ブログ - 20120308のエントリ
リメンバー・パールハーバアー(真珠湾攻撃を忘れるな)からこの言葉を思いついたわけですが、東北大震災の考察眼は現地を復興させて震災前に戻すことに定着してしまいました。わたしはそこに胡散臭さを感じ取ってしまうのです。政府を中心に新聞もテレビも(がんばれ日本)の合唱ですよね。マスコミはなぜ違う観点を書かないのでしょうか?言論を統制されているという意見もあります。官製報道でしようか?
本来はこの歴史的事件、広島の数倍の原爆投下に値する被害が生じながら真剣に事態を見極めようとする姿勢を報道せず、復興すればそれで良いのだと言う安易さがある。被害者はよそに移転していただいて被災地をそのまま残し、負の世界遺産にするとか巨大な霊場にするとかもっとちがうやりかたがあっても良いのではないか。広島の原爆ドームみたいに決して忘れない記念碑として。
震災の事実を見つめながら、人間の歴史とは?現代文明とは?など思索と懺悔の慰霊塔にすべきではないのか。自分の生き方、人生とは?などテーマはいくらでも出来る。
テレビ映像で見た(ノアの洪水)に等しかったあの惨状を決して忘れ、歴史に埋もれさせ、風化させてはいけない。
3・11を契機にして政治も少しずつ変わり始めたことは確かである。我々の考え方も生活も変わらなければならず、死者や被害者の犠牲を無駄にしてはいけない。それが生き残った我々の責務である。