったのである。こう考えるとわかりやすい。

ヨーロッパのヒューマニズム、人権主義が人間の尊厳という思い上がりの思想をうみ、資本主義(金儲け主義)と相乗して繁盛していき、今にいたった。東北大震災が起こって、やっと現体制がオカシイことに目覚めた。

(物質に意志があるのか?)と問われれば、風が吹き、雨が降り、太陽が輝く、それらは物質の意志、

自然の意志ではないか。物質の作用ではないか。嵐が起こり、地震が起こるのは自然の怒りである。

だから、どうだというのだ?と問われれば自然の一細胞が人間にすぎない、と答える。そのように捕らえると人間、そして自分の立っている位置がかなりわかってくる。逆に人間の尊厳だとか(人の命は地球より重い)などという考えに振り回されると混乱してしまう。

 

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