ブログ - 20120323のエントリ
私達はメディアや学校教育に事実を信じこまされているわけですが、それらとおして世間に現れ出ていることはほんのわずかなものです。世間から隠されていることや消されている歴史、書き換えられている事実はこの民主主義の時代においてもたくさんあります。64年間生き、仕事上世間を渡っているとそのことがじゅうぶんにわかります。
こんな世界があったのか?これが本当のことだったのか?などは決して公的な機関には出ません。例えば大きな借金をして返せなくなった場合です。弁護士に何十万円かを払い、自己破産の手続き・指導をしてもらう。偽装離婚して、別居するが、週に一度は帰宅し、妻と食事をし、自宅でくつろぐ。何年か経てば借金は消えてしまい、家にもどって昔どおりの生活をする。
こんなことは一つのケースにしか過ぎません。
耳学問、という言葉がありますが、それを通して世の中をみるとタイトルどおり、(捨てる神あれば助ける神あり)なのです。暴力団撲滅運動が盛んですね。この前、金融機関にいって口座を開こうとしたら、身上調査の書類にいろいろ書かされ、若い女の社員にいきなり(あなたは暴力団ですか?)とたずねられびっくりしました。まだ、若いのでマニユアルどおりの言葉を出したことがわかりました。なぜ、
いつまでも暴力団が存在するのでしょうか?
困ったことがあったら、ネットや本で調べることも良いのですが、それで分からない場合は耳学問に長けた人に聞いたほうがいいのです。すると、驚くような(事実)がわかり、(助ける神)に出会うのです。
訪問先の主人や主婦たちと世間話をすると、いかに生活が苦しくなっているかわかります。ところが反対に顔の整形手術をした美男、美女が増えているのもわかります。生活に余裕のある人が美容整形をしているのでしょうが、昔は(顔の化粧より心の化粧)という言葉がありました。化粧品業界にとってこの言葉はタブーでしょう。
就職口が少なくなっていることは確かです。社会を見回すと世の中にはこんな仕事もあるのかと疑問を感じることがあり、興味と好奇心をそそられますが、基本的には需要があれば仕事になるのです。困っている人、必要としてる者がいれば仕事になるのですから世の中から仕事がなくなることはありません。ベンチャー・ビジネスほこうして生まれるわけですが、その時代が要求しているものそして何に困っているのかを読み取った者がビジネスを産み、創業主になるわけです。
そこでよく考えると人権民主主義のいきづまりを感じ、新たな思想・哲学を必要としていることに気づきました。でもそれは思想本や哲学書ではなく、もっと身近な生活や遊び、フアッションなどから生まれてくるでしょう。
1970年代には(フーテン)呼ばれる人がいました。髪と髭を伸ばし、汚い服装で放浪する人です。そのスタイルがフアッションにまでなり、パンク・ロックや破れたジーパン・スタイルにまでなりました。
今の息苦しい時代がはやく終わり、新しい時代を待ち望むのは私だけでしょうか?
吉本隆明氏が亡くなり、彼の功績が新聞に二日つづけて報道されました。これから彼の本が売れることでしょう。
私は団塊の世代で学生運動の盛んな頃に青春を送った者ですから、彼の著作を題名にひかれて読みました。(共同幻想論)や(言語にとって美とは何か)など今でも興味をそそられるタイトルですが、どんな文章があるいは何が印象に残っているかと考え直すとまったくないのです。もと学生運動にまい進した人にその話をすると、彼はコピー・ライターなんだよ、とこともなげに答えました。なるほど、と私は納得しました。当時、私はサルトルの(聖ジュネ論)だとかカフカの評論だとかかなり難解な本を読み、すごく感銘を受けたのですが吉本隆明氏をはじめとする日本人の評論にはほとんど感じ取るものがありませんでした。彼は新聞には思想家である、と書かれているのです。外国人がどのように評価してるかの記事はありません。思想家とまでいうのであれば外国でも評価されるべきでしょう。
メディアは教祖を絶えず生産しなければ商売にならないのです。・・賞をもらった時(もらってやる)と作者が言ったとかを書き立て、小説家の顔写真までのせるが、のせる作家の心理が私はわかりません。メディアも作者も同じ穴のムジナなのでしょう。
ともかく私達は(子供手当て)に惑わされたりして、一生、業界の力にふりまわされるのでしょうか?