ブログ - 20111104のエントリ
この言葉に強く惹かれたのは日頃考えていることを公理じみて表現しているからであった。ネットでも検索できるが、物事を反対に転じて重ねてみると正反対に見えていた物事がぴったりあてはまるということなのだ。たとえば鍵と鍵穴、指と手袋。手袋は指に入れられるほうであるが入れられる方を引っ張り出してみると入れる形にかわり、どちらも実は同じ形ということなのだ。
世の中の人や動きをそのような視点でとらえてみるとスッキリわかる場合がある。私は高校時代から、両極端は一致すると考えていたが、それは反転対称形という言葉に似ている。
例えばある夫婦の場合である。夫は飲む、打つ、買うの男で先祖の資産を食い潰した上に借金まで残した。妻は働き者で必死で働いて夫の借金を返した上に、息子達を大学にやり資産まで残した。夫婦とはみょうなもので相手に不足している部分は片方が補うという形をつくっていく。その夫が真面目な男で働き者であれば妻は働き者になる必要はなかったが前記のようなタイプであったから妻は必然的に働き者になったのである。そのようにして鍵と鍵穴は複雑なギザギザ模様をつくって形をなしていき、それは善悪の入り込めない物理化学的現象なのである。そのように分析すると夫婦の形はクモがはる網みたいにきれいなものに見えるし、方程式で表現することも可能であろう。
23年11月4日。きょうは夏のように暑い日でしたね。私は仕事に出るとき、寒さに備えて防寒・防水ジャンパーにズボンというスタイルでバイクにのりました。走っているときに暑さは感じなかったのですが、福津市手光の現場について歩きながら個別の家の点検を始めると上半身が蒸してきました。バイクにのって次の現地まで走ると風が吹いてきて(?)涼気を感じました。
おかしいと思ってバイクを停めると風は止むのです。また走り始めると風が吹いてくるのです。
実は風は吹いていなかったのです。バイクが停滞した大気の中を走ることで風が吹いているように感じたのです。自らが風をつくっていてそのスピードはバイクの速度と同じだったはずです。
こんなことは日常の人間関係でもよくあることです。自分が原因をつくっていながら他人事のように気付かず、指摘されてもまったくわからない。やっと何十年かたって初めてその時の自分が見えた経験がいくつもあります。人は誰しも自分の顔は鏡がないとなかなか見えないものですね。
良い事も悪いことも自分がつくっている場合があります。この風のように動きを止めてはじめてまわりの動きが止まり、状況を把握する場合があります。