ブログ - 20111107のエントリ
人間や動植物には生存本能、繁殖本能があります。植物にも知性、意識があります。それは変だと思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、例えばヒッツキボウです。野原を歩いているとズボンに種がくっついてあとで取るのに苦労したことがあるでしょう。種が遠くに運ばれ、地に落ち芽をだすことを考えてあんな形になったのです。ということは植物が(思考)したのです。人間のはくズボンは綿であり、動物が毛で覆われていることを知っているからそれらに引っ付きやすい形にしあげたのです。人間が違う種類の衣服を身につけるようになればヒッツキボウの形もかわっていくでしょう。
人間、動植物、生命体、それらの意志と意識の総和が自然の意志、意識になり、ベクトルを持つとおもいます。その中でかれらの生存、繁殖を脅かすものが人間だとなれば、人間は人間自身と自然のベクトルから攻撃されます。それは大流行しているウツ病や自殺、暴力、戦争というかたちになって出ているのです。わたしは宗教を否定しますが、この自然の意志と力は信じます。
量子力学に詳しい男から、(シュレディンガーの猫)の話を聞き、驚いたことがあります。致死性の毒ガスがいつ充満するかわからな箱の中に猫を閉じ込めます。この猫は今、生きているでしょうか?死んでいるでしょうか?と問われた時、生きてもいるし、死んでもいる、とシュレディンガー博士は答えたのです。西欧哲学には直線理論的な傾向が強いとおもっていたのですが、(矛盾・対立するものが同居する)この答えにわたしは東洋的な思想をかんじたのです。
私達は日常生活において(白か黒か?)の二者択一的な考えをもたされていますが、実態は矛盾・対立するものが重なり合い同居していると思います。人間は生まれてから死に向かって成長していく、とか、崩壊へ向かっての経済成長だとか例えを出せばいくらでもあります。(人生、塞翁が馬)ということわざはまさに東洋哲学です。今の自分の状態が良いのか悪いのかは断定できず、視点をかえることによってどのようにでも変るのです。例えば病気で悩んでいれば健康に気をつけるようになるでしょうし、病気をしたこともない人だったら健康の価値もわからないものです。
今の状態をいろんな視点から見れるようになれば力強い生き方ができるようになります。