ブログ - 201112のエントリ
今、紅白歌合戦をテレビでみ、ガガさんの歌詞に耳をかたむけながら考えた。その歌詞に(産まれた時は爛漫であった?)というような言葉をきいて思いついた。東北大震災の報道は放射能汚染のレベルとか生活の復旧のことが中心になっていて、それはそれでだいじなことであるが精神的な部分が見落とされていないのではないかと。はっきり言えば、精神的な復興とは人間の命とは消えるものそして生活も消えてしまう、そのことを自覚して生きていこうということではないか、と勝手に考える。
個人的なことをいえば、2010年12月31日に竹の子山で狭心症を発作を起こした。まわりには誰もおらず、体が動かなくなって顔から冷や汗をたらしながら、ミカンの木のそばまで歩き、実をもぎ取って食べた。少しずつ回復していった。その時は死を覚悟し、受け入れていたし、今もその心境である。
人生は生きる上において自己を殺し、脱皮してなんども産まれ変わることである。それがわかった者のみが生き残る。
2011年の終わりを一時間半後にひかえてそんなことを考えた次第です。
わたしの残りの人生はあと10?15年だと予想する。確実な活用をしないと悔いが残るので、来年の夢をここで書き、初詣をするまでもなく祈願しておこう。
1?レア会員を増やし、一宿一飯運動を展開する。
2?小説「火炎」の全篇掲載
3?ワゴン車の中で寝泊りしながら撮影旅行をする
4?現在は北九州自然史博物館の会員であるが、まったく活動はしていない。「動植物の情報 伝達方法」というテーマをもうけ、研究教室をつくる。
以上です。
このホームページを9月に開いて以来、延べ1000人ちかい方々に閲覧していただきほんとうにありがとうございました。毎日、パソコンを開くと閲覧者数をみるのが楽しみになりました。
来年もよろしくお願いします。
中村行雄
わたしの周囲をみると働かずに飯を食っているものが多い。わたしの母はこう言っていた、(働かざるもの食うべからず)と。動物の世界で働かない(餌とり活動)をしないものは死ぬことになっているが、人間界とは不思議なものである。延命治療までして生きながらえさせている。うがった見方をすれば人権を盾にした医療業界のメシの種であろうか。
囚人や精神障害者たちも労働に準じた活動をしているし、悪質な交通違反者たちもボランティア活動で刑を少なくしてもらっているから、人的資源の活用はめずらしいことではない。だが囚人や精神障害者たちに使う血税はそうとうな費用になるから、もっと彼らの人的資源を有効活用し、国家財政の出費を抑え、社会参加の実績でかれらに自信を持たせるべきである。刑務所を民営化しているところもあるのだから、規制緩和をもっとして民活を取り入れるべきである。小泉の構造改革は派遣制度によって弱者をいためつけたが、こういうことに創意工夫を発揮すべきであったのだ。そろそろ本当のことを言って実行しないと未来は見えてこない。
経済の悪化が進行し、生活保護の受給世帯が急増している。300万世帯、400万世帯になるだろうともいわれているが、このまま増大すれば国家破産の主因になるかもしれない。誰しも生きていたいわけだからそれを否定するわけではないが、政治家たちの無能ぶり、思考力の欠落に唖然とするばかりである。(子供手当て)のことだってまだ決着をつけきらない。人気とりの政権だからそんなものであろう。もともと国家予算なんて血税であり政治家どもの金ではない。生活保護は選挙の票につながるものだからそれに手をつけるなんて想像もしないであろう。かれらのメシの種なのである。
労働者達が働いた金をそう簡単に使ってもらっては困る。貸付制度にし、受給者たちが職についたらわずかでもいいから、返済させるべきである。返済できなければ彼らの子孫にまでツケを残すべきである。
わたしは橋下知事の言動を彼が有名になる前から注目し、賛同していました。週刊誌などは売れんがために(ハシズム)と書いたり、彼の出自をあばいたりしていました。が、これからは(平成の竜馬)だと持ち上げ、売り上げを伸ばそうとするでしょう。太平洋戦争をはじめてとして国民はこのようにしてマスコミの食い物にされたのです。国家もふくめてマスコミも共同正犯者であることはちがいありません。
政界にも新党結成の動きがではじめ、来年は山が大きく動くかもしれません。ただ気になるのは橋下知事がかれら利権政治家にとりこまれ、レア性(希少性)を薄められ、あるいは失うのではないかという懸念です。彼を知事に選んだ大阪市民は利益供与の政治(就職の斡旋や仕事を与えるなど)ではなく本当の政治を選んだのだとおもいます。政治家にとって、次の国政における当選マニュアルは国民への利益供与ではなく、本当の政治であるし、そうでなければ当選できないということなのです。
消費税アップは当然必要です。与党は消費税アップに有権者が反対し自分達の評価が下がると判断しているのでしょうが、そうではないのです。本当の政治家であれば次のように考え、行動するでしょう。食料品など生存に必要な商品には税金をかけず、特権階級(政治家、公務員、皇室など)から税金を多くとり、自らが痛みをわかちあうのです。それから国民に増税をお願いする。
橋下氏が初志をつらぬくことを期待しています。
そのことをご勘弁願いたい。酔っぱらって話せる相手がほんとうの友である。年齢や性別を超えてである。若い人はこれからいろんな人に出会うだろうが、酒をのんでとことん話せる相手はまず信用して間違いないだろう。素面で多弁で口当たりのいい相手はまず警戒すべきである。どことなくとっつきにくくて、硬い相手は信用して良い。これは男と男、男と女の関係においてそうである。
いくら金があっても人と付き合えない相手は不幸である。自分を構え、良いようにみせかけなければならない者はそうである。(こんな人間がいたって良いじゃないか)と居直れるかくらいの人間が欲しい。
(心を割ってみよう)そうすれば人間みな兄弟ということがわかるし、人間の生き方なんて一般常識にとらわれた程度のものであるということが十分にわかってくる。
心と心が理解しあえ、いっしょに飯を食い、枕を共にできれば社会でいきることなんてどこがむずかしいか?考えて見れば簡単なことじゃないか。腹が減ったら飯をくいにきませんか?泊まるところがなかったら泊まりにきませんか?話し相手がなかったら話に来ませんか。それでじゅうぶん間にあうことじゃないですか?
この社会においてなぜそんなことが出来ないんでしょうか?
仕事がら街中や住宅街をうろうろするのだが、年の暮れる雰囲気がほとんど感じられない。古賀、福津、宗像なんてまだ片田舎にひとしいせいからかもしれない。クリスマスの気分もただよわず、ツリーもほとんど街中にみられない。多分、東北大震災の影響で人々が自粛しているのだろうが、あまりにもさびしい。
今年を振り返ってみると、なんといっても東北大震災の出来事、その衝撃につきる。そしてわたし自身が二度にわたって狭心症の治療にかかったことである。その二つとも来るべきものが来たということだろう。被災者の方達には軽はずみな言葉であることをお侘びしたい。自分自身にとっては高度成長期の時代に恵まれ、小さな(酒池肉林)生活をおくった代償であったろう。良い時代をおくらせていただきましたが、その代償を若者に残したくはない。団塊世代の一員として本当のことをきちんと伝え、(生まれてきてよかった)という人生を送っていただきたいと思います。
来年もレア創始者として本当のことを書き、写真は(ケハイ)というテーマでとり続けたいとおもいます。
サトイモは虫に食われることがなく、肥料もたいしていらず育てやすい植物です。今年は雑草をよけることもあって40本ちかく植えました。今が収穫の時期です。金タワシで皮をこすりおとしながら、昔は袋にいれて川の流れにつけたもんだ、すると自然に皮がむけたな、などと考えました。親芋はまた来年のために土に戻すわけですが、子芋からすでに芽が出ているのです。(これは成長するのだから食べないで、土の中にまた戻してくださいね。大きい芋をたっぷり食べてください)
サトイモがそんな話をわたしにしてくれたのが感じ取れました。かれらは人間にそだてられていることを知っており、その生き方で末永く繁栄することに決めているのです。
私は仕事がらあらゆる人、あらゆる地域を訪れます。驚くべき人に会い、驚くべき話を耳にすることがあります。
この話は宗像市のある戸建て団地を訪問した時のことです。インターホンを押し、出てきたのは80歳にちかい老婦人でした。どこか元気のない感じでしたが仕事の件は片づき、彼女は身の上話をはじめました。主人と別れてこの家に住むようになったのですが、と彼女は言い、わたしが黙っていると(前の家で主人が庭に除草剤をまいて私を殺そうとしたのです。体の調子がどうもおかしいと思って病院にいくと肝臓をやられていました。主人が雑草をかたづける口実で畑に除草剤をまいたのがわかったのです。わたしはそれを白状させました。息子達も知っています)
私は注意深く耳を傾けていました。
(それに主人はヒロポンを打っているのです)
彼女は言いました。
(ヒロポン?)
わたしはそれが覚醒剤であることは知っていましたがオウム返しに聴きました。
(主人も気の毒な人です。特攻隊員だったのですが、当時死の恐怖に耐えるために若い特攻隊員たちは覚醒剤を打って心を強くしていたのです)
私は驚いて言葉がでませんでした。戦後65年が経っても主人はその習慣から抜け切らず、ヒロポンを打ちつづけたのです。
現実はそんなものだったのです。それに美化された特攻隊員達があの若さで死をよろこんで迎えるなんてでっち上げられた観念だったのです。私は胸が痛みました。
私はバイクで走りながら、彼女の家のそばを通るたびその話をおもいだします。
高齢者への虐待のニュースが今日も報道された。介護施設や家庭内での事であるが、これを物理化学的に考えると高気圧が低気圧の向かって流れ込んだということだ。負圧というのは圧力が低い状態で、高気圧の流れを招くことになり、人間界においては虐待や暴力という言葉になる。背中を向けたとたんに犬やイノシシに襲われるというのは(逃げる)という負圧状態を生じたからである。
高気圧・加害者側もストレスがかかった状態であり、(金持ち喧嘩せず)のことわざがあるように生活に困窮していたり不安をかかえて気持ちに余裕がないのである。
人権主義の手前、マスコミは被害者の立場に立ち、加害者の心理状況を説明することはない。それはそれでしかたないだろうが、上記のような状況も分析しないと被害者の身は守りにくい。身を守るためには出来るだけ負圧を生じさせないことである。イジメや虐待にあいそうになったら大声を出して助けを求める、と同時に大声を出すことによって自己の負圧状態を小さくすることである。